ナルステ過去作振り返り
今週から毎週末ナルステ過去作を一作ずつ振り帰って最終章を迎えようという試み。小学生の頃にジャンプでサスケ奪還編を読み、ナルステが2.5次元舞台観劇の入口だったオタクの狂いです。たぶん自分語りもする。箇条書きで許してほしい。
2015年版
個人的には2015年版が一番NARUTOらしいと思う。まだ歌わない頃のナルステ一作めは、劇伴がアニナルの曲を使ってることといい、荒さの残るヘアメや演出の手作り感といい、NARUTOの世界観を一番再現している。原点にして頂点というか。
2015年版が上演されたのは原作が連載終了した翌年で、このタイミングで原点のエピソードを凝縮した舞台を観れたの、めちゃくちゃよかっただろうな~~ 今でも羨ましい。私は少年編は初演も再演も劇場での観劇は叶わなかったが、当時の私は毎月残業100時間いくかいかないかの仕事に追われて休日の外出など不可能だったので後悔はない。ただただうらやましい。
一番の特徴はアニナルのサントラをそのまま劇伴に使用していることだと思う。そしてアナログなギミックもてんこ盛りで、トランポリンで壁を上るし、目の錯覚で術を再現するし、九尾は数人がかりの巨大パペットだし、エアリアルでうちはの業を表現するし、もしも当時の私が劇場で観劇できていたら手を叩いて喜んだと思う。
コロナ前の演出の自由さよ!客降りもたくさんするし、客席で大玉転がししたり、アクションの距離が断然近かったり、あー楽しそう。寝坊したナルトが大慌てで客席を駆け抜けていくのを観てると、松田会長の言う「憧れのキャラクターが横を通ると風が吹く」を体現していると思う。かっこいい場面ではないんだけど、これが2.5次元舞台の客降りだよな。
波の国をしっかり描いて中忍試験を削ってネジを登場させず、大蛇丸と砂隠れの襲撃→ナルトから我愛羅にハクの台詞をオーバーラップさせ→サスケ奪還編で他班を活躍させ(原作と違って女の子キャラが活躍してるのもいい)→終末の谷→それぞれ修行へ…とまとめたのもうまい。一つひとつのエピソードの名台詞が、次の場面できちんとキャラクターの原動力になっていて、さらに別の相手(それは大体対戦相手)につながっていく。72巻全てを再現できなくても、NARUTOという話になる。このやり方は最新作(忍界大戦)まで毎回しっかり描かれるので、最終章も期待しておきます。
私が広大ナルトで一番よかったと思うところは「だってばよ」が口癖になっていたところ。早口な子供から当たり前に飛び出す口癖のような「だってばよ」だった。ナルト役の声優の竹内さんとも違う、でもすごくナルトだ…!どんなにビジュアルの再現度が高くても「だってばよ」が下手だったら、2.5次元舞台が最も避けたいところの「イケメンがコスプレしてるだけの舞台」になってしまう。そのプレッシャーはどれだけのものだったか。二幕冒頭の会話なんて、聞いてて気持ちいいくらい「だってばよ」が矢継ぎ早に飛び出す。松岡さんは原作やアニメをほとんど観ずに役作りをしたそうで、技術の高さがうかがえる。
12歳の子供がいかに自分本位か。ナルトもサスケもサクラも。NARUTOという漫画はそのすれ違いを単行本72冊使って描いた狂った漫画だと思ってるので(※個人の見解です)、舞台でそれをありありと再現されるのがとってもたのしい。
サスケの仕草が絶妙に「口が達者じゃない子供の仕草」なのよね。自分の意図を履き違えた返答をされると黙って首を傾けるしかできなかったり、クールでかっこいい佇まいに見えて本人は何もできないだけだったりするのが伝わってくる。
今の佐藤さんとは違ってサスケになろうとしている。(ちなみに松岡さんの原作を観ない役作りと違って佐藤さんはとにかくアニメを研究して役作りをしている。役へのアプローチまで対になる二人ィ…!)アニメっぽい芝居でもあり人くささは少ないものの、当時はそれが度たび「憑かれたように見える芝居」と言われていたのもわかる。
ナルステといえば、大事な場面でキャラクターのテーマカラーでそのキャラを照らすという演出もよくやっていて、これも一作めが一番わかりやすいなあと。サクラが一生のお願いをする時にピンクで照らされて、ナルトが黄色い光の中で踊ってるの好きなんですよ。暁の調べ以降のナルトはサスケへの執念…じゃなくて想いで生きてるから、青い光の中で歌ってるけど、12歳の子供は自分のカラーで自分を照らして、自分本位さの表れに思える。
児玉さんが「うちはの業のようなものを表したかった」と言っていたサスケ回想のエアリアル。「逃げて逃げて…」の回転は逃れられない螺旋のよう。弱さを感じる度、自問自答したであろうサスケの螺旋が、12歳の子供にとってどれほど苦しいか。
サスケがナルトに守られたのもナルトにトドメを刺さない(刺せなかった)ことも、ある種の弱さ・子供っぽさの表れだが… 己の弱さを許せないサスケの「どんなことがあっても力を手に入れてやる」の強い声が、子供っぽい声なのがまたかなしい。「兄の言いなりにならない」と結論づけることで、自分の意思で人生を進むことを決意する面も、良くも悪くも子供なんだよなあ。
終末の谷の殴り合いで、モブの雑踏を背景にスローで殴り合いしてるのもいい。ここがアニナルのあの切ないBGMなのもまたいい効果。ナルトとサスケにしかわからない、二人だけの孤独。最終的に無音の中で、拳のぶつかりあう音と息づかいだけが聞こえる二人の殴り合い。最終章では終末の谷でナルトとサスケは再び対峙します。一作めでこんな見せ方をしておいて、最終章ではどう描かれるだろうか。
ナルトとサスケと同じくらい、ナルトとサクラ、サスケとサクラもすごく丁寧に描かれている。この一作めで登場した場面のアンサーは72巻にたくさん入ってるので、最終章でも惜しみなくやってほしい。
カテコでキャスト全員が手を繋ぐ挨拶で、恒例の流れで出したサスケの手をパァン!と音がしそうな強さで握り返す広大ナルトって、やっぱめちゃくちゃ少年編のナルトだったよな^^
カテコでのサスケの立ち姿も、右足を後ろに引いていて美しい。いつも観る立ち姿も、こんなに昔からずっとやってたことだったんですね。
原作の最終話を読んだ当時、15年連載していて一度も登場しなかった第一話の「その昔忍ありけり…」の語りで締めくくられて感動した。ナルステもこの語りから始まるってことは…??
ここまで書いてて思ったけど、予習に手っ取り早いのは去年の最新作よりも2015年版なんじゃない?
最後に一番好きなCMでも貼っておく。アニナル主題歌のベストアルバムのCMに、舞台版の主人公役二人役者を高校生にしてショートムービー風にしたの天才だろ。
2016年版
よくある質問「初演と再演があるけど、どっちを観たらいいの?」と聞かれたら、私は再演をおすすめする。演出・映像・音楽・役者の芝居もどれも初演よりクオリティが上がっていて、NARUTOを知らない人や舞台を観るのに慣れてない人にわかりやすいのは再演だから。
プロジェクションマッピングが進化して、キャラクターが今どういう場所にいて何をしているのか(されているのか)がわかりやすい。任務に出発して遠ざかっていく木の葉の里や、水牢の術に閉じ込められるカカシとか、生で観ていたらうわあっと沸いたと思う。終末の谷はナルトの声がやまびこで響くことで、広い自然がある場所なのが伝わってくる。観客は自分たちも同じ空間にいて、二人の対決を見守るような没入感を得られる。この没入感は漫画やアニメでは味わうことのできない、2.5次元舞台の醍醐味。
初演との違い2つめ、役者の芝居。全体を通して全員が感情の起伏の緩急の付け方が絶妙。声が聞こえないくらい小さなサスケの「孤独…」のつぶやき(けれど観客にはしっかり聞こえるのが絶妙なテクニック)、それに対して驚きよりも聞きとれなくて聞き返した感じのサクラ、ナルトの一生懸命さが死にぞこないの再不斬にぐさぐさとささる感じ、サスケのお前なんか大嫌いだったのに!の盛り上がりとそれ以外、自来也に図星を築かれたナルトの呟き、サスケといる時のサクラとナルトといる時のサクラの演じ分け。静かなお芝居と感情を大きく出すお芝居が延長線上にあり、舞台全体を一つの流れとして観ていられる。初演で気になった、いきなり怒鳴るような違和感がない。原作を把握している観客に頼り切っていなかった。
その流れのある芝居に寄り添うような劇伴も良い効果。初演はアニメの曲を使っていたのがオリジナルの劇伴に変わり、より2.5次元舞台らしくなったと思う。オープニングの曲はイントロの前にひと工夫あるのがかっこいい。
暁の調べから急に歌が登場したと思われがちだが、感情の流れに伴ったオリジナルの劇伴がついたことで、2016年版は2015年版と暁の調べ初演との間にきちんと存在する作品だと思う。劇伴の盛り上がりと感情の起伏がぴったり合う。えぐい感情と音楽の暴力、それがライブスペクタクルNARUTO
自己紹介シーンも再演の方が断然好き!とくに好きなのがサクラで、ハートが散りばめられた映像がなくなり拳から炎が出るようになってる。怪力キャラの片鱗の演出として最適だ。
ナルトの前とサスケの前で変わるサクラの態度が、どちらも本来のサクラ自身に見えるうえに、相手役との掛け合わせの効果もあってサクラの場面に違う見応えがある。最後に医療忍者を目指すとカカシ先生に宣言する場面が好きだ。どの場面も原作通りながら、芝居を通して観ることで漫画を読んでる時よりも自身の葛藤という形で戦いを内面化させたことが伝わりやすかったと思う。中忍試験が省略されたナルステでは、少年編でサクラが主体で戦う場面がなく、一昔前のヒロイン像にどうしても見えてしまうのを回避できたんじゃないか。サクラとサスケの別れの場面は、二人とも大好きになる。
違い4つめ、リーの存在。初演にはいなかったリーが登場する。二幕冒頭の朝の支度が舞台の上手と下手両方で対称的にやることで下手が留守になってない。
再演にネジではなくリーを追加したことに、個人的には胸が熱くなる。ナルトとヒナタを描いてボルトに繋げるならネジは重要なキャラクターなのだが、ナルトの物語の「持たざる者の話」というテーマに添わせたいんじゃないかな。
初演との違いはいろんな意味で「空いた場所を埋められている」ことだと思う。初演ではぶつ切りだったところがプロジェクションマッピングで繋ぎになっているし、劇伴はイントロに入る前にひと工夫されているし、リーが入ることで不自然に浮いていた場所が埋まり、役者の芝居には流れがある。
再不斬の最期、サクラとサスケの別れ、終末の谷は本当に観応えがある。
再不斬の最期、一瞬のカットで耳をふさぐナルトが映る。再不斬が戦ってる間背中を丸めてる。再不斬がやられて目をそらして耳をふさぐ子供なんだよねナルトって。
また木の葉は芽吹く…で我愛羅とナルトの一騎討ちなのいいよな。このあとナルトが我愛羅を理解し、我愛羅が変わるという場面につながるから熱い
終末の谷のナルトのモノローグ、雑踏の中の幼い二人を背景に、一方的にサスケに殴られるナルトという、今となっては二人が対等じゃない感じがより切なく残酷だ。この場面は初演と甲乙つけがたい。アニナルのあの切ないピアノの曲を使っていて、初演もすごく好きだ。できることなら初演の演出で再演の芝居をしてるといいけど、どうだろう。
大蛇丸様ァァ 大蛇丸様の圧倒的な歌声で一幕が終わるの最高よね。すっげーー…と圧倒されて開いた口が塞がらないまま幕間に入る観客たちが目にうかぶ。
扉が開く前に蛇がちらっと舌を出すのも「生ぬる~い」でクワッと目を見開くのもたまらない。初めて大蛇丸が登場した時、小学生だった私は本当に怖くて、なんだこりゃ…と思いながら心のどこかでワクワクするような気持ちがあったけど、あのときの感覚を呼び戻すような歌と芝居を声を浴びせられた感じ。やっと芝居の緩急がついた子供たちと比べて、完全に異質の存在。最終的にラスボスは大蛇丸ではないのだが、初代ラスボスとしての矜持を浴びれる。
暁の調べ初演が公演してた頃、アニメイトが過去公演のグッズを販売していて、初演の中国公演のパンフレットが売ってたので買いました。全部中国語で全然読めないけど、名前の中国語表記がおもしろい。うちはって中国語で「宇智波」って書くんだ。少年編の海外公演はサスケ役が櫻井さんで、パンフレットの写真だけでも全然雰囲気が違う。観てみたかったな。
暁の調べ(2017年版)
ここが私のナルステ初観劇!そして初めての2.5次元舞台の観劇でした。当時のTLに「羽生くんサイのコスプレ似合いそう」ときたむーサイの画像が流れてきたのがきっかけ(どんなきっかけだよ)。クオリティが高そうだし観てみよう~と当引券でふらっと入ったのが最初だった。探したら当時のチケットも出てきました。5月21日だったらしい。
初観劇の感想は、実はそこまで記憶がない。想い出に残る出来事はその後の方が多かった。太鼓と二胡の生演奏がすごく良くて、それに負けないくらいの迫力で歌と音響があったのを覚えている。目的は~のカルテットで肌が物理的にビリビリと振動していた。2.5のミュージカルってこんなに強く歌うんだ…!とびっくりしたけど、いま思うとナルステが異常なだけでこれが2.5の歌唱力のスタンダードではないよな笑 帰り道にまた観たい!次来れそうな日あるかな?と思ったのは覚えてるので、楽しかったんでしょう。その後アイアでもう一回観て、千穐楽ライビュのチケット取ったら法事とかぶって泣く泣く譲渡し、当日は法事の帰路で事故に遭い、高速道路の路上でレッカー車を待ちながら「いまごろカテコだろうな…」と思ったのを覚えている。どんな記憶だよ。
逃げる木の葉丸から始まり、修行から戻ったナルトが登場する幕開けかっこいい〜!ジャンプで2年後の話が始まった当時は本当にワクワクしたもので、その楽しさを舞台でそのまま再現してくれた。初めて観た時、ここで全部引き込まれた気がする。少年編より暗転が短くなり、次から次へと場面展開して新しいキャラクターが登場するのは本当に楽しかった。
冒頭からバキバキに歌うイタチ兄さんと暁が「ミュージカルって急に歌うんでしょ?(笑)」を力技で捻じ伏せるの最高よな。戦闘力の強さ(圧倒さ)と歌の迫力がリンクしてる。少年編は大蛇丸だけが歌ってその圧倒さがラスボス感を出していたけど、暁の調べは他のメンバーも歌がバキバキなことによって大蛇丸の弱体化が感じられる。そして負けじと歌うサスケが同世代では戦闘力がずば抜けてるのも。
声が良すぎるヤマト先生。仕事中にバディシステムの歌を脳内再生すると捗るよね。ナルステは飛ばした原作の場面を台詞で説明して補うから、説明的な台詞が多くなるのは致し方ないけど、歌が入ることで説明くささが緩和されてると思う。
ヤマト先生の作戦会議に浮かれながら、サクラを一瞬気遣うナルトが良い。だから自我をなくした自分がサクラを傷つけたショックも大きくなる。強さの源は九尾の力を抑え込む君自身の力が強さだとヤマトに諭されることでじわじわと自信を取り戻すナルト。
それと対比するようにサスケの修行の冷酷さを観せることで、この先の展開を暗示するようで。ナルトの成長で感動させてからサスケで着き落とす。たまならいですね。
相変わらず頭の中は修行ばかりのサスケ(自分の中でナルトのことは整理がつかないので意識しないようにしている感じもまた良…)と、アジトの入口に来ただけでこの中にサスケが…!と気が荒くなるナルトさんの対比。SUKI
「腕が捥がれりゃ蹴り殺す、脚が捥がれりゃ噛み殺す、首が捥がれりゃ睨み殺す、眼が捥がれりゃ呪い殺す」「たとえバラバラにされようが俺は大蛇丸からサスケを奪い返す」 いい言葉だ~^^ 大蛇丸許さねえ!より「サスケを奪い返す」に重きがある。なんという執念。笑顔になってしまいますね。そりゃサスケさんも修行に意識をそらすしサイも感化されますわ。お前は本当のサスケを知らないと言い合うカブトとナルト達。そこまで争われるサスケって、本当になんなんだろうな?
きたむーサイは自分に自信がある感じ。礼儀(というか世間体)に気を使っているものの、自信があるゆえに自覚なく礼儀がない。流れるように出てくるチンポとブス。なのに兄の話になるとツンとなる。
二幕冒頭のサイと7班二人の場面好き。ちょっと打ち解けてきた相手を初めて呼び捨てにする時って勇気いるよね。おそらく本名は無く、任務毎で呼び名が変わるサイにとって、相手を呼び捨てやあだ名で呼ぶハードルはただのコミュニケーションが苦手な子供のそれとは違う物だが、こうして関係性の形成にちょっと悩む姿すら心なしか楽しそうに見える。こう観てるとただの14歳の三人組なのよ。
ナルトの修行ダンスも大好き!少年編の自己紹介の続きみたいなコミカルさとダンサブルさ。隣で太鼓を叩く加古さんも凄い強さで叩きながら楽しそうで、相乗効果で術が出来上がっていくみたいだった。劇場で観てるとこれが本当に楽しくて、こういうのはまたやってほしいな…!これで生オケだったらな~と思う2.5いっぱいあるので。
暁の調べってナルトにまだ「九尾の化物」扱いが残っていて、ナルト自身も自分の力不足を感じていて弱いんだよね。最近のStageStarsで佐藤さんが「広大は根が暗いところがあるから子供のナルトが合っていた、 暢樹は明るいから大人のナルトが合ってる」と言ってたのもわかる。
九尾のPマッピングは暁初演が一番好み。炎の塊がよく見れば狐の形をしてるかもくらいの方が化け物としてリアル。
デイダラのうん!!がドス効いててたまらない。大爆発は本当に轟音で、アイアシアターのプラスチックの椅子がびりびりと震えていたのを覚えている。
蛇結成ソング大好き~!蛇は歌で会話するし、大蛇丸のアジトって楽しそう。光追いかけてで歌うサスケの後ろで、笑顔で手つないでノリノリの蛇かわいすぎるだろ
香燐が香燐すぎてびっくりする。サスケに舞い上がってる姿とメンバーにキレてる姿がどっちも元気に飛び出してくるのを観てると本当に楽しくて…!香燐は箸休めでもあるけど、あの振る舞いが浮かず観てて楽しいのも凄いと思う。ナルステで初めて七木さんを観て、当時はただただ香燐そのもので楽しかったけど、今思うとキャラクターを観客のイメージ通りに表現する感覚がこの頃から鋭かったな。万人に受け入れられる正解を出してくることがどれだけすごいか。
二幕中盤まではテンポよく進行して、イタチ戦からはじっくりみせてくれる。情感豊かに演じてるのは再演だけど、私のイメージするうちは兄弟に近いのは初演なんですよね。イタチの言動が弟を前にしても最期の瞬間も、ナルトに「大事な用がある」と言う時も。声色は変わらず冷静で、感情が読み取れない。でも心の内は複雑に動いていて、それを表情に出さない。
イタチの真実を知るサスケ、自分の事なんてどうでもよかったのに、自分が大切に守られていた事実なんて聞きたくなかったよな。ほんとうに孤独になったサスケが自分を抱きしめるようにマントを羽織って、顔をしかめて「木の葉を潰す」は、感情表現がうまくない人の仕草に見える。うちは兄弟ってそういう人たちなんですよ
暁の調べ(2019年版)
大阪から公演が始まり、TDC初日がマイ初日でした。初日でいきなり最前で観劇した記憶。初日のカテコで松岡さんが「大阪公演を経て無事東京に来られた。TDCはいろんな縁のある会場で、自分たちは観てくれるお客様がいるから仕事ができる。これからもよろしくお願いします」という主旨の挨拶をしていて、自分が彼ぐらいの年齢の頃にこうも素直に感謝を言えただろうかと思ったのを覚えています。
暁の調べ再演は自分の観劇回数が過去最多だった上に自引きで最前に3回入って、公演期間中ずっと楽しかったです。たぶん全キャラからファンサ貰ったし、サスケのマントの風も浴びた。いい思い出。
観劇中は全員の芝居の成長度をすごく感じた。サスケへの想いを語るナルトのドスの効いた声、サクラの怒りの演じ分け、観客まで引き込むサスケの憎悪と哀しみ。私がナルステの感想でよく言う「キャラクターが人としてそこにいる」を最初に感じた舞台だったと思う。
サクラのヘアメイク、初演はただの外ハネボブだったのが再演は内巻きとあわせてすごい可愛い!近くで見ると可愛いのに遠くから見ると外ハネになってる高度な技術。髪のツヤも他のキャラよりある。強くなっても身だしなみに気を遣うサクラはまだいること、とってもいいな。
ふまくんサイ、合いすぎ…!人工的に作られたアンドロイドのような冷たさ。無表情ながらどこかキョトンとした顔が、人間の感情の起伏を本当にわかっていなさそう。人間らしい感情に対する疑問と興味がサイにふつふつと芽生えていく様には、サイの成長と同じペースで静かに胸を打たれる。嗚咽するナルトに声を掛けるサイが、二人の気持ちに歩み寄ってるけど空気は読めない感じで、ちょっと空気が綻ぶのもいい。
サイを殴ったサクラの「私のことは許さなくていいから」「手加減しない」は静かに低い声で、そこにサスケへの愛情の深さを感じる。サスケの事情を汲んでるからこその、ふつふつとした怒り。サクラは二幕冒頭でも大暴れするけど、自分の容姿を罵られて怒るのと大切な仲間を悪く言われた怒りは全然違うよね。
岡田カブト、性悪で観てると笑顔になる。九尾化したナルトを前にして、ただ単に興味をそそる対象を見つけて楽しむように歌う性格の悪さ。七班のことは都合のいい駒としか思ってなさそう。
腕が捥がれりゃ~の台詞の直後に冗談っぽく笑うナルト。言い過ぎたかもと一瞬思うものの、でも決意は本物だと再確認するように語尾が粗くなる。この強気さがあるから後の場面のナルトの弱弱しさがより切なく見える。
初演との違いはサスケとの再会後、目的は~の直前に入るナルトのソロ。ナルトの挫折とサスケへの想いの切実さがわかるのと同時に、サスケがいかにナルト達が眼中にないかが浮き彫りになって、ナルト視点の切なさが増す。初演では敵4人が歌う中でナルトが嘆くだけだったのが、敵4人の異なる野望が錯綜する中で、ナルトが彷徨うようにふらつきながら嘆くことで、ナルトの絶望がより強くなる。そして他のキャラとの実力差も。復讐・平和・不老不死・自己の追及…とそれぞれの野望が轟く中で、弱さを嘆くナルトはなんて小さいんだろう
蛇結成ソングの重吾ソロの最中にサスケがうつむいてるのは、サスケがすぐ居眠りする癖のせいで、その横で水月と香燐は小競り合いしてて…こういうふとした仕草が細部で詰まってるのがたまらない。蛇結成ソングのサスケの「決まりだな」の笑みからも含めて「うちはイタチだ」の顔に至るまでの表情の変化は最高だから見てくれ
終末の谷を背景にすれ違う気持ちを歌うナルトとサスケはだめになるでしょ私の情緒が 物語の一番最後にこのアンサーがサスケからあるけど、本当にどうやるんだろう
再演のうちは兄弟は情感たっぷりで、感情移入しやすいどころかこちらの情緒がもたない。
イタチがものすごく弟想いで、弟を苦境に落としている自分を悔みながら呆れて笑ってるような感じがある。「雨が…」で微笑み「止んだな」でもとの無表情に戻ったり、「かつて優しい兄だと思っていたように」の前に嘲笑のように笑ったり、「里のため、平和のため…」は赤子に歌いかけるようなやさしく小さな声で。弟を愛しているが故に自分の行いを後悔していて、でも弟がこれからも生きて行くために笑って送り出してやろうとする誠実さ、あまりにも哀しいよ。
ナルトと会話するイタチは顔が見えづらくて、だから声で心情を読み取るしかないのもまたいい。児玉さん絶妙なことをする…!「大事な用があるんでな」の声が、心なしか嬉しそう。サスケの麒麟を受けた時のイタチの感慨深さはどれほどだっただろう。
佐藤さんはどこまでもサスケの感情を渾身で演じるよな。暗闇の中で「来たか」の一言に正体を問いながら、兄であることを直感で悟った背中。動揺と同時に長年追い続けた標的が遂に目の前にきたと固唾を飲む。動揺と高揚が入り混じったように上下する肩。
あまりにも強すぎて、こいつどうやったら死ぬんだみたいなキャラっているよね。サスケにとってイタチがそれで、疲れ切ったような「やっと辿り着いた」の弱弱しさ、眼を奪われ蹴られ殴られるサスケ(さとうさんボコボコにやられるのうまいなあ)に、無我夢中で手裏剣を投げるサスケ… あまりにも必死で、観てるこっちがどうにかなりそう。サスケがどれだけ復讐に囚われてきたかをこんなにも表してくれて、これだけのありありとした感情表現を経た佐藤さんが後に「岸本先生と杉山さんの次に日本で一番サスケをわかっている」と語るのも、すごくわかる。
イタチの「少し昔話をしてやろう」が絶妙に好き。口調はいつも通りなのに、妙にやさしさがあるように感じるんですよ。肘掛けに置いた指を順番に動かすのも、じつはサスケが拳を握る時の指の動きと同じ。
アニナルの戦闘シーンは動作に肉感があるのがすごい好きなんだけど、ナルステのイタチはこの肉感のある動きまでやってくれてるんですよ。二本指で指さした手首を曲げる前に一瞬くっと溜めるのがそれですね。あと兄弟二人とも火遁の時にきちんと頬っぺた膨らましてるのもアニメのまんまで好き。アニメだとさらに火遁の前は腹から息を吸う描写があるんだけど、それもいつか再現されたら完璧だなあ。
サスケって、すごくサスケだ。聞こえないくらい小さい声で喋るときがある。喋ることに最低限の労力しか割かない。嗚咽しながら伸ばした手がイタチを掴むことはない。死別した兄弟の少しだけ触れた背中どうしが、イタチの死がこの後のサスケの背骨になる展開を表してると思うと切ない。兄の意志とすらすれ違っているサスケ。サスケは本当に孤独だなあ。この二人のアンサーが描かれるのはこの次の次の作品。先は長い。嗚咽が荒い息に変わっていき、強い眼差しとがなる声には、健気さすら感じる。最期は笑顔で逝くイタチには弟への誠実さを感じるけど、サスケは健気なのよ。健気に闇落ちしていく。
兄弟の戦いが終わり、ナルトが静かに自分の意思を語り、信念を明るく歌う。深い。今観ると、うちは兄弟の決闘をじっくり見せながら、全体でナルトの挫折と弱さからの復活も描いていて、周囲の力を借りながら復活していく姿は夜明けを見ているみたいだ。救えないくらい闇落ちしたサスケを、このナルトなら救えるんじゃないかという希望を持たせて終わる。銀劇の国内千穐楽の日は続編が本当に楽しみだった。千穐楽のカテコで佐藤さんに「鷹は大人になる前にやりたい」みたいなことを言われて、あと1~2作くらいで無理矢理完結させるしかなくない…??とスタオベしながら頭を抱えたものです 笑
当たり前だけどコロナ前の公演って、いま心配してることが何もなくて、できることが多くて、本当に眩しい。
光追いかけては楽しいけど、本編の余韻に浸れなかったな笑 テーマ曲Signとかじゃだめでしたか?
うずまきナルト物語(2021年版)
コロナ渦を経て決定した続編は、座長が変わり、ほとんどがキャス変し、初演から続いてる人は本当に少なくて…続編決定は嬉しかったけど、気持ちがついていかなかった。私は72巻より52巻の方が好きなくらいで、このエピソードを広大ナルトで観たかったし72巻の結末まで見届けたかった。それこそ「だってばよ」が下手だったらもう二度と来ないだろう。私一人が来なくたって公演に何の影響もないが、どうしたって気持ちの整理がつかない。「お前の憎しみ背負って一緒に死んでやる」と放ったナルトの執念が初めてわかった気がした。相手が変わってしまっても、向き合っていたいというか。
でも、幕があがると中尾ナルトもすごくよかったんですよね。初日に「とーすんだってばよ~~」が青年間に響きわたった時、不思議だけど昔からこのナルトを知ってたような気がしたんだよな。この頃のナルトはあわてんぼうの主人公感と、経験を積んで成長したカッコよさが出ていて、それがすごくあっていた。私はこの公演はチケ運が悪く、青年館の二階席から観劇することが多かったが、役者の顔を見下ろすというよりもほとんど表情が見えないくらいの後頭部を見るようなひどい視界の二階席からでも、ナルトだけは表情がよく見えたんだよね。つまり、彼は常に顔を上向きにして演技していた。そういうところも、私の不安を払拭したところも、陽のキャラクターとして中尾さんの内面からハマっていたように思う。
ナルステ過去作品6作のうち、この作品が一番好きだ。一幕も二幕も、目を放していい場面が一つもない。憤怒と憎悪しかないサスケ、マダラに利用されるサスケと対比するように皆に認められるナルト(サスケ自身は利用されている自覚がないのもまた…)、ヒナタの告白、長門の長台詞、サスケを諭す我愛羅、同期と七班の信頼関係、サスケを殺そうとするサクラ、ミナトに託されるナルト…こうして羅列するだけでわなわなと震える、ながら観なんて全然できない円盤なんよ 笑
この章からサスケの歌声の迫力が違う。兄のテイストを織り交ぜながら、一族の再興や復讐を歌う瞬間は自分流で強くがなる。誰かの影響を受けながら自分の流儀が根底にあるところ、本当に好き…!私がイタチだったら成仏しちゃうなこれ
我愛羅に説得された時のサスケなんて「咆哮」という表現がふさわしいくらいの爆発ですよ。自分にかけられる言葉が何もかも生ぬるい、自分を「救いたい」なんて気持ちになる思考そのものが烏滸がましい、そんな奴ら全員踏み潰したい。そんな憤怒をこれでもかというくらい発している。本物の復讐者だよ。
憎しみを語る以外の場面のサスケに表情らしい表情がほとんどなかったり、モブキャラを容赦なく殺してたり、喜怒哀楽のうち怒と哀以外をすっかりなくしたサスケを表していたのもすばらしかった。
中忍試験を省いたナルステはどうしても七班以外の同期達の説得力が弱くなってしまうし、ヒナタの場面も初演の要素だけでは唐突に感じるのだが、終盤のサクラとの対比にしていたのがすごくよかった。倒れたヒナタにとっては、好きな人の顔を見るだけで再び立ち向かう力になるんだよね。サスケの顔を正面から見て覚悟が揺らいでしまうサクラとの対比だよ。あの場面のサクラだって「ここに立っているのは私の意思」だったはず。そして、どんなに意思が強くても力がかなわない現実。今でも大好きで、この二人の場面を交互に見返すくらいだ。
長門の語りをそのままじっくり語らせたのも凄かった。漫画の方が回想シーンは過去編にできるからむしろ読み手にやさしいくらいだ。生い立ちから思想が出来上がるまでを長台詞で丁寧に聞かせることで、観客をナルトと同じ感覚にさせることができる。「この世から争いをなくすためには」を観客一人ひとりが当事者として考えやすいと思う。ナルステって省かれるエピソードは本当にバッサリ削られるので、むしろ長門の語りをひとつも削らなかった意図を推察すると、児玉さんが持ってる感覚って世の中に何かを発する感覚として頼もしく感じる。
一幕ラストにパァン!と紙吹雪が飛び出した瞬間の驚きと感動は今でも覚えている。音にびっくりして肩がびくってなったのも。数ある舞台演出の中で最も華やかな紙吹雪と、小南の技は折り紙をモチーフなことを掛け合わせた見事な演出だった。あの紙吹雪は小南の技で、3人からナルトへの期待と希望と信頼の最大の表現で。そして里の皆に胴上げされるナルト。なんて暖かい光景なんだ。1作めや2作めの終末の谷で挟まれた、ナルトの回想シーンの演出を覚えてる人はいるだろうか。同期や里の仲間がすれ違う雑踏の中、トボトボ歩いてすれ違う幼いナルトとサスケ。全員から避けられ虐げられていたあの頃とはまるで真逆の光景です。胴上げって舞台に映えるんだって感動した。
そしてイタチが願っていた「自分を殺して英雄になるサスケ」もこういう景色だったはずなんだよなと思うと…
五影会談、上手/下手の配置で若手と女性/旧時代的男性の対立構図になっている。原作と違って綱手を出すことで、意図がよりはっきりしていたと思う。あと綱手様が超元気にサスケと戦ってて嬉しい。
暁の調べまでは細眉だったサクラの眉毛が、この作品からはふんわりした太眉になってるの、14歳から16歳の絶妙な変化で好き。舞台メイクと流行りのメイクをうまく織り混ぜてると、現実の女の子としてそこにいるようなリアリティが出る。
フカサクさんの操演指導で昔よく観てた人形劇団が協力していて縁を感じた。こんな仕事もあるのか
ド根性忍伝、漫画のコマで表現されてるの地味に好き。小説なのに。短編映画風の映像を映すだけでも充分なはずなのに漫画のコマで区切ってるの、なんか好き 笑
サクラの見どころが一番多いのもこの作品だと思う。この後でも出番はたくさんあるんだけど、感情の揺れ動きが多い作品ほど観てて楽しいので私は。シカマルに相談されてからナルトへの配慮にサスケを殺す覚悟を決めるまでとその後まで目が離せない。「ナルトには私から話す」とシカマルに告げた時点で、ああ計画と覚悟をこの時全部決めたんだろうなとわかる。そのまま突き進み、最後にサスケと正面から目が合うと全部揺らいでしまう。今までの全部を後悔するように、ああやっぱり無理だったなと悔やむようにぎゅっと目を瞑る一瞬の表情がすごく好きだ。結局その一瞬の隙を突かれる訳だが。
カカシ先生が「やるねサクラ」と溢すのも好きなんだよな。サクラはずっと弱い存在だったのがやっと少し覆された感じ。こんなことできるサクラが弱いはずないのに。その後すぐに「死にに行くようなもんだ」とフォローに入るのも。人として強くても体力的に劣ることは明らかで、そこは強い力を持つ人のフォローが入る。これが大人の役割だよ。
サクラがサスケと対峙してから後はもう、毎回わなわな震えながら観てた。「全員笑ってやがる」のうわずった言い方、今さらそんな質問してくるの馬鹿か?みたいな、逆にカカシを嘲笑してるようでもある。ナルトが乱入してからは、関係性ファンである私はたまったものではない。拳を交えて見えたものが全て歌になってるんだけど… ナルトの言葉の重さがすごい。低くて芯のある声で、言葉の重さにぐっと説得力が増している。サスケの重苦しさに全然負けてない。「お前の憎しみ背負って一緒に死んでやる」ってすごい言葉だ。
テーマ曲も新しくなりました。NARUTOシリーズ御用達FLOW大先生の書き下ろし。初日で初披露だったので、ナルトとサスケと全員が歌うのを見ながら、登場人物全員に対して解像度が高すぎる歌詞で震えながら聴いていた。NARUTOで歌作らせたらFLOWの右に出るアーティストいないでしょ。GO!!!がアニメのOPになった時は本当にワクワクしたけど、大人になってまたこうしてNARUTOのための新曲を楽しめるなんてすごいことだよね。
何年も続く作品で一人の役を同じ人がずっと演じること、それを本人が望んでやれるならば素晴らしいけれど、周囲からそれを強制されるのはあってはいけないことだ。プロデューサーからも、演出家からも、制作会社からも、事務所からも、家族からも、ファンからも。やりたい仕事を選ぶ自由が誰にだってあるべきだ。
8年も同じ仕事を続けるって相当な気持ちがないとできない。8年も同じ仕事を心からやりたくてやってますと言える人が世の中にどれだけいるだろう。少なくとも私には無理だ。だからすごいと思うし、だから「ずっと続けてください」なんて言えない。続けてくれたら嬉しいけど。今日観た演技のここがすごかったとか心が動いたとかそういうところをたくさん伝える。それが明日への活力になったらいい。そして続投してくれたら「待ってたよ」と言う。
「前のキャストで観たかった」と言うのは、今演じてるキャストも、続けない選択をしたキャストの現在も否定してしまう言葉で、ファン本人の気持ちの発散以外に何もならないんだよ。ある公演の動画でそういうコメントがトップだった時期がある。たぶんだけど当該コメントは削除されて、2021年版以降の動画には海外向けの動画以外はコメント不可になりました。因果関係は私の想像にすぎないが、今いる人もかつていた人も含めて、キャストを守れるカンパニーなんだと思えて安心する。
キャスト曰く、脚本演出の児玉さんはああしろこうしろと演技指導をするタイプではなく、それぞれが持ってきた演技をにこにこと見てるらしい。それでいて児玉さん本人は「ある役を自分の中に落とし込んで演じるという点ではシェイクスピア等と同じだが、2.5次元はその役をみんなが知っている、すごくハードルの高い演劇」と語っていた。私がこんなに満足してるのは、漫画の根底にあるものを児玉さんがきちんと拾って、役者の引き出しを信頼してる相乗効果の表れだよな
この頃はすでに感想noteもしっかり書いてる。ウケるくらい元気。年明けてすぐ大阪行ったのも楽しかったなあ
忍界大戦、開戦(2022年版)
作品の感想は去年の私が一生懸命書いてたので省略します。おまえは読む人のこと考えろよと言いたい文章。
開幕直前で東京が全公演中止、本当しんどかった。何度経験してもしんどい。その反動か、神戸のチケットを探して飛ぶのにとくに躊躇いはなかった。
神戸文化ホール、敷地内にあるモニュメントのタイトルが『文化の灯』。昼も夜もちいさな炎が灯っていた。
凱旋公演の銀劇は立ち見で観劇。意外にもスタンディングのライブハウスみたいな感覚で楽しめて、立ち見で観るミュージカルの楽しさに気づきました。我愛羅の掛け声に雄叫びあげる連合軍の気分になれたり、クシナとミナトの歌はバラードをうっとり聴くような感覚で浸れる。カブトの中東っぽい曲も、ヴィジュアル系でよくあるミドルテンポの不思議な曲で揺れてる時の感覚になれて楽しかった。
忍界大戦編は一幕がナルト、二幕がサスケの話という感覚で観ています。ナルトとサスケの共通点がこれまで「孤独」だけだったのが、ここに「家族愛」が増える。
ナルトは両親からの生の肯定であり、与えられた「名前」が自分と尾獣たちとのキーになるという、先天的な成長。サスケは持たざる者が過ちを犯してから気づく後天的な成長というか、気づきの話。クシナとミナトからナルトへ、イタチからサスケへと並べながら、イタチとナルトが通じている。
OPがかっこいい!キャラクターごとに曲調が変わって、しかもそれがすごく合ってる。和田さんは2.5劇伴の申し子だ!と、観劇後に脳から直接ツイートしてたら、後日それがわだしゅんさんのエゴサに引っかかり、ラジオでご本人に音読されるという珍事発生。面白いやら恥ずかしいやら。和田さんには「この人どんな気持ちでこれ言ってるんだろう」と笑われましたが、どんな気持ちで言ってるんだろうと思われるような感想、これからも言っていきたいですね。
2021年版が一番好きと言いながらこの公演も結構好き。サスケの内面の変化を見事に描いている。劇的な変化ではないけれど、じわじわと明るくなっていく夜明けの光のような穏やかさ。
私が暁の調べ初演から観劇し始めたのもあって、大千秋楽の良知さんには、いろいろなものを重ねて観てしまった。この4年の公演がとても充実していて、この公演が終わると佐藤さんとの共演はもしかしたら二度とないかもしれない背景と、イタチの境遇が重なって……サスケに愛を告げた後、イタチが逝く時のお顔がとっても晴れやかで。
最近、悠未さんがインタビューで仰っていた「自分の心の奥深くの魂とリンクして本物の感情が生まれた時」って、こういう瞬間なのかも。
ナルトとサスケが一緒になる場面は少ないものの、最終章の方向性がなんとなく見えて、千秋楽で感極まった。
ストーリーの結末は当然知ってるんだけど、何を強調して主題とするかで同じストーリーでも伝わってくるものが違うじゃないですか。最後に何を選ぶのか、この作品で見えた感じでした。
大千秋楽の帰り道に、卒業式前夜のような気持ちになって、夜中にしみじみと日記書いたりしたな
いよいよ来週、最終章が開幕します!こうして振り返ると果てしなく地道で長い道のりだった。8年前のアイアで、この未来を想像できた人はいたでしょうか。まだ開幕してないけれど、コロナ禍を挟んでも毎年公演が続いたこと自体が本当にすごい。これは売上や集客力の好調さによる力だけではないと思う。
ナルステの魅力の一つに、役者の成長とキャラクターの成長がリンクするところがある。それってなかなか立ち合えない、すごく貴重で幸せなことだなあと思います。カンパニーでもこの日々が良い時間になってるのが伝わってきて、始まる前から胸いっぱい。
私は最終章の再演はないと思っていて(もちろんあったら嬉しいけど)、人生が一度きりなのと同じで、カンパニーが悔いなく終われることを願っています。私は一度きりの最終章を思い切り楽しむ気でいる。ナルステの公演がある1ヶ月間って、本当に楽しいんです。
この記事を毎回、最後まで読んでくださった方はいらっしゃるでしょうか。ナルステ過去公演振り返り、全部で約17,000文字でした。不定期更新なうえに素人の趣味の文章で読みづらいところもたくさんあったと思うのですが、おつきあいいただいて、ありがとうございました。
楽しみだね、ナルステ最終章!どうか無事に開幕して、大千秋楽まで駆け抜けることができますように。