「必然ではないこと」と「偶然であること」
日々の生活は何もかもが必然ではないが、すべて偶然としては受け取れない。ついつい、全体と部分の関係を誤解してしまう。絡まって複雑怪奇な現実なのに自信を持って生活するなんて無理。
引っ張りに強い鉄筋と圧縮に強いコンクリートみたいに、強さとしなやかさは同時に持つものもあるけれど、人間はそう柔軟に生きられない。
こういった矛盾したものの関係。捉えきることができないが、色々あると思う。感じられたものがすべてではないから、分からないものをそのままにしておく。
言ったそばから陳腐化していく。なんか違う。直感だとか本能だとか、無意識の部分に結構やられてる気がする。
因果関係があることをつかめても、なぜあるのか分からないということは結構面白いと思う。
頭が固いし、視野は狭窄だし多分そこら辺。これも写真でいいのか!みたいな発見は結構楽しい。思い切って広角レンズを買うことで脳みそに対して無理矢理処理をかけさせ、なんとかいろいろな要素を掬いきってみる。
コントロールしきることはできないし、ヘッジすることもできないかもしれないけれど、曖昧さは、曖昧であるが故深いと思う。
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