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外国人としてのレンズで眺める日本 【#9】

透明都市・東京で生まれ育つこと 5/30(mon.)

決めれば、迷わなくなる

朝からすごい記事に出会ってしまった。『ジモコロ』にて友人でもある小林直博くんがロングインタビューに答えた記事だ。

「僕は『ここを出ない』って決めたんです。決めたら、迷わなくていいですから」

前半に飛び出した言葉に痺れる。なぜ、生きるのが困難な豪雪地帯に住み続けることにしたのか。それは生きることを肯定するため。人生に正解なんてない。共感と発見に満ちた小林くんの思考と言葉。

ぼくとは対極の人生なのに、思想がとても似ていて、すごく不思議な気持ちになった。 ぼくは東京のど真ん中が地元ということになる。考えてみれば、東京は便利さがデフォルト的な飽和している。便利すぎて不便だし、なんでもありすぎて何にもない。東京は透明な都市なのかもしれない。だから、もちろんアイデンティティなんてない。 

たとえば、ぼくがこの『世界を相対化する技術』というマガジンを通してやろうとしていることは、小林くんとは別のアプローチで、人生を肯定しようとしているのだろう。地元=居場所を探すため、世界をぶらつきながら、世界を相対化するというコンセプトを持って、生きてるのかも、と。

ちょっと話は変わる(もしかしたら根っこでは繋がってる)。 ぼくにはメキシコとドイツに親友がいる。ひとりは起業家、もうひとりは医者。二人とも飛び抜けて優秀なグローバルエリートだ。なのに、数年前ぼくが苦しめられていたメンタル不調に二人とも苦しんでいる。

もしかしたら自分の身に降りかかったこの病気は、わりとグローバル規模で、かつ普遍的な病として広がっている気がしてくる。ほぼ全人類が資本主義の網の目の中にいるのは間違いないけれど、それとの距離感次第でトレードオフとしての代償が計り知れない。もしかしたら、地方のマイルドヤンキーライクな生き方こそ幸福なのでは説だったり、ブルシットジョブの論にも繋がる話とも言えそう。

そうしたモヤモヤに対して、揺さぶりをかけながら、癒してくれる記事だった。

記憶とAirPodsを失う飲みポ

昨日お会いしたばかりの、じぇいそるさんの妹さんであるなちょすさんに連絡をとり、秋葉原のネコカジにいらっしゃるとのことで、遊びに行った。

日本のアミューズメントに遊びにくるのは二回目だ。ポーカー自体もしばらく休んでいたので、三週間ぶりにプレー。最初に参加したトナメはあえなく散り、そこからキャッシュで遊んだ。夕方頃、一番弟子の小原さんが合流。少しポーカーで遊んでから、焼肉をご馳走になる。

食事を済ませると、小原さんが「まだポーカーをやりたい」と言うので、再びネコカジへ舞い戻る。そこからネコカジが閉店する24時までやり続けた。すると、じぇいそるさんのYouTubeの動画を通じてぼくのことを知ってくれていた方が声をかけてくれたので、六本木へ場所を移し、朝までポーカーをやろうということになった。

飲みに飲んで、最後の方が記憶が飛んでいる。けれど、終わったときにはあり得ないくらいのチップ量になっていた。どうやって増やしたのか、一切思い出せない。

普段、ガチのカジノでやるときはこんなにお酒を飲まないので、飲むわけがないので、仲間内で飲みながらやるポーカーもこんなに楽しいものだと知らなかった。これはこれですごく盛り上がる。日本に滞在している間、何度でも行きそうだが、飲み過ぎには注意しなくちゃならない。どうやって家に帰宅したのか、一切の記憶が欠落している。怖い。そして、AirPodsを失った。

人生を推進させ、展開をつくり、角度をつける 5/31(tue.)

ビジョンをつくる過程にこそ宿るバリュー

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