叩かれている大澤昇平氏の謝罪が、じつは東京大学情報学環長の謝罪や三浦瑠麗氏よりも優れている理由
この連載で批判し続けてきた東大大澤昇平氏が、本日12月1日午後1時過ぎに謝罪した。
何度も書いてきた通り、東大教員として差別を煽動した責任は甚大だ。大澤氏は自分が行った差別の効果、差別を煽動した社会的効果に対して責任ある積極的な行動をとらねばならない。
しかし残念ながら大澤氏の謝罪は全く不十分だ。
だが考えるべきは、大澤氏の謝罪の不十分さは、大澤氏のツイートについての東大情報学環長の声明と謝罪の不十分さが全く同じレベルであるというところだ(東大情報学環長声明の問題は既に次の記事で分析した)。
それだけでない。大澤氏の謝罪がどれほど稚拙で問題を含んでいたとしても、自分のツイートを使った差別をしないよう(不十分ながら)呼びかけたところは、東大の声明よりも優れているのである。
以下、とりいそぎ大澤氏の謝罪の問題点と注目すべき点について解説していきたい。
適宜東大声明と比較しつつ、4つの検証ポイントに沿って考えていこう。それぞれ①事実調査、②ルール違反という判断、③責任履行、④再発防止、の観点だ(下図)。
(この図を使い、さまざまな差別事件に関する「お詫び」の問題点を批判してきた連載記事があるので、詳しくは下記マガジンをご覧いただきたい)
結論からいうと今回の大澤氏の謝罪は、①と②があいまいなため、右側の欧米型の謝罪にはならず、②ルール違反であるかどうかを曖昧にしたままその場をしのぐために頭を下げる日本型謝罪になっている。
と同時に、自分のツイートを使った便乗差別を諫める発言を行っており、これは注目に値する。
東大大澤昇平氏の謝罪ツイート
大澤氏の謝罪ツイートは連続で5回投稿された。まず各ツイートを読んでいただこう。
では、大澤氏の謝罪を分析していこう。
大澤昇平氏がやっと差別ツイートを削除したことは、非常に遅かったが、評価できる
まず、大澤氏が「中国人は採用しません」などといった差別ツイートを削除したことは評価できる。もちろん11月20日に「中国人は採用しません」と投稿し、10日以上経っているので、遅すぎるとしか言いようがない。だがそれでも、差別ツイートがそのまま掲載されることによる差別煽動効果を考えれば、削除したことじたいは良かったのである。
だが問題ツイートがすべて削除されたわけではない。昨日の記事に書いた差別ツイートのうち、次の投稿はまだ削除されていない。
大澤氏はこのツイートを即削除すべきだ。まだ他の過去の投稿もみなおし差別効果のあるものを速やかに削除撤回すべきである。
検証ポイント①事実の認定と②ルール違反判断:大澤氏は自分のツイートが差別であったと認めていない
次に、大澤氏は自分のツイートが差別であったと一切認めていない。
第一に、批判をうけた差別ツイートなどについて「誤解のあるおそれのあるツイート」としている。これは大いに問題である。差別だと批判を受けたのは、「誤解」だとでもいうのだろうか?
大澤氏のツイートが差別であることは明らかで、それは過去記事にも書いた通りである。
第二に、大澤氏はおそらく「中国人は採用しません」と投稿した件について、AIによる「過学習」によるものだとして、再度AIによって差別の結果を正当化してしまっている(本人がそれを意図しているかは別問題だ)。
これについては、同業界の方から、たとえば次のような批判が起きている。
大澤氏はこのような批判に、真摯に向き合うべきであろう。
大澤氏の謝罪は、11月24日付の東大情報学環長の謝罪と本質的に変わらない、差別を差別だと認めないままアタマだけ下げる日本型謝罪である
大澤氏の謝罪は、差別だと認めないけど謝ります、という典型的な日本型謝罪となっている。
そしてこれは今回批判を浴びた大澤氏の差別に対して、11月24日に東大情報学環長から出された声明と全く同じなのである。つまり①引き起こされた事実が②ルール違反の差別だと判断しないままアタマを下げている点では同じ日本型謝罪でしかない。
大澤氏の謝罪と、東大情報学環長の声明を比較してみると共通点が浮き彫りになる。
まず①事実関係と②ルール違反という判断に関連する表現を比較しよう。
大澤氏の謝罪は、
「当職による行き過ぎた言動」
「誤解のおそれのあると見られるツイート」
となっており、東大声明は次の通りだ。
「特定個人及び特定の国やその国の人々に関する不適切な書き込みが複数なされました。」
もちろん東大のほうが文言は整っている。だが両者とも、①具体的に問題となったツイートを挙げない、②差別だとは書かない、曖昧な表現である点で共通している。
さらに謝罪の文章を比べてみよう。
大澤氏。
「当職による行き過ぎた言動が、皆様方にご迷惑、不快感を与えた点について、深く陳謝します。」
東大。
「こうした書き込みがなされたことをたいへん遺憾に思い、またそれにより不快に感じられた皆様に深くお詫び申し上げます。」
ほぼ同じと言ってよい。典型的な日本型謝罪のテンプレートである。
私は大澤氏の謝罪が、東大情報学環長の声明と同じだということで、大澤氏を評価したいのではない。
逆である。東大が早期に差別に対して厳しく望んでいなかったからこそ、大澤氏の謝罪がここまで甘いものになってしまった責任を東大は猛省すべきであろう。
じっさいに11月24日東大声明が氏のツイートを差別だと判断しなかったために、同日と翌日にかけて早々と公表されたマネックスグループなど寄付を取りやめた企業3社すべての声明も、東大声明を引き写し、中国人は採用しないなどといった露骨な差別さえ差別だと判断することを避けた表現となったのである。
検証ポイント③責任の履行:①自分が行った具体的な言動を②ルール違反だと判断していないために、③責任履行は全く不十分となっている
図を再掲するが、①事実認定と②ルール違反という判断が無い限り、じつはどんなにいいことを言っても、③責任履行と④再発防止措置は極めてあいまいなものにしかならない(赤い矢印はそれを表現している)。
大澤氏は次のように決意表明している。
二度と特定の人々に悲しい思いをさせぬよう、諸先輩方のお力添えを受けつつ、人権、歴史、社会について勉強をし直す所存です。
何卒、ご指導ご鞭撻のほどよろしくお願いします。
だがこの決意表明は、社会的に受け入れられるものだろうか? 信じてもらうのは困難というほかない。なぜなら大澤氏がいまだに「中国人は採用しません」などといったツイートが差別だったと判断を下しそれを表明することを、避け続けているからである。
じつは①事実をみとめて、②ルール違反という判断を下すという2つのステップは、社会からの信頼をとりもどす最初のステップなのである。
それなくして、上の決意表明はうつろに響くばかりだ。
大澤氏は一般社会人のモラルだけでなく、東大教員としても、企業経営者としても、二重に高いモラルを求められていることを忘れるべきではない。
検証ポイント④再発防止措置:不十分ながら自分のツイートを使って差別するなと公言した大澤氏は、東大情報学環声明や三浦瑠麗氏よりも優れている
大澤氏の最後のツイートは注目に値する。
腰が引けた、弱弱しい、慎重すぎる言い回しではある。
だが大澤氏は明確に「当職のツイートを差別に用いること」をやめるように呼びかけている。
いちおう、これは私が11月22日付で緊急に提言したアクションプランの、下記部分に沿ったものといえるだろう。
④再発防止措置。
A自分のツイートを使って中国人ほかマイノリティを差別をしないよう、ツイートで呼びかける。またサイトでもそれを公言する。東大の研究室にもサイトにもそれを掲示する。
大澤氏はもっと積極的に、自分の過去の言動をつかって、とくに中国人を差別することをやめるよう発信すべきである。
このように、差別をしてしまった人物が、自分の差別が及ぼす社会的マイナス効果にコミットメントし、便乗差別をやめるよう呼びかけることは、ぜったいに必要である。とくにツイッターという拡散力が強く差別規制が弱いSNSで差別した人物の場合そう言える。
東大教員の肩書を持っている人物が自分の差別ツイートを削除した上で、自分の差別言動を利用して便乗差別しないよう呼びかけたことじたいは、当人が引き起こしてしまった差別煽動効果を東大教員の肩書を使って抑制し、同様の差別を再発防止する効果があるといえる。
(※もちろん差別を反省せず、意図的に確信犯的に差別を煽動する極右などが、欺瞞的に差別に反対するケースなどでは話は変わってくるだろう。)
そしてこの点で、大澤氏の謝罪はどれほど稚拙にみえようとも、東大情報学環長の11月24日付の声明・謝罪よりも優れているといってよい。言い換えれば東大の差別への態度があまりにも甘いために、それは大澤氏の差別への態度と比べても劣っているのである。
東大も大澤氏も、差別に対していい加減に誠実な対応を取るべきだ。すべきことを11月22日付で緊急に提言してあるのでぜひ参考にしていただきたい。
そのほか、大澤氏の謝罪について、言うべきことは多い。たとえばAIを使って再度差別を肯定したり、中国政府の人権侵害への憤りによって差別を正当化したりするかのようなツイートが散見されるが、これについては時間の関係上今日はとりあげない。
東大三浦瑠麗氏はいまからでも大澤昇平氏を見習ってご自身の「スリーパーセル」発言で差別しないよう呼びかけるべきだ
これまで大澤氏の謝罪を検証してきた。
私見では、大澤氏の謝罪が不十分であることを叩くこともとても大事なのだが、上に詳しく書いた通り、差別の効果に着目し、二次的便乗差別を抑止するベクトルが大澤氏の謝罪にあることを重視すべきだと思う。
そして東大や東大教職員・学生が、差別の社会的効果、煽動効果への対処という発想を、ほとんど欠落させている、という現状を直視しなければならない。
だからこそ、緊急提言でも詳細に批判した、三浦瑠麗氏の2018年2月の「スリーパーセル」発言で差別を煽動した問題は、東大も東大教員も公的には何のアクションもとらなかったのである。それを放置した東京大学の責任が問われねばならない。
大澤氏の不十分な謝罪を引き合いに出して私は次のように三浦氏に呼びかけた。
今回の大澤昇平氏の謝罪が興味深いのは、自分のツイートが差別だと認めてはいないのにもかかわらず、自分のツイートを使って差別するなとはいえるということだ。
盗人猛々しい。
と私は思う。だが無いよりは良い。
たとえば上のツイートのように大澤氏のツイートを前例にして、三浦氏に対し、三浦氏も自分のツイートを使って差別を煽動しないようよびかけることもできるのである。
三浦氏に私は昨年から同じことを要求し続けてきた。
うえの①と②が無理ならば、③だけでもアクションをとる意味があるとも言い続けてきた。
三浦氏がなにもせず、大澤氏が謝罪したのは、単に三浦氏への批判があまりんも弱いからにほかならない。
今回の大澤氏の差別事件で得られる教訓としては、差別を放置する東京大学に、一人一人が声を上げるということは、とても大きな意味がある、ということだ。
今回のように、みんなが声をあげていれば、昨年の三浦瑠麗氏もせめて反差別を呼びかけるぐらいのアクションをとっていたのではないだろうか?
英語圏のSNSのように、積極的に差別した有名人や、差別を放置する大学や政治家を、どんどん批判しよう。SNSでの第三者介入こそ、いまや世界で極右の台頭をふせぎ、政治家のヘイトスピーチをやめさせ、あるいは行政や大学の弱腰を叱咤する極めて有効なアクションなのである。