東大特任准教授大澤昇平氏のヘイトスピーチ(3)「学環・学府特任准教授の不適切な書き込みに関する見解」が悪質な日本型謝罪になっている理由

東大特任准教授である大澤昇平氏が、ツイッターで「中国人は採用しない」(2019年11月20日)等とヘイトスピーチを拡散している件で、多くの人が抗議の声を上げていた。

それを意識してであろう、本日11月24日付で、大澤氏が所属する東京大学情報学環・学祭情報学府(以下、情報学環)の長である越塚登氏の名で、「学環・学府特任准教授の不適切な書き込みに関する見解」というコメントが発表された(以下、「見解」)。

休日である日曜日に、比較的早いタイミングで(11月20日から4日後)、東大がコメントを出したということ自体は評価できるだろう。抗議の声を上げるのには意味があるのである。

だが公表された「見解」の内容はたいへん不十分なものだ。

日本では差別事件に対して緊急に声明が公表されることもまだ少ないだけに、声明の問題点を指摘し、状況の改善を促したいと思う。

結論からいえば、「見解」は、

①大澤昇平氏の差別ツイートを差別だと判断することを避けている。
②大澤昇平氏の差別ツイートを大澤氏個人の責任にして、東大と情報学環の責任を完全に否定している。
③東大憲章を引用し差別を許さないと言ってはいるものの、大澤氏の差別を批判することが一切ない。そしてこのブログでも強調してきた、東大教員の肩書を持つ大澤氏の差別による便乗差別などの社会的効果の危険性については一切何の言及もない。
④しかし「お詫び」だけがある。それは差別を防止できなかったことの謝罪ではない。「不快に感じられた皆様に深くお詫び」する日本型謝罪にほかならない。

なお、「見解」を批判する観点は、11月21日に書いた私の下記の緊急提言で重視した、差別の社会的効果をいかに抑制するか、というものである。東大が有している責任とは、大澤氏の差別によって発生し続けている社会への負の効果を、いかに抑制し便乗差別を防げるかというポジティブな応答責任だったのである。

差別の負の社会的効果をどのように抑制できるか、という観点からみたばあい、東大の情報学環長の「見解」は早期に出されたにもかかわらず(しかも休日中に)、現状ではほぼ無意味であると言わざるを得ない(せいぜい大澤氏が発言を控える可能性があるぐらいだ)。

もちろん、今後東大や東大教員はじめ関係者のポジティブな行動次第では事態が改善する余地もまだ残されている(上記緊急提言で私は、東大がすべきアクションを提案したので当該部分を末尾に再掲する)。だがそのためにこそ「見解」が抱える問題を明確に批判する必要があるのである(深い考えもなく、手放しで今回の「見解」を評価している大学関係者が散見されるだけに余計に重要である)。

東大教員はじめ関係者の責任履行を期待したい。

では「見解」を検証してみよう。

学環・学府特任准教授の不適切な書き込みに関する見解(全文引用)

まず「見解」を全文引用する。読んだ方は飛ばしていい。

November 24, 2019
学環・学府特任准教授の不適切な書き込みに関する見解

SNS等におきまして、東京大学大学院情報学環・学際情報学府(以下、学環・学府)の特定短時間勤務有期雇用教職員(特任准教授)による、特定個人及び特定の国やその国の人々に関する不適切な書き込みが複数なされました。

これらの書き込みは、当該教員個人または兼務先組織に関するものであり、学環・学府の活動とは一切関係がありません。

東京大学憲章では、「東京大学は、構成員の多様性が本質的に重要な意味をもつことを認識し、すべての構成員が国籍、性別、年齢、言語、宗教、政治上その他の意見、出身、財産、門地その他の地位、婚姻上の地位、家庭における地位、障害、疾患、経歴等の事由によって差別されることのないことを保障し、広く大学の活動に参画する機会をもつことができるように努める」と言明しております。

学環・学府は、この理念に則り、国籍はもとより、あらゆる形態の差別や不寛容を許さず、すべての人に開かれた組織であることを保障いたします。学環・学府構成員から、こうした書き込みがなされたことをたいへん遺憾に思い、またそれにより不快に感じられた皆様に深くお詫び申し上げます。

2019年11月24日
東京大学大学院情報学環長・学際情報学府長
越塚登

問題点①大澤昇平氏の差別ツイートを差別だと判断することを避けている

「見解」は4段落あるので、各段落ごとにみていこう。

一段落目で、「見解」はまず、大澤氏のツイートを差別だと判断することを避けてしまった。

SNS等におきまして、東京大学大学院情報学環・学際情報学府(以下、学環・学府)の特定短時間勤務有期雇用教職員(特任准教授)による、特定個人及び特定の国やその国の人々に関する不適切な書き込みが複数なされました。

ツイートは「不適切な書き込み」と表現されている。明確に差別だと書くことを避けている。また人権侵害だという判断も避けられている。

このような声明で、事実をどう判断しているのかは、最大のポイントである。下記過去記事などで繰り返し書いたとおりだ。

もちろん次のような反論があろう。「まだ事件から間もないので、公式の調査がまだであり、調査が済んでからでないと事実は確定できない」などと。

しかし今回の大澤昇平氏の差別は、ツイートという明らかな物証が、しかも公開された形で存在するので、調査するまでもなく「深刻な差別だ」と東大総長や情報学環長が批判することは可能である。

むしろ差別を批判できる条件があるにもかかわらず、差別の批判を避けると言う振る舞い自体が、ネガティブな効果=差別を助長させる、ということが大事である。私はこの程度の「見解」では、大澤氏が調子に乗って差別を繰り返す、あるいが激化させる危険性さえあると考えている。

もちろん東大は、私が緊急提言したように(後で再掲する)すぐに調査チームを立ち上げ(立ち上げるまでもないけれど)結果を公表し責任履行を行えばよい。

東大はいまからでも、可及的速やかに、大澤氏のツイートが差別だと判断しその見解を公表すべきである。

②大澤昇平氏の差別ツイートを大澤氏個人の責任にして、東大と情報学環の責任を完全に否定している

「見解」の二段落目。

これらの書き込みは、当該教員個人または兼務先組織に関するものであり、学環・学府の活動とは一切関係がありません。

これは責任逃れではないか?

緊急提言で書いた通り、東大は氏の差別を防止できなかった責任が問われる。大澤氏の差別発言は大澤氏個人の発言であることは誰にでもわかることだ。

明らかに東大の責任が問われている状況で、東大の責任を否定するという振る舞い自体が、どのような効果を発揮しているのかを考えよう(問題は権力の効果なのだから)。もちろんこの文章は文法上は、差別発言に限定してそれが東大とは無関係だと言っていると読めるのだが、社会的効果から考えた場合、そんな文法上の意味は残念ながら社会には届かないだろう。なぜなら東大が声明で明確に大澤氏の差別を批判し、氏の差別を防止できなかった責任をみとめて再発防止措置などに尽力するという積極姿勢がないからだ。その積極姿勢とセットで「見解」が公表されていれば、上の文章は責任逃れだとは思われず、差別書き込みが東大の立場とはまったく逆なのだ、という意味の文章として読むことはまだしも可能だったろう。

③東大憲章を引用し差別を許さないと言ってはいるものの、大澤氏の差別を批判することが一切ない。そしてこのブログでも強調してきた、東大教員の肩書を持つ大澤氏の差別による便乗差別などの社会的効果の危険性については一切何の言及もない。

三段落目と四段落目は次の通りである。

東京大学憲章では、「東京大学は、構成員の多様性が本質的に重要な意味をもつことを認識し、すべての構成員が国籍、性別、年齢、言語、宗教、政治上その他の意見、出身、財産、門地その他の地位、婚姻上の地位、家庭における地位、障害、疾患、経歴等の事由によって差別されることのないことを保障し、広く大学の活動に参画する機会をもつことができるように努める」と言明しております。

学環・学府は、この理念に則り、国籍はもとより、あらゆる形態の差別や不寛容を許さず、すべての人に開かれた組織であることを保障いたします〔A〕。学環・学府構成員から、こうした書き込みがなされたことをたいへん遺憾に思い〔B〕、またそれにより不快に感じられた皆様に深くお詫び申し上げます〔C〕。

・Aの箇所について

評価できるところがあるとすれば、Aの部分で、東大憲章を引用し「あらゆる形態の差別や不寛容を許さず、すべての人に開かれた組織であることを保障」すると宣言している部分だろう。これが本当に実効的なものになるのなら、東大はその責任を果たすことになるだろう。

だが、非常に心もとない。

既に見た通り「見解」は、ツイートという証拠のある大澤氏の差別に対しても差別だと批判できていなかった。それどころか人権侵害だとも批判できていなかった。

それだけではない。東大憲章を引き写し、それに依拠して差別を許さず開かれた組織であることを「保障」すると謳っているが、しかし肝心の問題は、なぜ立派な東大憲章があったにもかかわらず大澤氏が差別を行ったのか、であったはずだ。憲章があったのに差別を防げなかった責任が問われている場面で、憲章があるから大丈夫、と言っているように思われる。だが差別防止ができなかった原因究明やその反省に立たない限り、問題は何の解決もしないだろう。

・Bの箇所について

その延長線上にBがある。「こうした書き込みがなされたことをたいへん遺憾に思い」。「遺憾」とはなんだろう?

たとえばなぜ、「酷い差別をSNSで行った教員に対しては、東大憲章に反する言動に対して厳しく批判するとともに、今後迅速に調査のうえ、処分を検討するとともに、速やかに再発防止措置を講じたい」ぐらいのことを言えなかったのだろうか?

あるいは肝心の東大の中国人はじめ留学生やマイノリティむけに、「東大憲章に反する言動に断固抗議するとともに、氏が攻撃した中国人はじめ留学生やマイノリティの教職員・学生の皆さんには、もし差別された場合全力で支援するので遠慮なく不安や差別被害があれば相談してほしい、差別なく安心して勉学・教育・研究をとりくめる状況を保障することを約束する」ぐらいのコメントも出せなかったのだろうか?

私には「見解」が、重大な差別事件が起きたのに、差別事件を差別だとも判断せず、ただ憲章を引き写すという振る舞いにみえる。そして東大のその振る舞いは、大澤氏が引き起こした差別のマイナスの社会的効果を抑制すると言う観点からは無力なものであり、声を上げた学内外の人びとの期待を裏切るもののように思える。

その延長線上に、Cがある。

④「不快に感じられた皆様に深くお詫び」する日本型謝罪は、その場しのぎのテクニックでしかない。

学環・学府構成員から、こうした書き込みがなされたことをたいへん遺憾に思い、またそれにより不快に感じられた皆様に深くお詫び申し上げます。

これについては週刊ポストとやり方が同じだ、というほかない。

時間の関係上、以上とする。

最後に冒頭で触れた緊急提言で書いた、東大が取るべき行動の提案部分について再掲する。

(以下、緊急提言より当該部分再掲)

提言③東京大学がすべきこと(緊急提言より)

東大の責任が最も重い。直接の大澤氏の差別行為を防げなかった責任は、東大が国立大学法人で人種差別撤廃条約を守らねばならない当事者であるだけに一層重いし、間接的な大澤氏の差別煽動効果を防止する上でも東大の責任は重大だ。

先の①から④に沿って、東大がとるべきポジティブな責任履行を提案する。

①事実の認定。東大は公的に調査チームを立ち上げて、
 A大澤氏の当該ツイートを調査し、差別があるかどうかを公表すること。
 B東大の、大澤氏の差別ツイートを許した学内体制にどんな欠陥があったかを調査し、東大に差別防止できなかった落ち度がないか調査すること。とくに実効的な差別禁止ルールが存在しなかったことと、三浦瑠麗氏のスリーパーセル差別発言を処分せず声明も出さず教職員研修もしなかったことが、差別発言の再発を招いた事実を認めること。

②違法性の認定。①の結果認められた事実が人種差別撤廃条約に照らしてどのように違反していたのかを判断すること。
 A大澤氏のツイートが人種差別撤廃条約第一条にいう差別に該当することを判断すること。(つまり当該ツイートが、中国人というグループに対する、不平等な効果をもっていたことを判断すること。)
 B東大が三浦瑠麗氏の差別を処分しなかったこと、東大に実効的な差別禁止ルールが存在しなかったことなどが、大澤氏の差別を許した、つまり差別を防止すべき人種差別撤廃条約上の義務に違反していなかったかどうかを判断すること。

③責任の履行。②の責任を果たすこと。つまり、
 A大澤氏に対して。ツイート削除はじめ、前述の「大澤昇平氏がすべきこと」で書いたことを本人に対して行うようにすること。とくに辞職させるなど処分すること。
 B東大が総長声明あるいは学部長声明などをつうじて、公的に、大澤氏が差別したことを非難し、二次的な差別が起こらないよう強く呼びかけること。
 C東大の体制に関しては、米国の大学のヘイトスピーチ規制などを参考にして、実効的な差別禁止ルールをつくり、教職員研修を徹底すること。また三浦瑠麗氏に対してはスリーパーセル差別発言について辞職含む処分を行うこと。
④再発防止措置。
 A前述の「大澤昇平氏がすべきこと」で書いたことを本人に対して行うようにすること(自分のツイートを使って中国人ほかマイノリティを差別をしないよう、ツイートで呼びかける。またサイトでもそれを公言する。東大の研究室にもサイトにもそれを掲示するなど)。
 B③で制定した実効的な差別禁止ルールに基づいて、反差別研修の全教職員に実施すること。東大に加え、弁護士かNGO等と協力。
 C①②③について東大が掲示板やサイトで公表し、大澤氏の差別を利用して、差別を正当化したり二次的な差別をすることが絶対に無いよう強く呼びかけること。
 D IT業界が中国人の採用を控えることがないよう呼びかける。


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