どこでもいいよ、何でもいいよ、という思考停止の罪
どこでもいいよ、何でもいいよ、という思考停止の罪
こんにちは。ライアンです。
みなさま如何お過ごしでしょうか。
気温が下がり、天気が悪い日が続きますね。
私はできる事を無理なく過ごしてます。
みなさまもどうぞお身体ご自愛ください。
さて本日は、『どこでもいいよ、何でもいいよという思考停止の罠』
という内容を記事にしていこうと思います。
皆様の周囲にもいませんでしょうか。
遊ぶ時、ご飯食べに行く時、どこかに出かける時、など
何かすることを他人と決めるとき、何でもいいよ、どこでもいいよ、って言う人。
これ、 ぶっちゃけ、言われた側はイラってきませんか?笑
というか、何でも合わせるよ!という良い人を演じているようで、
実は決めると言うことを放棄しているだけだと思うんですよね。
何かを決めるってエネルギー使うじゃ無いですか。
内容も場所も調べないといけない。
場合によっては検索して予約もしないといけない。
その決めるという、エネルギーを使う行為を、
最初から放棄して楽をしようとしている、って私は思っちゃいます。
もちろん、中には、ほんとうに何でもいい、どこでもいいと言う人もいると思います。
でもそれでも、なに系がいいとか、せめて方向性だけでもレスポンスが欲しい所です。
先日、以前より遊びにいこうと話をしていた友人とLINEをしていました。
せっかくなので、自然を感じたいということで、キャンプに行くことになりました。
でも向こうはもう行く場所を任せっきりなんですよね。
まるで調べようともしない。
フリーサイトなのか、コテージなのか、バンガロータイプなのか、
そして場所は山か?海か? 車はどうするか、などなど。
決める事は山のようにあります。
(そもそもキャンプをチョイスするなよ!って感じですよね笑)
まだ予約も行く場所も決まってないし、日程もまだ先なので、
もしかしたらキャンプじゃなくて、
別のもっと手軽なアクティビティ(サウナとかサウナとか)に変更を提案するかもです。
というか、この記事を書いているいま現在、
別のものにした方が良い気がしてきました。笑
もうちょっと引きつけて、なにをするか相談して決めていけたらと思います。
話は戻りますが、何でもいいよ、どこでもいいよ、は思考停止している魔の言葉。
便利ですが、受け取り側は悪く思っちゃうかもしれない言葉なので、
気を付けたいと思います。(私も気をつけます!)
内容がちょっと愚痴っぽくなっちゃいましたが
こんな所で今日は終わりたいと思います。
つづく
RYAN