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ポーカーと人生とアート

ポーカーでは、まず二枚のカードが配られる。

ここで早速、想起されるのがスヌーピーのかの有名な名言「配られたカードで勝負するしかないのさ(You play with the cards you're dealt.)」だ。

配られたカードで勝負するしかないので、プレイヤーは、どんなカードで勝負に挑むのか、常に選択を繰り返していく。

基本的に勝負に値するカードが配られることの方が圧倒的に少ない。だから、ポーカーを中長期でプレーするにあたり、「忍耐」が最重要な素養の一つとなる。

ときには、一切ゲームをプレーすることなく1〜2時間テーブルに座り続けていることだってザラだ。

さて、勝負ができるに値するカードが配られたら、フロップ(ディーラーが最初に開く三枚)を見に行こう。

自分がなにを持っているかではなく、相手がなにを持っているか

自分の手札とフロップを照会してみて、すでにペアがあるのか、ストレートやフラッシュに発展しそうなのか。四枚目に開かれるカード(ターン)と五枚目に配られるカード(リバー)で戦況がどうやって転んでいきそうなのか、不確定性を受け入れながら次の瞬間の未来に向けた戦略とアクションを立てていく。

ポーカーにおいては、自分が持っているカードよりも、むしろ他のプレイヤーが持っているカードの範囲(レンジ)を想定(リーディング)することの方が重要だ。

仮に自分のカードと場(ボード)に出ているカードが絡み切っていなくとも、相手のレンジをリーディングした上で、時と場合によってブラフで相手を降ろすことだってできる。

ブラフを目的としたベットが相互に飛び交うため、最後のリバーカードが開き、お互いにカードをショーダウン(見せ合うこと)して、勝敗を決することは意外に少ない。ショーダウンに向かう前に、プレイヤー達がみんなフォールド(降りること)してしまうことが多いからだ。

ランナーランナー・バッドビート・ティルト

さて、昨日起こった出来事を書き留めておきたい。

ぼくは二度、ポーカーのプリフロップ(フロップが開かれる前の二枚のカードしかない状態)では最強カードであるA,A(エーシーズ)が配られた。

しかも、二回ともフロップでセット(ボードでAが出たことによって、スリー・オブ・カインドの役が完成している状態)が刺さった。もちろんストレートやフラッシュにまくられることはあるにせよ、基本的には猛烈に強い役が完成したことになる。

ぼくは二回とも、相手のスタック(チップ量)がショートだったこともあり、オールインを選択した。一度目はランナーランナーでストレート、二度目もランナーランナーでフラッシュを引かれて、逆転された。いわゆるバッドビート(低確率で運悪く逆転されてしまうこと)である。

ちなみに、「ランナーランナー」とはフロップの時点ではなにも役がないけれど、ターンとリバーで連続で役が発展することを指す。「バックドア」とも呼ばれる。まあ、長時間ポーカーをプレーしていればあるあると言えばあるあるだけれど、引かれる側からすると辛いものがある。

ここで、精神を平常に保てるかどうかが、ポーカースキルのコアにある。オッズ(確率)計算をしたり、GTO(Game Theory Optimal)と呼ばれるナッシュ均衡におけるべき論を抑えていたり、相手のプレー特性に合わせて隙や弱点(リーク)を突く(エクスプロイト)したり、ポーカースキルのあれこれはもちろんある。けれど、ベーシックな部分で一番重要なのがメンタルコントロールである。

強烈なバッドビートで大きなポットを落としたあとも平静を失わずにいられるか。チップを取り返そうと躍起になり、普段ならプレーしないハンドでゲームに参加してしまっていないか。オッズが合わない、普段ならフォールドしなければいけない場面でコールしてしまわないか。無理のあるブラフをしていないか。

上記のような状態に陥ってしまうことを「ティルト」と呼ぶ。感情を持つ人間であれば、「嘘だろ?」と疑いたくなるほどのバッドビートを喰らえば、大なり小なりティルトの影が迫る。動揺せずにいられないなら、一度テーブルを離れて、頭をクールダウンするのが賢明だ。完全に切り替えて、前を向いたのなら、再び着席して再開だ。

スポーツとゲームにみる、アナロジー

さて、ここまでポーカープレイヤーであれば、ある意味で当たり前のことというか、日常の風景をつらつらと書き連ねてきた。

ただ、今回のnoteで書いたポーカーにまつわる一連のあれこれは、そのまま人生にも当てはまるアナロジーだな、とふと思った。

人生も同じく、産まれ落ちると同時にカードが配られる。たとえば、国や親などはランダムな初期設定だろう。まあ、とりあえず配られたカードで自分自身の人生を生きていく以外の選択肢はない(ポーカーはフォールドできるけど、どこかの時点でカードを選び、信じ、ゲームに参加しなくてはならない)。

さて、フロップが開く。

トップペアトップキッカーなら自信を持って勝負ができるのか。ツーペアなら自信を持ってオールインできるのか。答えは、神様だって分からない。

ポーカーをポーカーたらしめるのは、ターンとリバーがあるからだ。たった一枚新たに開かれるカードが状況を一変させ、プレイヤー間の力関係を、ときに無慈悲なほどにひっくり返す。

もちろん、ポーカーでは戦略やスキル、そして胆力が必要だ。それでも、ゲームの基底を成すのは確率だ。

どんなにポーカーが強いプレイヤーも確率を操ることはできない。

だから、ドロー(ターンやリバーで強い役が完成するかもしれない状態)をどこまで追いかけるのはプレイヤーの特性による。相手の特性や場の空気感を読んで、オールインを仕掛けるタイミングも、フォールドするタイミングもある意味でアートだといえる。その時点における絶対的な正解はないのだから。

ポーカーほど状況が明示的に示されることはないにせよ、人生も大きな目で捉えると似たような様相を呈してはないないだろうか。

ブラフ、フォールド、オールイン、ランナーランナー。

ひとつひとつのポーカー用語は、アナロジーとしてそのまま人生のそれに当てはまる気がする。

人生もポーカーと同じく戦略や胆力が問われるのかもしれない。確率=偶有性の海を漂いながら、意思決定と行動を繰り返す。けれど、絶対的な正解があるわけではないから、生き方のデザインそれがアートでもある。

で、こういうアナロジー思考で「人生と一緒だな」と思うのは結局どんな物事でもそうなんだろうと思う。

なにか一つの事柄を奥底まで突き詰めていくと、必ずこうした共通項が浮かび上がる。今回はたまたまポーカーだっただけで、どんなスポーツやゲームにせよ、一定のルールを持ち、運要素をはらむその全ては、どこで必ず人生と似てくるのではないかと思う。


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長谷川リョー
ケニアで無職、ギリギリの生活をしているので、頂いたサポートで本を買わせていただきます。もっとnote書きます。