穴があったら入りたい新人保育士時代の話
ご覧いただき、ありがとうございます☆
保育と療育を考える専門家りょうこです。
今日は、保育士新人時代のエピソードをお話ししようと思います。
28年前を振り返る
大奥の世界へ
幼い頃の私は、それはもう天真爛漫で
大人の前でニコニコしては頭を撫でられ、
尻尾を振るような女の子でした。
それが、いつからか
いや・・・
明確に変わったのは中学2年。
自分の夢が一刀両断されたあの時から
私は人と距離を置くようになって、変に達観したような性格になりました。
▶︎▶︎▶︎その頃のエピソードはコチラ
そのまま学生生活を終えて一度はOLになりながらも、夢だった保育園で社会人受験生として働き始めたわけですが、
保育園というのはご存知の通り、女性多数の職場。
当時、私が働いていた保育園も園長先生以外は全員女性。
さらに私には”同期”がいなかったので、たった一人で大奥の中へ入っていったようなものでした。
ひどい新人
異例の経緯で入ってきた無資格の”見習い”。
人と距離を置くような性格。
これだけで十分に不利な要素が揃っているにも関わらず、この頃の私は
こんな新人でした。
正直、分からないことを聞けるような雰囲気ではなかったことや、教えてくれる人がいなかったことも原因だとは思います。
だとしても。
だったとしても。
ひどかった。本当にひどかった・・・。
一人で25人の年長クラスを担任していた頃に、定年退職する主任から言われたことを、今でも覚えています。
恥ずかしい話、言われた時はピンと来ていませんでした。
そのあと何年か経って、ふとした時にその意味が分かったのです。
感謝するということ
日常のひとコマ
もともと頭痛が頻繁で鎮痛剤を常備していた私は、ある日、薬を切らしていたタイミングで痛みが始まってしまいました。
後任の主任も頭痛持ちだったので薬を分けてもらい、そのあと滞りなく保育を進めることができました。
それから何日か後、今度は主任が「薬を分けて欲しい」と頼みに来たので、快く手渡しました。
翌日、
「昨日は貴重な薬をありがとうね。」と、封筒の形に折られた千代紙を渡されました。
中には、昨日渡したものと同じ鎮痛剤が1回分入っていました。
その時、私はハッとしたのです。
なんという心配りなんだろう。
私は思い付きもしなかった・・・。
当時の私は、自力で保育士資格を手にしたという自信や、一人で20人以上の子どもたちを保育しているという自己肯定感ばかり強くて、日常的なやり取りの中にある”感謝の気持ち”をちゃんと表していなかったと気付いたのです。
謙虚とは
その他にも、主任から借りたものを机の上に返した時には
と言われたこともありました。
貸したものが机の上に置かれたまま返されていたら、良い気分はしない。
自分は返したつもりでも、それは返したことにならない。
主任との様々なやりとりで、今まで当たり前のようにやり過ごしてしまったことを思い返すと、とても恥ずかしくなりました。
初代の主任が私に言ったことは、もしかしたらこういうことだったのかもしれない。
当たり前の感謝を示すこと、ちょっとした心配りができること。
私には、それが欠けていたのです。
最後に
あとから思えば本当に未熟で、ひどい新人時代でした。
二人の主任と出会わなかったら、きっとここまで保育士を続けて来られなかっただろうと思っています。
簡単なことすらできていなかった私が、人を指導する立場になった今でも覚えている、新人時代の苦い思い出です。
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