これが私の生きる道
気付いたら39年生きています。
田村潔司と桜庭和志がさいたまスーパーアリーナでメインでぶつかった年齢です。
39歳最後の日。
幸い、お休みだったので、
夜更かしをして、いつもゆっくり寝て、いつもよりゆっくりな目覚め。
目覚めて、音楽をSpotifyで流す。
「PUFFY」が流れたよ。
続けてね。
PUFFYは「ふわふわ」したかわいらしい。”当時の「カワイイ」”の象徴。
「花の82年組」から2年
1984年
いわゆる「82年組」ほどの豊作だったとは言えないかもしれないが、4月21日には岡田有希子と菊池桃子が同日デビューするなど、百花繚乱だった1984年。
何もかもが……君のせいさ……Oh!
「時を戻そう」
PUFFYは「90年代」「平成」のある時期の「カワイイカルチャー」を牽引していた、
少し前なら「きゃろらいんちゃろんぷろっぷきゃりーぱみゅぱみゅ」などでしょうか、
「HARAJUKU KAWAII」の牽引者。
『HARAJUKU KAWAII』も古着やアメカジをふんわりと着こなす「フワフワ」
から
「ポップ」に弾けるサイケデリック
今の「カワイイ」のアイコンは『あのちゃん』なのかしら、ある種、「サイコパス」的に
ロード
ちょうど一年前に
39歳を迎えるタイミング、「America」、ユナイテッドステイツオブアメリカに居たらカッコよくない?
っていう、安直で短絡的な思考で、アメリカ、ロサンゼルスにいました。
続きや、色々記事書かないとですね(苦笑い)
この1年で、もう一度、アメリカ行って、サンフランシスコ、ロサンゼルス縦断
ロサンゼルスからフロリダ(タンパ)まで横断、
フロリダからニューヨーク縦断からのフィラデルフィア。
気づけば、その後、「マレーシア」に住んでます。
人生何があるかわかりません。
一寸先は「ハプニング」です。
半年ようやくたったのに、日本に帰りすぎ、行き過ぎです。
「これが私の生きる道」ってことで『推し活』のことはちゃんと書きます。
”プロ推し活のスゝメ”の続きなのか、志し半ばで中断中。休止中なのか?どうなんでしょう。
『推し活』から距離を置き始めた。
「距離思考」を持ったのは”あの日”からのことではあるので。
本当はこの日で卒業するつもりでいたのだけれど
急転直下、個人的なとんでもカードが決定。
今、この方がメキシコに居るきっかけになる、新木場には行かなかったんだ。
この舞台で観たいと勝手に願っていたからね、
ちゃんと、DDTに立たずして、「DDT」してた。
当初の予定と変わって、仙台に行けることに?なったからねw
現役(当時)アイアンマンエビーメタル級王者にラバーストラップを渡すということをアメリカで実行
防衛。を見届ける。
大人になったと言われてしまったけれどw
諸般の事情で店番w
観たい姿が観れた。
だって、このプロレスラーの良いところは「負けっぷり」だもの。
「ベルト」以上に価値があること。
だって、負けて「価値」落ちないの。
こんな「プロレスラー」は稀有です。
チャンピオンになって、さらに「負けられない」ベルトを手にしていてなかなか、
このプロレスラーの「魅力」が観れていなかったのだから。
逆サプライズされた、
アメリカ観にいくの「ちゃんと」伝えてなかったから、
つもりはなかったけれど、サプライズになってて、
この「後楽園ホール」行くこと言ってたのに、教えてもらえなかった。
でも、願ってた姿が観れた。
勝手にいろんなことが報われてしまった気がした。
瞬間。
アイアンマン王者として「DDT後楽園ホール大会」に立つ姿を観れたのは単純に嬉しかった。
アメリカ旅行はある意味の「卒業旅行」だから
旅立ちの日に。
日本から旅立つ日に、
最高のものが観れた。
この日に「日本から発つよ」と伝えた。
正確にはわざと、この日まで言ってなかった。
もう一つの「観れていないシングルマッチの日」はいつになるのか。
観たいのは「緑」の方とのシングルです。
ベルトがかかっていたら、最高だけれど、
そうじゃなくてもいいんです。
この話はこんなところで
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