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ライブ・スペクタクル「NARUTO-ナルト-」~忍の生きる道~ 感想(8年間ありがとう~!!)

ナルステ8年間お疲れさまでした!ナルステのある週末が、毎年本当に楽しかったです。
自分語りを含めた一万字overの感想になってしまいました。でも、誰かは同じような気持ちじゃないかなと思って。箇条書きでいきます。


KAAT 神奈川芸術劇場前のポスターとくまのぬいぐるみ
@KAAT 神奈川芸術劇場
10.08 マチネ/10.08 ソワレ/10.09 マチネ/10.10 マチネ/10.11 ソワレ

ジャンプ漫画の最終回を舞台にするとこうなる

  • ナルステにおいては「漫画を舞台にしたらこうなる」をすごくやってくれたと思う。特に印象に残ってるのは、漫画の見開き2ページいっぱいに描かれた名場面の数々を、舞台の上手から下手まで・天井から床までめいっぱい使って大迫力で再現してくれたこと。真数千手、「大好きだ」の場面、六道地爆転生、尾獣会議の場面に六道仙人が力を授ける場面… 細かく挙げるときりがない。大きな場面だけでなくて、サスケが決断する場面の独特なコマ割りはピンスポを絞ることで表してるように思えました。この表現は舞台ならではで、文字通りサスケに道が開けて光が刺した瞬間だったと思う。児玉さんは本当に漫画をよく読んでるな~

  • 最終回の再現は見た目だけの話ではなくて。初期から見ていたファンが熱くなることをたくさんやってくれた。その最たるものが、オープニングと七班再結成の場面だと思う。オープニングが過去のテーマ曲メドレーで(サスケ登場が暁の調べという嬉しさ!)マダラ登場は重々しい新曲、柱間とマダラが悔恨を残すように捌けたら『忍びの生きる道』インストアレンジでナルトとサスケが登場という流れ、本当に熱かった…!

  • 七班再結成の場面の劇伴が2016年版のオープニングなのもめちゃくちゃ嬉しかった!あのイントロが聞こえた瞬間、舞台版オリジナルの七班再結成だと直感しました。イントロの笛(尺八かな?)の音、サッと舞い上がる木の葉が目に浮かぶような一音だよね。原作だと三人それぞれが巨大な三竦みを口寄せするのだけど、あの三竦みを見た時に感じた「原作の初期の扉絵を終盤のクライマックスで展開する」という熱さを、2016年版のオープニングを使うことで表してくれたのだと思う。

  • 同期が次々と活躍するのも実質第二のオープニングと化してて最高だった~!いのとシカマルの「私たち第十班はフォーメーションでいくよーー!」「中人試験試験じゃあるまいし班で張り合うことねえだろうが!」のやりとりがいのとシカマルそのもので大好き!!最終回で登場人物が全員大活躍するジャンプマンガをそのまま見てるみたいだった。

  • 七班再結成の場面は舞台NARUTO的原作への最大のリスペクトの一つじゃないかなと思います。原作へのリスペクトや愛、それは単に再現するだけではなくて、自分の得意技を最大限に生かして見せることもリスペクトに値すると思う。その創造性を感じられる瞬間がたまらなく楽しい。

  • ナルステは「漫画を舞台にするなら」のひとつの答えを示している。見開きの駒は舞台全体を使って表現する。映像の使い方も今までで一番よかった。今までは技のエフェクトを映した幕を一枚隔てて役者が演技していた印象が多かったけど、そういう瞬間は極力減らされていたように思う。とにかく終盤は技のスケールが大きいから、いっそ映像は遠景にして役者を前に置いて、遠景と近景を同時に見せることで、さらなる臨場感を出せてた。

KAAT 神奈川芸術劇場前のポスターとくまのぬいぐるみ
横浜初日のKAATにて
  • そして情緒を滅茶苦茶にされたのが、ミクロ視点とマクロ視点を交互に繰り返す構成。全員でさあ敵を倒すぞ!と盛り上がったところで個人のやりとりを挟む。一旦個人にフォーカスすることで、戦い向かう感情の解像度がぐっとあがる。そして映像をふんだんに使った戦闘シーンへと展開される。この繰り返しを3時間ずっとやってる。柱間と綱手のやりとりがあって、全員で十尾の綱引きして、そしてオビトの場面につながる流れが一番情緒の振り幅がキツかった。10分間に一斉に感じていい喜怒哀楽の量じゃない。

  • このミクロの場面では本当に、生身の人間が演じるだいご味を感じられた。派手な演出がないぶん当然、役者の芝居で持たせる必要がある。

  • 見ながら自分ごとに考える場面が本当に多かった。敵同士でも同じ夢を持てること、自分で考えること、親や血縁に影響されないこと、女が強い場面の眩しさと、どうしてそこに眩しさを感じるのか…

  • マンガで何度も読んだ言葉でも、生身の人が演じて目の前で展開されることで、改めて伝わってくるものがある。その時の自分の価値観で別の意味を見いだしたりする。私はそういう瞬間を求めて舞台を観に行っていると改めて思った。

夜空にあがる花火
横浜初日ソワレを終えて劇場から出たらあがってた花火

こんなの原作でも見たことがない

  • NARUTOは『ナルトとサスケ』というタイトルでもいいくらい“二人の物語(BIG EMOTION ~異常な絆~)”を描いた漫画だと思う。前作でサスケとイタチ、ナルトとクシナの場面を同じタイミングで見せたことから、ナルステは“二人の物語”としてみせてくれるのではないかと期待してたけど、想像以上だった。

  • ナルトとサスケが並ぶ場面の多さもさることながら、その圧倒的な絵力(えぢから)に役者もカンパニーもクソデカ感情を自信を持ってるのがドカンドカン伝わってきたんですよね。もう全公演大の字で堪能した。ナルトとサスケって、どうしてこんなに並ぶと絵になるんだろう。ここぞとばかりにオレンジ・青・紫・ゴールドで思いきり二人が照らされていて感無量でした。これが見られるのをずっと待ってたよ~!!

  • 私が一番好きなのは、綱引きの直前にクラマとスサノオが合体する場面で、クラマのオレンジに包まれたナルトの顔半分に、サスケのスサノオの紫が反射して、隣にいるサスケもスサノオの紫に包まれる中でクラマのオレンジが顔半分に反射してる瞬間。ものすごく美しかった。こんなのジャンプの巻頭カラーでも見たことないんですけど…!素晴らしい眺めだった。

  • 原作の再現が最重要な2.5において「こんなの原作でも見たことがない」はわたしなりの最大の褒め言葉です。アニメやゲームと同じように舞台もメディアミックスの一つだけど、第三者の視点を通して原作を再構築し、そのメディアの特性を存分に生かした表現を見るのがすごく楽しい。その創造性にとても期待している。とそんな真面目な話はどうでもいい(よくはない)くらいの迫力と神々しさがクラマとスサノオの場面にはありました。

イープラススペシャルデー公演のタペストリーと来場者記念のステッカー
メインビジュのコンセプトが「彼らの覚悟が感じられる」「烈々たる想いが火花を散らす結末」な時点でおかしい(ほめてる)
  • 二人の物語はナルトとサスケだけではない。柱間とマダラ、カカシとオビト、サクラと香燐、ミナトとナルト、イタチとサスケ… それぞれの二人の物語が時に対の演出で、時に面と向かって話し合うみたいに作られててたのもすごく良かった。本当に見せ方や構成がよく考えられてる。ナルトとサスケ、カカシとオビト、柱間とマダラという仲が拗れた二人はみんな最後に文字通り「面と向かって話す」結末を迎えて感無量。漫画で何度も読んだけど、人がやってるのを目の前で見ると説得力が違う。

  • しかも、ラスボスをカグヤではなくマダラにすることで、柱間とマダラの話をナルトとサスケの関係に重ねることが自然にできていたのも嬉しかった。そして何よりマダラが最後まで戦闘狂のまま大暴れしていたのが最高だった。

  • アシュラとインドラをナルトとサスケの兼ね役でやるという嬉しさ!正直に言って、本来のナルトとサスケよりもハマってた。(笑) この二人でいっそ舞台一つやってほしい。阿修羅とインドラで舞台を一つやれるくらいの設定は全然ある。大千穐楽からひと月近くたった今でも役者や制作サイドから全く言及がないのが不安なんですけどどうかどうかどうか撮影風景がメイキング映像に残ってますように!!フルカラーで見たいな~!!

  • そしてすごいのがラストシーン。原作漫画は全700話で完結するんですが、NARUTOのお話は699話までで700話めは実質BORUTOの前日譚と化してると私は思ってて(※個人の解釈です)これをどうまとめるのか不安で夜も眠れなかった。が、ナルステはなんと699.5話で完結しました。699話と700話の間を結末としたのです。

  • 毎回最後に歌ってきた『忍の生きる道』の1フレーズ「おまえを信じかけてみよう」をサスケが歌うことで、シリーズを通してナルトが皆から認められてきた中で、最後にナルトを認めたのがサスケだったという結末になっている。これは原作でも描き切れていなかったラストであり、まさに「こんなの原作でも見たことがない」でした。

  • この歌のナルトとサスケの立ち回りは、表立って里を守る役目をナルトが、外から里を守る影の役目はサスケがする未来を暗示してるようで… グレーのマントを着たサスケがまるで七代目の影のように動く。ナルトの「おまえを含めた全ての忍の協力」も、サスケの「影から平和を守る」という役目も、両方がかなうことを最後の曲で表していたように思う。協力とは、ずっと一緒にいることではなくて。互いに認めて、それぞれの道を歩みながら相互に作用することも協力のカタチの一つだと思う。自分のやりたいことが最終的にできる。NARUTOという物語の結末として、こういう表し方は本当に嬉しかったです。

夜のKAAT神奈川芸術劇場の外観とくまのぬいぐるみ

ナルトの暖かいチャクラを歌にするとこうだよね

  • 「確かにオレってばバカでガキで」の「ガキで」から歌が始まるの、すごくいい…!サスケが「自分で答えを」まで歌って「出したい」が喋りなのの逆じゃないですか?そういう対の使い方としても好きだし、今回はまずナルトがよく歌うなと思いました。今までも歌ってたけど、サスケは歌が強い印象だったのに対してナルトは喋る言葉の強さがある印象でした。最終章にして、歌の質・量ともにやっとサスケとナルトが並んだ感じ。

  • ナルトとサスケの歌の伸び方が対照的であり対称的でもあって感動だった…!ナルトは空間をふわっと包み込むような伸びやかさで、サスケは漣のように拡散されてく感じで。KAATの聞こえ方が一番良くて、大楽と初日の会場は逆が良かったな。

  • ナルトの歌声は、暖かいと言われるナルトのチャクラをそのまま歌にしたような暖かさで、誰とでも友達になれると言われるのもわかるような気がする。サスケの「あいつだけは切らねばならない」の真っすぐさの後に、その孤独すらも包み込むように「オレたちかなりの友達だから」と返して殴り合いが始まるのは、本当に本当に壮観だった。

  • 助けにきたはずのミナトが逆にナルトの歌声から力をもらってるのも良かった。そこでミナトが涙を拭う動作がちょっとダサいのもナルトの父親だなあ。全編を通して、ナルトが包み込むような歌声な時点で、物語の結末がなんとなくわかるようになってたと思う。

  • そして最後の七代目マントを羽織った姿!木の葉が舞う里を背景にたたずむ姿は、72巻の表紙そのまんまで原作ファンとして感無量です。布の量が多いサーキュラーマントなのも素晴らしい。三階席から見下ろした時、マントの裾が美しく正円に広がっていて誇らしかった。

  • 大千穐楽のカテコで中尾さんが「こういう舞台があったことを時々思い出して」と言ってたのが、最終巻の作者コメントで岸本先生が「ナルトって奴がいたことを時々思い出してくれると嬉しい」とコメントしてたのと同じで、胸が熱くなりました。本人が意図して言ったかはわからないけど(笑) この言葉はそのまま返したいと思っていて、役者やスタッフにはナルステに関わったことを時々思い出してほしい。観客の私よりも余韻に浸る時間もないだろうし、作品が終わっても人生は続いて、思い出す頻度も減っていくだろうけど、良い経験としてどこかで支えになったらいいなと思っています。

KAATロビーの吹き抜けの景色とくまのぬいぐるみ
KAATは本当に音響が良かった。そして全体的にオレンジでとてもナルト概念な劇場

「自分で考え答えを出し、己の意思と眼で、成すべきことを見据えたい。」

  • もしかしたら、この台詞が一番好きかも。好きな場面を挙げるなら、開幕からサスケが決断するまでの一連の場面が好きです。

  • 前回までのあらすじも兼ねていると思うけど「俺はどうあるべきであり、どう行動すべきなのか」と明言してから始まることで、サスケが“サスケにとっての『忍の生きる道』を見つけていく物語”になっている。

  • サスケは絶えず考え続ける人だと思う。心なしか、サスケはずっと、首をわずかに傾けているように見える。連合軍側で参戦してもなお、ナルトたちを見ながら「成すべきこと」の答えを出そうとしているように見える。

  • サスケは表情をほとんど変えないけど何も感じない訳じゃなくて、むしろ人より絶えず考え続けている。目の前で起きたことを見て、自分はどう行動すべきかを。七班が再結成してからも、ナルトや仲間の行動を見て自分の今後を判断しようとしてるような感じすらする。この繊細さを表すのは並大抵のことではないと、流司さんのサスケを見てるといつも思う。

  • サスケが表に出す感情の選び方も本当に流石だと思った…!自分の意志決定については芯の強さが沸き上がるように静かに歌っていて、歌声がさざ波のように広がっていた。ナルトが仙術で活躍すればステージの隅でぐっと拳を握る、うずまき親子の別れを眺める背中のさみしさ、すがるサクラにかき乱された感情を押し戻すような喉の上下… そして腕を失った後はサクラに謝る時にバツの悪さや後悔を表したり、声が優しげになることで、サスケ比で喜怒哀楽が豊かになる。どの感情もにじみ出るような感じなのもまた絶妙で… やさしく日が昇っていく夜明けとともに、彼が真に解放されたことを表せていたと思う。

  • サスケの旅立ちが、別れではなく門出の意図で作られていたのも良かった。彼の考え続ける日々は旅に出てもなお続く。一段ずつ次のステージへ上がりながら「自分で考え答えを出し、己の意思と眼で、成すべきことを見据えたい」意思は、死ぬまで尽きないのだろう。自分で考え答えを出し、己の意思と眼で、成すべきことを見据える。これが出来てる人が自分を含め現実にどれだけいるでしょうか。だから私はこの台詞が一番好き。

  • 最後のサスケの独白が、漫画よりかなり省略されていたのもうまいなと。過去を悔やむ部分が省かれたことで、未来を意識して前を向いている印象が強くなっている。そしてどの劇場でもサスケが客席の勾配を登って行ったのも、前向きさを見せる意図があったように思う。この穏やかな前向きさは漫画からは感じられないもので(こんなの原作でも見たことがない③)、本当にサスケが解放されて道を選べるようになったと思った。

  • 私はナルステをサスケが回復する話だと思って観てきた。因果を考え続けた結果、孤独な嫌われ者になることを選ぶサスケが、最後はナルトに「おまえを信じ、掛けてみよう」と歌う結末。ずっと憎悪と憤怒だけだったサスケに前作でやっと光がさして、自分の意志で静かに動いて、最後はナルトを認める。孤独を選ぶ人が他者を信じられるようになることが、どれだけ遠い道のりで困難なことか。大千穐楽のサスケの歌声の大きさと伸びやかさは素晴らしかった。サスケが長い道のりを経てやっとたどり着いた自信と重なるように、流司さんが8年間やりきった達成感であふれた晴れやかな顔で... 素晴らしい瞬間をみせてもらった。言葉にならない想い。いままでは袖から見ていたであろう『忍の生きる道』にサスケがやっと参加できたのも、良かったね~~って思う。

  • 誇張でもなく実際に、休憩中のロビーで「サスケの人めっちゃサスケだよね!」という声を横浜でも神戸でも東京でも耳にしました。でしょ~!と言いたくなる。ただのモノマネじゃないこだわりが伝わって私まで嬉しい。きっとたくさんの人に伝わったと思う。

  • 大千穐楽のカテコで流司さんが「本日まで演じさせていただきました」とあいさつされていて、そこで晴れやかな顔を見て、やりきったなと思った。流司さんもやりきったし、観客の私もやりきった。

  • 流司さんが最後に捌ける時にやる空手の押忍には「感謝・我慢・やりきる」という精神がある。あいさつに取り入れた理由は仕事を見ていればわかる。それと同時に、8年前にやっていたことを昨日のことを思い出すようにやっていく。過去も現在も財産である。8年続けるってこういうことだよなと思う。

明け方の空とくまのぬいぐるみ
神戸初日翌朝の夜明け。右奥にAiiA 2.5 Theater Kobeが見える。

怒りで表す存在感

  • 七班再結成の場面のサクラ覚醒は本当にかっこいい…!!サクラの怪力でナルトとサスケがよろける瞬間が好きです。あれで二人はサクラが守るべき存在ではないと身をもって知り、全員が思い切り戦えるようになるから。

  • サクラが強い場面は綱手様と発声が同じなのも良い。きっとせしるさんに教えてもらったんだと思う。役者同士の関係性と作中の師弟関係がリンクして熱いな…!

  • 一・二を争うくらい好きな場面が、サクラの「私だっているんだ!!」だ。七班vsマダラのクライマックスで、サクラが舞台のセンターで拳とともに叫ぶ瞬間、あの瞬間は本当に見ているこちらに生命力が湧く。

  • 「私だっている」の台詞は暁の調べでも登場するけど、意図も演出も全く違って、サスケとの圧倒的な力量差にうずくまるナルトと一緒に泣いてた女の子が、こんなにも力強く、主戦力としてゴールドに輝きながら「私だっている」と存在を示す。ナルトやサスケと同じボリュームで敵に攻撃が効く。この場面は漫画の見開きの絵をそのまま舞台に展開している感動があるが、それ以上に強く伝わってくるものがある。

  • あの瞬間の感情は怒りだ。仲間を傷つけた敵への怒りと、弱かった過去の自分への怒り。それら全てを拳に込めて、自分の存在を主張するヒロイン。こうして書いてるだけで最高じゃないですか。人の存在感を表す感情は怒りだと読んだことがあります。女が存在感を示す物語としてもあれは本当に良かった。NARUTOって10年前の漫画で至らないところが多々ある漫画だと思ってるけど、今上演するならを考えてくれたんじゃないかと思う。

ブルーとオレンジにピンクのラメをのせたネイル
サクラっぽい画像がないので、大千穐楽の日のつめ。
ブルーとオレンジに、大粒のピンクのラメ

血沸き肉躍る戦闘狂マダラと後悔が人生を作った柱間

  • マダラの戦闘狂っぷりはマジで素晴らしかった…!血沸き肉躍るのを心から楽しんでるように、肉弾戦の間はずっと笑ってるんですよ。六道地爆転生でナルトとサスケが合わせた手を見上げて笑っててたまらん。戦を愛し戦に愛されている。きっと四肢が捥げて血を流してこそ生を実感するタイプ。最後の「まずい」に焦りがなくなっていくのが好きでした、体力消耗して疲れきった時のため息みたいで。マダラは全員をボコボコにするぶん全員が力ずくで集中攻撃してやっと機能停止するくらいがいいんですよ。

  • 殺陣だけではない。マダラは生前の若い頃と穢土転後で声を変えてるんですよね。若い頃は柔らかさがある、柱間との夢と一族の長の間での迷いもある。転生後は声がしっかり老けていて、いがらっぽさと重さがある。もしかしたら闇落ちの表現かもしれない。私がファンだったらこれは観ていて本当に楽しいと思う。

  • 殺陣の経験が浅いキャストから「誠治郎さんにアドバイスしてもらった・練習に付き合ってくれた」エピソードをよく聞きます。敵キャラとしての戦い方もそうだけど、意図が伝わる戦いの見せ方をよく作ってくれたと思う。

  • 姜さん柱間は「多くの幼い子供たちの死だった」の声色といい、綱手に謝る時の感じといい、子供を死なせたことを凄く悔やんでいて、子供を死なせない・子供に苦労させないという意志が柱間の人生を作ったことがわかる。そしてそこに一族の隔たりはなく、だからサスケにも自分の孫のような態度で接している。このにじみ出る後悔と優しさで柱間という人の解像度がぐっとあがる。2.5の.5の部分の魅力です。

アイア2.5シアター神戸の入口とくまのぬいぐるみ
@AiiA 2.5 Theater Kobe
10.18 ソワレ

続編でも再演でもない未来

  • ナルステって本当にいいカンパニーだなあと思うエピソードがたくさんある。以下に、キャストのインタビューや配信で登場したエピソードをまとめてみる。

・児玉さんは演技を細かく指導せず、ニコニコ見守ってくれる。
・児玉さんは役者が出すアイディアをどんどん取り入れてくれる。
・演出家の机で輪になって話し合う時間がある。
・ベテランやナルステ歴の長い役者が、キャリアの浅いキャストにアドバイスしたり練習に付き合ってくれる
・一人で筋トレやランニングをしてると僕も私もと仲間が増える
・逆に、役作りに集中していて稽古中のエピソードがあまりないキャストもいる
・SNSの更新がマイペースなキャストが多い

  • こうしてまとめると、役者の意見を取り入れながら作られた舞台で、皆仲良しだけど一人で過ごしたい人は一人ですごせる場所でもあるように思いました。一人一人を尊重する舞台だったからこそ、この物語を上演できたように思う。

  • そして、ナルステ出演者が脚本・演出した舞台の現場でも、役者が持ってきた演技やアイデアを否定しないエピソードを多々耳にしました。こうして、経験した役者たちが良いところを受け継いでいくんだと思う。

  • 舞台のシリーズは完結したけれど、そのメソッドやこの先の2.5次元舞台につながるノウハウがきっとあるはず。続編や再演の期待とはまた違う、そういう未来を感じている。私が悔いがないのはそれが大きいです。

空と海とくまのぬいぐるみ
横浜の海を眺めるナルトベアとサスケベア

私とNARUTOとナルステと

  • 私は小学生の頃にNARUTOを夢中で読んでいました。実際に12歳くらいの時にジャンプでサスケ奪還編をハラハラしながら読んでいた子供だった。アニメの放送がゴールデンタイムに引っ越してOPが遥か彼方に変わった日の興奮は、今でも覚えている。

  • その当時、NARUTOのどんなところが好きだったかと考えると、ナルトやヒナタみたいな落ちこぼれが頑張っている話に夢中になっていたと思う。自分も、勉強もスポーツもできない、学校にも家にも居場所がない、何もできない子供だったから。その無力感と孤独はどうしたら埋まるのかを子供なりに考えながら、同じ落ちこぼれに励まされるような気持ちで漫画を読んでいた。子供のころはそれを解消するのは本人の努力次第だとしか読み取れていなかった。

  • だけど、その無力感と孤独は他者から認められることでも解消されると、ずっと大人になってから気づいた。そして、他者から認められている状態を自覚することは難しいことも。誰かから何かを任されるか、その人のために何かをしてやりたくなることが、他者から認められるということだと気づいた。それが孤独と無力感を埋めると知った。

  • ナルステはこれを数年かけて描いていて、里の仲間が、長門が、オビトが、そして最後はサスケがナルトを認めて任せていく話になっている。

  • 瀕死のシカマルが「火影になったナルトの隣にいてやらないと…」と立ち上がる場面で、誰かを認めるってこういうことだよなと思った。何かを任せるのもその人を認めたことになるけど、その人にとって力が及ばないことを助けてやることもその人を認めたことになる。

  • 子供の頃の受け取り方と今の受け取り方は違うけど、そのどちらも間違ってはいないだろう。子供の頃はNARUTOが、大人になってからはナルステが、私に生きる道について考えさせてくれた。そのことがとても嬉しい。NARUTOとナルステは、私の人生前半のハイライトとなる作品と言えます。

夜のTOKYO DOME CITY HALLの入口とくまのぬいぐるみ
@TOKYO DOME CITY HALL
10.28 ソワレ/11.3 マチネ/11.04 マチネ/11.04ソワレ/11.05 マチネ/11.05 ソワレ
  • 最終章が始まる前、終わったらどんな気持ちになるのか想像がつかなかった。ナルステで推しを知ったし、ナルステを通じて出会った人たちや足を運んだ舞台があって、私にとって「出会ってなければありえなかった人生を作ったもの」だ。毎年のようにあったそれがなくなるのはどんな気分か。そんなことは今までの人生で経験がなかった。

  • 幕が上がると、そこに描かれていたのは晴れやかな門出だった。別れを惜しむ気持ちもあるけれど達成感がある。見たいものが3時間たっぷり見られて、心から満たされている。未来も感じた。それでもなお、大千穐楽が終わって客席から出る直前に、誰もいない舞台を目に焼き付けようと振り返った時の気持ちを私は忘れないだろう。一週間後に別の舞台でTDCに行った時、全く違う舞台セットがステージにあって、ああ、本当に終わったんだと思った。

ソファの上に転がるくまのぬいぐるみ
大千穐楽の翌日、ベアたちが意図せず終末の谷のようにソファで転がっていた。腕はあるが。

ナルステ、本当に本当にお疲れさまでした。8年も続けるの、本当に本当に大変だったと思う。私が観劇し始めたのは6年前の暁の調べだけど、この6年間わたしは楽しいことしかなかった!
私が6年前にナルステを観に行こうと思った理由は「画面で見てすごいものは生で見るともっとすごい、できるだけ実際に現地に行った方がいい」という信条が根底にあったから。それは今も変わらなくて、自分が経済的にも体力的にも行けるうちはできるだけ足を運ぼうと思っている。

ナルステのある週末が、毎年本当に楽しかった。今になって思えばNARUTOの舞台がやってるらしいと聞いて、試しに2015年版の映像を見たあの瞬間から、全てが楽しかったと思う。この作品に出会って、本当に良かったです。

ライブ・スペクタクルNARUTO暁の調べの公演のポスター
初めてナルステを観劇したアイアシアターに貼ってあったポスター

今回は全部で10,605文字と、私が書いてきた舞台の感想の中では最長になりました。毎年感想を読んでくださった方も、今年からの方も、たまたま読んでる方も、ありがとうございます。最後までお付き合いくださり、ありがとうございました!