表現は余白が大事。
表現は余白が大事。
表現は余白が大事。
今日はもうDDTの今年2回目の観戦。
年始は3000円興行で今日はDDT25周年月イチ無料興行の一発目である。
今年は12回、25周年を祝して0円興行でファンに還元するそうだ。
ボクはまだまだファン歴が浅いがたのしもうと思う。
表現は余白が大事。の真意。
ボクはnoteとstand.fmのプラットフォームを使っている。
YouTubeやTiktokはもちいない。
YouTubeやTiktokを薦められるのは事実としてあるし、
まわりもやっていたりする。
YouTubeやTiktokは動画なのでわかりやすく、
受け取りやすい。
だから良いし、
ボクはだから良くない。
「表現は余白が大事。」なのだ、
一方的に自分の主張や真意を表現するには
動画のほうが情報量が多く、
受け手の情報処理も情報処理も容易である。
でも、伝わりやすいとは言い難い。
伝播、伝達はしやすいだろう。
でも、はやさによって正確性が失われがちである。
尾ヒレが付いてしまったり、
伝達に自分のペースが追いつかない。
文章や音声は「余白」があり、「余白」だらけで、
表現の真意より「受け手」のたのしみ方、おもしろがり方が生まれる。
そして受け手が試されるのである。
情報量が多いと"誰でも"をターゲットに出来る。
しかし、"誰でも"に消費されてしまう。
ボクは余白をつくり
余白でたたかいを挑んでいるし、
余白をたのしみ、おもしろがっている。
正解はいらない。
答えとその解法が欲しく、そこを解放している。
答えが間違ってたって良いのだ。
この話はこんなところで
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