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透明な秋風に消えた言葉

静かな街外れのカフェで、的野美青は一人、カウンター席に腰掛けていた。
窓の外では、秋風が落ち葉を揺らし、澄んだ空が広がっている。

美青: カフェラテ、お願いします。

低く落ち着いた声が、店内の穏やかな空気に溶け込む。

彼女は最近、このカフェに通うのが日課になっていた。仕事帰り、疲れた心を癒すために立ち寄る場所。そんな日常が続く中、今日だけは少し違う理由で訪れていた。

それは、いつも同じ時間にカフェの隅に座る一人の男性の姿を目にするからだった。

その男性、○○は長身で、少しくたびれたビジネスバッグを手にしていた。カウンターではなく、いつも決まった隅の席でノートパソコンを開いている。スーツ姿は整っているが、どこか疲れた表情が印象的だった。

気づけば、彼を見ることが日々の楽しみになっていた。話しかける理由などなく、ただお互いが存在する空間を共有しているだけだった。

美青: ……今日は声をかけてみようかな。

心の中でそう呟いたが、手元のカフェラテを眺めるばかりで、行動には移せなかった。

それから数日が過ぎ、カフェにはいつもの彼がいなかった。

美青: 今日は来てないんだね……。

自分でも驚くほど寂しい気持ちが胸を締めつけた。会話どころか、名前も知らない相手。それでも、彼の姿がないだけで、カフェの空間がどこか冷たく感じられた。

その日、カフェを出た後、美青は何となく街を歩き続けた。薄暗くなる夕方、風が冷たさを増していく中、偶然目にした公園のベンチに彼の姿を見つけた。

美青: ……こんばんは。

突然声をかけた美青に、彼は驚いたように顔を上げた。

○○: あ……こんばんは。

声をかけてから気づいた。自分は何を話せばいいのだろう、と。だが、そんな美青の戸惑いを察したように、彼が笑みを浮かべた。

○○: もしかして、カフェでいつも見かけてましたよね?

美青: え……!気づいてたんですか?

思わず赤面しそうになるが、相手の柔らかな表情に心がほぐれた。

それから二人は公園のベンチで短い会話を交わした。彼が仕事の合間にカフェに立ち寄る理由。最近の仕事が忙しく、少し休息が必要だったこと。そして、美青がカフェラテを注文する声に、どこか安らぎを感じていたこと。

○○: でも、あなたは僕なんかと違って穏やかな毎日を送ってるように見えます。

彼の言葉に、美青は首を横に振った。

美青: 私も色々あります。でも、カフェであなたを見ると、なんとなく頑張ろうって思えたんです。

素直にそう告げると、彼は少し驚いたような表情を見せた後、小さく頷いた。

次の日から、二人は自然と一緒にカフェへ通うようになった。互いに名前を教え合い、仕事の悩みや些細な日常の出来事を共有する。

季節は移り、カフェの窓から見える景色も紅葉から冬へと変わっていく中、美青の心には一つの想いが芽生えていた。

美青: 私、彼のことが好きになってるんだろうな……。

だけど、その気持ちを伝える勇気は、まだなかった。

ある日、○○が仕事の都合で遠くへ引っ越す話を切り出した。

○○: すごく迷ったけど、挑戦してみたい仕事が見つかって。

彼の表情は明るかったが、美青の胸は締めつけられるような痛みを感じた。

別れの日、二人はいつものカフェで最後の時間を過ごした。

○○: また会えたらいいね。

美青: うん……絶対。

そう約束したが、彼の姿が見えなくなると、涙が止まらなかった。

季節は巡り、次の春。美青はまたカフェに通っていた。

そこで再び聞こえた声。

○○: 久しぶり。

振り向いた先には彼がいた。笑顔とともに、美青の元に戻ってきた彼の姿が。

美青: ……おかえり。

彼女の低く落ち着いた声が、またカフェの空間を満たした。

二人は再会の喜びに浸りながら、カフェの席に座った。○○が向こうでの生活を語るたび、美青の胸に少しずつ安堵と温かさが広がっていく。

○○: ずっと気になってたんだ。こっちに戻ってきても、君がまだこのカフェに来てるかどうかって。

美青はカップを手に取り、少し笑って答えた。

美青: 私も……また会えるかどうか、わからなかったけど。でも、来ててよかった。

短い沈黙のあと、彼が少し照れくさそうに視線を落とした。

○○: 実はさ、あの時からずっと伝えたいことがあったんだ。

美青はカフェラテを飲む手を止め、彼の顔をじっと見つめた。その真剣な表情に、鼓動が一段と速くなる。

○○: 美青さんが、僕にとってすごく大事な人だって気づいてた。でも、仕事のことで頭がいっぱいで、その気持ちに向き合うのが怖くて……。

彼は息を吸い込んでから、再び口を開いた。

○○: でも、離れてみてわかったんだ。君がいない毎日は、本当に味気なくて寂しかったって。

美青の心は、まるで壊れそうなほどに揺さぶられた。自分もずっと同じ気持ちだったのだと、胸の奥で強く感じていたからだ。

美青は意を決して、彼に向き直った。

美青: 私も……あなたがいない毎日が、こんなに寂しいものだなんて思ってなかった。

言葉を紡ぎながら、手が少し震える。彼の目が、優しく自分を見つめ返していることに気づいて、少しずつ心が軽くなっていった。

美青: だから、これからは……一緒にいてくれる?

彼は一瞬目を見開いたが、すぐに柔らかい笑みを浮かべて頷いた。

○○: もちろんだよ。これからずっと、君のそばにいる。

その日のカフェを出たあと、二人は手を繋いで歩いた。街路樹の間を吹き抜ける風が、冷たさよりも心地よさを運んでくるようだった。

未来はまだどうなるかわからない。けれど、今だけは確かに、お互いがいることで心が満たされている。それが、二人にとって何よりも幸せなことだった。

それから数年後、二人は同じカフェで再び席についていた。

美青: なんだか久しぶりな感じがするね。

○○: そうだね。でも、ここは変わらない。落ち着く場所だよな。

隣には、小さな赤ちゃんを抱いた美青の姿があった。

美青: あの時、勇気を出して話しかけてよかった。今思えば、あの一言が全部の始まりだったんだね。

○○は赤ちゃんを覗き込みながら微笑んだ。

○○: 本当にそうだね。これからも、この場所が俺たちの特別な場所であり続けるんだろうな。

窓の外には、桜が咲き誇る春の景色が広がっていた。

美青: ……これからもよろしくね。

その一言に、彼は力強く頷いた。

○○: こちらこそ。

新しい命と共に始まった二人の未来。季節は巡り、これからも何度も変わっていく。けれど、このカフェが二人の物語の始まりであり続けることは、きっと変わらないだろう。

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