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“今この瞬間”を積み重ねて -流司さん27歳の誕生日によせて-

流司さん、そしてThe Brow BeatのRyuji、27歳のお誕生日おめでとうございます!生まれてきてくれてありがとう!

たった今、ドキュメンタリー番組「佐藤流司『流』」を見ました。すっっごいカッコいい人だと思った。こだわることが普通になっている。世に出回る自分の仕事は、たとえ画像一つでも自分の目を通してジャッジする。少しでもクオリティが高いものをファンに届けようとする。こうして全部の仕事に全力で向かうことが彼にとっての普通で、“今この瞬間”に全てをかける。それを積み重ねて日々レベルをあげていく。この一連がこの人にとって“普通”。なんっっってカッコイイんだ……!!

最近の流司さんを観ていて思うのは、当たり前のことなんだけど、ああ、10年が経ったんだなあということです。

「こうありたい」が詰まっているツイート、言葉づかい、姿勢。「これは自分がやりたい。やるべき」を感じるお仕事選び。いつも「理想の自分を見せ続けたい」という意思を感じます。それが凄くカッコイイ時もあれば、笑っちゃうくらい胡散くさい時もあるんだけど(ほめてる)この2年くらいは発言もお仕事観も、より責任感が出て腰を据えてきたなと思います。

ネガティブだしメンタルが強いとは言えないと自分で認めながらも、それでも舞台の上で自分が導き出した答えをドンと見せてくれる。正解がない世界で自分が正解になる。それに私たち観客がワッと拍手をおくる。それが本当にどうしようもなくカッコいい、尊いと思う。流司さんがこだわったものに拍手をおくりたい。推しとおたくって「ずっと好きでいます」なんて保証できない関係だと思ってるけど、この先もこだわりを重ね続けるなら、それにずっと拍手をおくりたいと思ってしまう。こう思わせるこの人、“本物”なのかもしれない。

解説者だったアクターズリーグ。試合が進むにつれて感動して口数が少なくなっていったのは、「こうありたい」を見せ続ける中で、流司さんが真剣に物事に向き合う大変さや努力を身を持って知ってるからじゃないでしょうか。広い東京ドームに響きわたる声が、俳優仲間が汗を流す姿を見守るうちに丸みをおびていたのが、ひと夏の暖かい思い出。そして一人ひとりにくれたファンサも、来てくれたからには楽しませたい“こだわり”の表れだったんじゃないかと思う。

The Brow Beatのメジャーデビューライブで「ALIVE MY LIFE」「LOVE MUSIC」が衣装にデカデカと荒々しく描かれていたのも私はすごく好きです。だって最高じゃないですか。唯一無二の自分として自分の人生を生き、音楽を愛する。もはや解説不要で読んで字のごとく、Ryujiの生き様で人生なんだよね。その姿に夢を託したくなる。アーティストも俳優も全部全力でやる事そのものがこの人の“こだわり”なんだって私は身をもって知ってたのに、今日また見せつけられて、ああ本当にカッコいいなと思う。

26歳は10年という節目で、次の世代に背中を見せる機会も多かったな。『EDUCAST熱中大学』はまさにそういう企画で、迷う人にこの言葉が響くといいなと思いました。「いずれ絶対傷は癒える」「全部のジャンルで二位とか三位とかそれはそれで自分の才能を活かせるんじゃないか、自分が挑戦した物が自分が満足いく結果になればそれで自分はいいんじゃないかと最近は思う」「横歩三年の患い」「経験こそが自分をアップデートさせてくれる、その先で待つのは唯一無二の自分」「数年先の仕事は、準備期間が数年あるということ」発想が建設的でとっても良い。ずっとやってきたからこそ出る言葉だと思いました。ネガティブな部分は音楽に昇華させながら、思考回路は建設的に、前向きに、一歩ずつ着実に進んでいくというこだわり。この考え方のバランスなら、きっとこの先も目指すところに向かって進んでいけるでしょう。

10年で一歩ずつ進み続けた末に、カッコいい自分を見せ続けるのが“普通”になった。“今この瞬間”にこだわって、全てをかけることを積み重ねて、さらなる上を目指し続ける。そしてその背中を見て育つ者がきっといる。そう思う。

流司さんが面白い一年になると言うなら、面白い一年になるのでしょう。うなぎやビーフンやレアチーズケーキも食べて、どうか、君の望むことがひとつでも多く、いや全部叶いますように。

改めて、27歳のお誕生日おめでとうございます!生まれてきてくれて、私たちファンの前に立ち続けてくれてありがとう。
素敵な一年になりますように!

年末の自分の誕生日に食べたうなぎを、年明けの推しの誕生日にUPするのが恒例になりつつある