小説 幼なじみ 第一章 錯乱 3


錯乱


龍太郎の頭の中は、まるで混乱の渦に巻き込まれたようだった。すべてが急速に崩れ、整理できない思考がぐるぐると回る。自分が今、どこにいるのか、何をしているのかさえ、はっきりとわからない。錯乱した気持ちをどうにかしようと、無意識のうちに会社を飛び出していた。バス停にたどり着くと、運よくバスがすぐにやってきた。慌てて飛び乗り、座席中央に腰を下ろす。しばらく無心で窓の外を見つめていると、ふと前方に座っている女性の姿が目に入った。その顔が、まるで浩美に似ているように感じた。だが、龍太郎の意識はぼんやりとしていて、目の錯覚かもしれないと思いながらもそのまま気に留めずにいた。まるで酒に酔ったような感覚が体を包み込み、何もかもが遠く感じられる。心の中の混乱を収めようと必死だった。バスを降りると、急いでアパートへ戻り、無意識のうちに鍵をかけた。誰かが近づいている気配がしたが、無理にその場から動こうとはしなかった。静かな部屋の中で、心の動揺を静めようと必死に自分を押さえつける。しばらくすると、会社から大家さんに電話がかかり、扉を叩く音が響いた。だが、龍太郎は動けなかった。じっとしているしかなかった。無理にでも動こうとすることが、余計に自分を追い詰めるように感じられた。心が震え、何もかもが手の届かない場所に感じた。その時、思い出したのは去年亡くなったおばあちゃんのことだった。彼女の手紙を、テーブルの上に立てかけると、無意識にお茶を一杯汲んでその横に置いた。それが唯一の心の支えのような気がした。龍太郎は布団にくるまりながら、必死に寝ようとしたが、心は乱れたまま、なかなか眠ることができなかった。頭の中で渦巻く不安と疑念が、彼の心をさらに苦しめていた。龍太郎は、ふと音楽でも聴こうと、無意識にステレオのスイッチを入れた。音楽が流れ始めるも、彼の心はそれに反応することなく、ただぼんやりとしたまま時が過ぎていった。寝室に横たわりながらも、なかなか寝付けなかった。心の中は静まることなく、どこか遠くで騒がしい思考が続いていた。そのうち、深い眠りに引き込まれた。しかし、目を覚ますと、深夜の一時だった。ステレオからは依然として音楽が流れ、ラジオの深夜番組がかすかに耳に入ってきた。
その時、ふとラジオのDJが不自然な言葉を発した。「あの世から、なーんてね」その瞬間、龍太郎の頭に強い動揺が走った。何も考えずに、スーツを着たまま作業着を重ね、不自然な格好で部屋を飛び出していった。まるで自分でも何をしているのか分からないように、無心で動き続けた。どこへ向かうのか、目的もなくただ足を運ぶ。気の赴くままに、山手線に乗り込み、気がつけば宇都宮方面へと向かっていた。財布を覗いてみたが、中身は一銭もなかった。昨日から何も食べていないのに、空腹の感覚は不思議と感じなかった。ただただ、無の状態でいる自分が不気味で、何もかもが遠い世界のことのように思えた。気がつけば、京浜東北線に乗り換えていた。降りる駅も、まったく記憶にない場所だった。切符も持っていないことに気づき、焦ることなくホームの端に向かって歩き出した。金網を駆け上がり、住宅街へと足を踏み入れる。財布の中身は空っぽで、どこに向かうのかさえもわからない。龍太郎は、自分が異常をきたしていることを感じる余裕もなかった。頭の中が混乱し、心の中の叫びに耳を貸すことなく、ただ無心で歩き続けるだけだった。自分が何をしているのか、なぜこんな場所にいるのかも分からない。何かに導かれるように歩き続ける彼の足音だけが、静かな夜に響いていた。まるで何者かに操られるように足を進めた。すると交番にたどり着く。龍太郎は、お金を落としたが、千円貸してくれませんかと警察官に尋ねた。ちゃんと、明日にでも返すんだよと、一筆書かされて千円札を受け取った。その金で、アパートに帰ろうと、ふたたび電車に乗り込む。それから、意識のないなかで妄想がはじまった。とにかく、早く部屋に戻りたい。上野駅に着いたのは、夜の八時を過ぎている。駅のロビーに居た大きな絵を眺めていた。どこかに浩美ちゃんがいる早く帰らなければ。龍太郎の妄想は止まらない。ふたたび、山の手線に乗り込む事にした。電車に飛び乗った。目黒駅に近づいた時に龍太郎の頭が爆発した。電車のドアが開くと同時に、反対ホームに飛び降り、電車が急ブレーキをかけた。電車は運よく、龍太郎の手前20メートルの地点で急停車した。鉄道警官が駆けつけ、「そんなに、死にたいかと交番に連れていかれた。しかし、龍太郎の妄想は、さらに強くなっていった。これが、2度目の衝動による。自殺未遂だった。
「ガチャン」と音が響いた。その瞬間、龍太郎は駅の交番に連れられていく途中、大型トラックめがけて飛び込んだ。勢いよく体を投げ出すように、全てを断ち切るかのように。救急車が駆けつけ、病院へ運ばれる途中、意識不明の重体となっていた。その知らせを受け、明日帰省する予定だった博は急遽、会社の人たちとともに駆けつけた。田舎の両親にも連絡が行き、すぐにでも向かうと言っていた。しかし、浩美には、入社してすぐということもあり、両親への連絡はなかった。龍太郎の行動が理解できず、集まった人々は不安と戸惑いの中で警察官に尋ねた。「いったい、どうしたんですか?」
警察官はしばらく黙っていたが、やがて口を開いた。「ちょっとお待ちください。現在、調査中です。」そして、事情説明が始まった。「昨日は入社初日でした。会社には遅刻せずに出勤されたそうです。ロッカーで着替えている最中に、突然、会社を飛び出したと言います。その後の行動については、本人の口から聞かなければわかりませんが、わかっているのは、午後9時に目黒駅で電車に飛び込もうとし、駅前の交番に連れて行かれる途中で、トラックに向かって飛び込んだということです。」警察官は、最終的にこう言った。「自殺以外に考えられない状況です。」
その言葉を聞いた瞬間、部屋にいる全員の心に重くのしかかるものがあった。彼がどれほど追い詰められていたのか、どれだけ苦しんでいたのかを感じ取ることができた。しかし、誰もその苦しみに気づけなかった。その後、龍太郎は意識不明のまま病院で治療を受けることになったが、全員がその先に何が待っているのか、ただただ無力感を感じていた。


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統合失調症伝道師
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