World Travel Log 2023.12-4
27歳、世界一周中のログ。
12/25 (月)
最悪の目覚め。メリークリスマス。今日は朝からマチュピチュに移動しなければならない。熱が下がらないが、解熱剤を飲んで身体を騙しながら移動。意外と嘔吐は治ってくれている。
死にそうな顔で電車とバスに揺られながらマチュピチュへ移動。たぶん客の中で1番具合が悪いのが私。
宿に着いた途端にベッドに傾れ込む。明日も解熱剤を飲んでドーピングをするしかない。
2500m以上の標高で高山病を発症する人は約20%、3500m以上では約40%らしい。メキシコシティで既に頭痛を感じていた私はたぶん割とマイノリティ。身体は丈夫だと思っていたが、それも日本という限られた環境での話だった。
12/26 (火)
今日は朝からマチュピチュへ。バスに揺られてマチュピチュの入り口へ向かう。解熱剤を飲んだので幾分か具合が良い。(良いというか悪くない、程度)
早朝のマチュピチュは霧だらけだった。しばらく経つと雨が降ってきて全身びしょ濡れに。レインコートを買ってくるんだった。
そのあとはワイナピチュへ。ワイナピチュは3000mほどの山で、マチュピチュ全体がとても綺麗に見えることで有名。登頂には2時間ほどかかるそうだが、病気がちな我々はたっぷり4時間かけた。20歩歩いては3分休憩するようなペース。
山頂や途中の写真スポットで中国人と思われる人(中国語を話しているアジア人ぽい見た目のグループ)たちの行動が印象的だった。割と行列が出来ている中、15分ほどひたすら写真を撮り続ける。次の人が催促してもお構いなし。たくましい。
文化的な差異がとても興味深いなと思う。日本人は周りの目を気にしすぎだと思うけれど。あと中国も広いので、たぶん年代と地域によっても多様なんだろうな。中国が強靭な官僚国家でなければ、ヨーロッパの用に小国が集まった地域になっていただろう。
写真を撮っていた集団と少し話して仲良くなった。すごく陽気でフレンドリーで良い人たちだった。
自分の家庭の過去を振り返ると、結構嫌中気質があったなと思う。CAをしていた母はいつも中国人の態度に文句を言っていたし、父は右寄りの人間なので中国政府や中国人への批判は日常的にあった。それを聞いて育った兄は、中学生くらいから「中国嫌い」と口にしていた。母のケースはともかく、兄については、行ったこともない国の会ったこともない人のことをなぜそんなに嫌いになれるのか、小さい私は疑問に感じていた。(在日の方に限ればもちろん会ったことはあると言えるが)とはいえ、私は別に彼らの意見に反対意見を示せるほどの意思は持っていなかった。
大学生になって国際教育をかじったり、体系的に人権問題に触れたあたりから、家庭でのそれが明確に「差別」であったことを意識することができた。小さい頃感じていた違和感が間違いでなかったことを確かめられた瞬間だった。(その後父親に「それ、差別だよ」と言えた時のことを今でも覚えている)
何にせよ、親の呪いみたいなモノって多分みんなある。そこから解放されていく感覚。ただこれが気持ちいいのか、嬉しいのか、楽しいのか、悲しいのか、よく自分でもわからない。
親を親としてではなく、ただ1人の人間として見ることができるようになっていくのって、とても自由になる感覚があるよなと。たとえ楽でも時間があっても、学生時代に戻りたいとは思わない。たぶんそれは親を親としてしか見られていないからなんだろうな。
小学校から高校まで同じだった友人が、大学生になってから在日韓国人であることをSNSで明かしたことを思い出す。その年齢まで明かさないことを選択したご両親の気持ちを想像する。想像しかできないので真実はわからないが。在日中国人や韓国人、その子孫の人たちへの差別問題、まだ知識が浅いので帰国してから学びたい。
いつか中国全土を周る旅もしてみたい。料理を学ぶならやっぱり中国は外せないしね。
登頂の末見えたマチュピチュはとても神秘的だった。夕方から夜にかけてクスコに帰った。
12/27 (水)
何をしたかあまり覚えていない。たぶん高山病で苦しんでいる。
12/28 (木)
発熱が止まらない。この日もたぶん高山病でひたすら寝たきり。健康の大事さは失って初めて気づく。
12/29 (金)
私が少し復活。近所のコンビニまで歩いて行けるように。でも坂を登って帰る頃には息切れし、体力ゼロに。
バナナ、りんごなどのフルーツ、オレオ、スポドリ、水だけを摂取する日々。
オレオは少しずつ齧って味わいながら食べると、めちゃくちゃカカオの味がして美味しい。
12/30 (土)
ようやくご飯を食べられるようになってきたので、日本食レストランへ。味噌汁は美味しかったが、カツ丼はボリュームがなく、味もイマイチ。ご飯は全ては食べきれず。
12/31 (日)
今日は大晦日。朝から身体がだるいのでゆるゆるとスタート。日本人経営のレストランで年越しそばと照り焼き丼を食べた。本格的な味で、大満足。身体が弱まっていると現地料理へのチャレンジ意欲も削がれる。
夜はカウントダウンを観に中央広場へ。カウントダウン前から花火が上がりまくってて、いつ年を越したのか全然わからなかった。
「日本人にとってクリスマスはどんな感じ?」と聞かれた際、「クリスマスはカップルイベント。年末年始の方が日本人にとっては大きなイベントかな。」と答えたら、「へー!花火を上げたりパーティーしたり?」と言われたのを思いだす。そういう派手さじゃないけど、大きなイベントなんだよなあ。でも海外にいるとしみじみ「大きなイベント=パーティー、花火、ダンス、酒、クラブ」というのがスタンダード寄りなんだなと。日本の島国っぽさを毎度ながら感じる。
自分は花火や爆竹の大きな音がすごく苦手だ。花火大会みたいに「場所」と「時間」が固定されているものはまだいい。でもその辺の道端でいつどんな風に爆竹が始まるかわからない状況にすごくストレスを感じる。パートナーは耳を塞いでる私を見て呆れていた。たぶんビックリ系のホラー映画が苦手なのと根本は同じ。予測できない、かつ安全が保証されていない状況がとてもストレス。
新年の抱負は健康に生きること。
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