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「Respect!」#2 HAKUYO MIYA

刺繍ブランドRyme et Flow.の松澤葉子です。
Noteでのコラムの不定期連載として、様々なジャンルで活躍されているクリエイターとの対談・インタビューを載せていきます。

第2回は、パリ在住のファッションデザイナー 宮白羊さん。
洋服作り、きっかけやこれまで、これからについてをお話しいただきました。

ブランド「HAKUYO MIYA PARIS」

誕生のきっかけ

YM:ブランド誕生のきっかけ、成り立ちをお聞かせいただけますか。

宮白羊:ファッションを勉強してから、もちろん最終ゴールはブランド立ち上げと思っていたんですけど、具体的に何をすれば良いのか分からなくて、年齢も30になるところでフランス滞在のビザを取る問題が出て、その為には会社、つまりブランドを立ち上げようと腹を括ってやろうと決めました。

YM:今はブランド立ち上げから10年くらいでしょうか。

宮:起業して、準備でなんやかんや2年ほどかかって、8年目ですね。

YM:ブランドのコンセプト、テーマなどありますか。

宮:最初はコンセプトより、自分がやりたい、作りたいものを作っていました。あんまり量産することは考えていなくて、1点ものを作って売る。どちらかというとオートクチュールに近いことを近年はやっています。

YM:デザインして縫って、売るのも最初から最後まで全部ご自身で。

宮:そうですね。あんまりしっかりしたデザイン画を描かず、頭で浮かんだらもうパターンを起こして。計画性がないもので(笑)

華やかなレディースを作る理由

YM:白羊さんのブランドはレディースのみですよね。理由はありますか。

宮:レディースの方が洋服の幅が広いのと、パリに来たときに男性が正直あんまりお洒落をしていなくて。本当は自分が着るもの、メンズをやりたいと思っていたんですが、そこに喜びを見出せなくて、学校に行っている間に折れました。
メンズをを作るのは嫌いではないし、個人オーダーでメンズも受けるんですけど。
黒、紺、ダークグレーみたいなメンズのコレクションとして出すイメージは正直ないですね。

YM:確かに柄物やレースなど、素材が豊かなイメージです。

宮:そうですね、そこは自分で作っている強みです。工場で頼む場合は、枚数をある程度作る必要があって、種類を絞らなければならない。僕の場合は好きなものを好きなだけ自分で作るので、1点しか作れない生地でも、これはすごいって作っても良いわけで。

YM:ご自身で作られているから、あれだけカラフルにできると。

写真家の父とルーマニア

YM:他にブランドの特徴と思うものはありますか。

宮:ひとつ大きいのは、僕の父がルーマニアの写真を50年以上撮っていて、その写真を小さい頃から沢山見ていました。その衣装や絨毯が印象に残っていて。母はロシア語の通訳なので、海外へ行くことは両親から影響を受けています。
僕はフランスでファッションを学んでもう18年居ますが、生まれは日本ですし、デザインや生地を考えるときはその色々が混ざっているなとは思います。

YM:ルーマニアと日本とパリが混ざっているんですね。

みやこうせい氏のルーマニア写真集
白羊さんのアイテムにモチーフとしても使われている写真です

本名「宮白羊(みやはくよう)」

名前の由来

YM:白羊さんという名前はお父様が名付けられたんですよね。由来をお聞かせください。

宮:いくつか意味はあるんですけど、ルーマニアは羊が多くて、父の写真集にも「羊の地平線」というのがあったり。また父は疎開で岩手に行っていたことがあって、石川啄木や宮沢賢治の朗読の会が「白羊会」、それと12星座の「白羊宮」、そのまんまですね(笑)
※「白羊宮」:占星術の黄道12宮のうち、牡羊座の名称。

白羊さんのアトリエにある「白羊宮」の本

YM:すごく特徴的で素敵な名前ですが、この名前でよかったと思いますか。

宮:子供の頃は嫌でしたけどね。今となってはブランド名としてね。

YM:人と被ることがまずないですよね。

宮:本名ですかってよく聞かれるんですけど、逆に本名じゃなかったらつけない名前の気もします(笑)

幼少時代からフランスへ渡るまで

YM:洋服やものづくりを仕事にしようと思ったのはいつごろか、覚えていますか。

宮:子供の頃は、両親ともフリーなアーティスト仕事で、僕は名前も家も普通がよかったんですね。スーツを着て普通のサラリーマンになるぞと宣言して、大学も日本の商学部に入ったんですけど。

YM:そこから洋服の世界に行ったきっかけは。

宮:商学部はどういう方向性でいくかが広くて、営業や経営、色々と。洋服は好きで、アパレルのそういう商業のことに興味があって、大学時代に販売員をしたこともあるんですけど、正直あんまり面白くなくて。だったらやっぱり作りたい、デザインしたいなと思って。

YM:日本でも洋服は学べるし、他の都市もある中でフランスに決めた理由はありますか。

宮:どうせやるなら外に出たいと思っていたのと、日本は結構年齢にこだわりがあるじゃないですか。大学卒業した後で日本の専門学校はちょっと辛いなというのと、英語は一応知ってるから英語圏ではなく、じゃあミラノかパリ。で、なんとなくパリにしました。13歳くらいの時に父がパリで写真の展覧会をしまして、その時1回行っているんで、それもあると思います。

フランスの生活

パリ20区Belleville

YM:今はフランスのパリ20区、Belleville(ベルヴィル)に住まれていますが、なぜBellevilleにしたんでしょうか。

宮:最初の半年くらいトゥールーズという南仏で語学を学んでからパリに引っ越しましたが、それからずっとBellevilleに住んでいます。アパートを探す時に何も分からなくて、11区にある学校から歩いて15分くらいで、たまたま決めました。

YM:たまたまでしたか(笑)パリは割と歩いてどこでも行けるし、Bellevilleは割とパリ中心に近いですよね。今や白羊さんといえばBellevilleが似合う、象徴みたいなイメージです。

宮:それもほんと偶然で。日本の大学時代から飲み歩きが好きで、一人で飲み行って常連さんと仲良くなることをしていたのがBellevilleで見事にハマって。言葉が分かんなくても結構なんとかなって、Bellevilleの場で語学を学びました。僕の好きなフランスの特徴ですが、カフェとバーが一緒なんです。例えば朝7時に学校行く前にエスプレッソをぐいっと飲んで、また学校帰りに同じ店でビール飲んで。それでいろんな人と仲良くなれました。

YM:もし、Bellevilleじゃないパリの違う区に住んでいたらブランド作りは違っていたとか、街に影響されているでしょうか。

宮:それは間違いないですね。違う場所だったら変わっていたと思いますよ。

Bellevilleの白羊さんのアトリエ
ここで制作から販売までご自身でされている

Bellevilleの魅力

YM:20区、Bellevilleを知らない人に説明するとしたら、どんな街ですか。

宮:もうそれだけで一本録れそうな気がしますけど(笑)

YM:魅力がいっぱいということですか(笑)

宮:Bellevilleって元々パリじゃない郊外だったんです。お酒が安くて、パリの人がお酒を飲みに遊びに来て。そういう場所ってアーティストや職人が集まりやすいんです。別の側面としては60年代頃にパリの政策として、安い労働力を受け入れる移民街になった。アラブ系、アフリカ系、中華系の人の中華街もある。コスモポリタンというか、カオスでそれが楽しいです。世界の縮図のような、でも結構みんな仲良くやってるんで。人や店の入れ替わりのスピード感とあわせて大衆的な根深さがあって、そこがBellevilleの良さですね。

YM:街がアーティスティックというか、変わったストリートアートが多いですよね。ルーブルのアートとは全く違う前衛芸術。

宮:ですね。サンジェルマンデプレとか、パリのセンターは高級店が増えて、土地の値段も上がっていって。Bellevilleは公営住宅とか沢山建てたんで、対照的ですね。

ダイナミックなストリートアートが並ぶBelleville

洋服とモノづくり

ニューヨークコレクションの出展

YM:NYコレクションへ参加された2018年から2019年の3回、パリではなくNYにしたのは理由がありますか。

宮:単純にはスポンサーの理由です。ブランドを始めて2、3年でお声がけいただいて、一番最初はカナダのバンクーバーのファッションウィークでやったんです。規模的には小さかったですが、それを見てNYの方から声がかかって、そのまま3シーズンやったんです。パリはトラディショナルでコンサバティブですが、NYの方がオープンというか、若いデザイナーにやらせてみようっていう余剰がある気がします。

YM:じゃあ、今度また出展されて、パリかNY選べるとしたら、、

宮:パリです!(笑)地理的にも楽ですし、NYはめちゃくちゃいい思い出で、全身全霊注いでやりましたけど、ちょっとピリピリしてたというか、アメリカとヨーロッパの違いでもあると思うんですけど、もっと余裕のあるプランがとかね。

2019SS のNYコレクション

大事なこと

YM:洋服作り、ものづくりをする上で大事だなと思うことはありますか。

宮:続けていけることが大事ですね。自分のデザインを曲げずにやっていくことも大事で、それで成功するのが一番かっこいいですけど、なかなかそういうわけにはいかないんで。ブランドを人生で考えた上で30年40年、それを続けるってすごい大変なこと。今やりたいことだけをやるよりも、自分のやりたいことを40年間続けるためにはって考えることが大事。

YM:多少大変だったり、辛いなっていうことでもやっていくと。

宮:バランスですね。やりたくないことをやる必要はないけど、やりたいことだけやっても続かないなとは思います。

大変だったこと

YM:そういった経験も色々されてきたんですね。大変だったことはありますか。

宮:学生に質問を受けるんですけど、すぐ自分のブランドをやる方がいいのか(やりたいんだけど)就職をした方がいいのか。僕は就職をした方がいいって言います。僕は最初からブランドをやっているんですけど、いいと思って作った洋服が認知されないと社会に認知されない感覚になって、最初のうちは学生感覚で続けられても、その状態を数年続けるって相当精神的にきつい、って話します。働いて月に1回お給料をもらうのは、少なくとも社会に認知されていることになるんで。こんなに頑張っていいものを作っても、認知されない。もっと直接的にいうと、お金にならない。

YM:じゃあお金を稼ぐ、イコール生活の為は勿論ですが、それ以上に社会に繋がっていると。

宮:そうですね。お金にならないと意味がない、わけではないんですけど、社会に必要とされないことが長くなればなるほど辛いですよね。その中で良いモチベーションを保つって、よっぽどじゃないとできないと思うんですよ。続けることはやっぱり才能だと思うんで、自分がいいと思うものを信じて続ければ、ある程度は認められると思いますし、必ず見てくれる人はいると思います。

YM:じゃあ続けていくにつれて、楽しいこと、やってよかったと思うことが増えてきた感じですね。

宮:知っている人は手に取ってくれますし、家族や親戚、友達は応援で買ってお金を出してくれる訳ですが、でも僕のことを全く知らない人がシャツ1枚を買ってくれたっていう経験はすごく大きいです。

YM:自分の全く知らないところで知らない誰かが身につけてくれている、それが嬉しいところでしょうか。

宮:それは、はい。大きい部分です。

嬉しかったことと、これから

YM:他に思い出して、嬉しかったことはありますか。

宮:NYコレクションに出展の時に、NYファッションウィークのオフィシャルサイトがちゃんと取り上げてくれて、インスタのページにも大きく出て。販売して売れるっていうのはブランドとして大事ですけど、デザイナーとしてアート的要素が認められるっていうのは嬉しいですよね。アーティスティックなこと、どちらかというとそっちの方向により力を入れていたので、勿論それは今でもやりたいことではあるんですけど、なかなか大変だなと思います。

YM:コレクションはそうですよね。今後の目標はありますか。

宮:コロナ以降、そういうショーやアーティスティックなことができていないんで、少なくとも年に1回はアーティスティックなプロジェクトを発表してやっていきたいです。ある意味原点に戻るというか、商業ベースを関係なく表現することができればいいなと思います。1個1個大切に、続けていくことが大事なんで。

YM:次に繋がっていきそうで楽しいですね。今日はありがとうございました。


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