見出し画像

本当は、山と川と原っぱしかないと思って生きている。

もともと、世界は山と川と原っぱだったんです。
そこに人間が膨大な時間と労力と情熱をかけて「社会」を築いき、いまもその社会はむちゃくちゃなエネルギーを放ちながら細分化し、拡張してます。
で、僕はこの「社会」に生きることは、ゲームみたいなものだと思ってます。

どんなステージ(社会の仕組みとか時代)に生まれるか、先天的にどんなプロパティ(外見とか能力とか)、いわゆる戦闘力や防御力を持って生まれるか、自分で決めることは出来ないですけど、

僕の場合、昭和50年の日本というボーナスステージに健康体で生まれるというめちゃくちゃラッキーな条件でこの世に登場しました。

なので生まれてから多分死ぬまで、ある程度自分の意思で決めることが出来ます。何をして、何をしないか。どうやってお金を稼ぐか。そのお金を何に使うのか。誰と結婚するか、どこに住んで何を食って何を着て、あらゆることを自分で決めることができます。判断を誤れば、しんどい思いもしますけど、自由です。

ときどき、自分の力ではいかんともしがたい、人類が力を合わせて克服しないといけないようなイベントも発動します。
不況とか、戦争とか、疫病とか、バブルとか、乗るしかないビッグウェーブとか。すべてこの社会の中で発生します。

僕たちは、生まれてから死ぬまでこのゲームのプレーヤーであることからは逃れられないんですけど、スコアは自分自身の「幸福度」だと思うので

資本主義構造の中で色んな競争に勝ち、上位10%に入って物質的に豊かになるとかが幸福じゃなければ、

蜩の声を聞きながら山の中でひっそり暮らすのも自由だし、競争とリスクを避けて低刺激の生き方もできるし、自分の内面とだけ向き合って生きるのも、どんな生き方も自由だと思ってます。

なので僕は、

全てが、自分に与えられた条件の中で下した自分自身の判断の結果だと思っているので、後ろ向きな不満はありません。

あるのは欲望です。

その欲望を満たすために挑戦するかしないか、挑戦するならどうやるか、という気持ちだけです。

不満とか不快が出現したら、それを打ち砕くか、あるいは回避するために行動を起こすか、起こさないか、起こすならどうやるか、というプロセスを起動するだけです。

生まれたら、スタート。
死んだら、ゲームオーバー。
ルールはそれだけ。

但し、もともとは、山と川と原っぱ。
最初にあったのは、それだけ。

いま僕らがプレイしているステージは、人類が長い時間をかけて拡張させてきたもの。なにか人智を越えた出来事が起こってこのステージが消滅しても、山と川と原っぱは、残る。

僕はこういう人生観を持っているので、
けっこう気楽に生きている気がします。

ひとつだけ、忘れないようにしているのは、

このゲームのオプションの中に「命を繋ぐ」という機能があって、いまプレイしている全ての人たちは、連綿と繋がってきた命のリレーのバトンを握っているということ。

つまり僕の後ろには、気の遠くなるような数の、先祖という過去プレイヤーがいる。だから僕は安易にこのゲームを投げ出したり、テキトーにプレイしようとはいう気にはならない。

------------------------------------
written by RYDEN
戦略とクリエイティブの両面から、
強靭なブランドづくりを支援する
株式会社ライデン
https://www.ryden.co.jp/
------------------------------------

いいなと思ったら応援しよう!