ケガで培った「絶対あきらめない」
私は小学校3年生から野球を始めました。
決して上手くはありませんでしたが、周りの仲間たちはとても上手でした。チームの猛練習になんとかついていった結果、小学校最後の大会で全国大会に出場して準優勝を果たすことができました。
しかし、いつも順風満帆にはいきません。
小学校6年生の時、右肘の離断性骨軟骨炎というケガを発症。この怪我が私の野球人生に大きな影響を与えることになったのです。
1.怪我との戦いと左投げへの挑戦
右肘の怪我は私にとって大きな試練でした。
中学3年間、私は左投げでプレーすることになりました。最初は右手で投げることが当たり前だったため、左手でのプレーには大きな不安と違和感がありました。しかし、それでも野球がしたい一心で、私は左投げに取り組むことを決めました。
左投げでのプレーは思っていた以上に難しく、最初はボールをうまく投げられなかったこともありました。でも、少しずつ自信をつけ、技術を向上させていくうちに、次第に自分の感覚が左投げにも馴染んできました。
結局、中学3年間は右肘を使えず、左投げでプレーを続けました。毎日が試行錯誤の連続。それでも、野球を辞めるという選択肢は考えられなかったんです。どんな形であれ、野球を続けるんだ。その一心でプレーしました。
中学3年生の終わり頃、右肘をもう一度使えるようにしようと決断し、手術に踏み切りました。「これで高校では右投げに戻れる」。そんな期待を胸に挑んだ手術でしたが、結果は失敗。肘の状態は改善せず、結局高校でも3年間左投げでプレーを続けることになりました。
2.身体作りと再挑戦
そんな私は大学在学時にはクラブチームでプレーし、その後就職したのは東京のリハビリ器具メーカー。そこで身体の使い方を学び、柔軟性を高めるためのトレーニングに取り組みました。
最初は、塁間の距離さえ満足に投げられない状態でした。しかし、トレーニングを続けるうちに、遠投は70メートルを超えるようになり、球速も徐々に向上していきました。それでも満足することなく、更なる成長を目指して努力を重ねました。
3.右肘の痛みから解放されて
会社での経験や自己流のトレーニングを続けた結果、遠投はついに100メートル以上、球速は130キロを超えるようになりました。さらに驚くべきことに、左投げでも120キロの速さで投げられるようになったのです。まさか、あの怪我からここまで回復し、再び投げられるようになるとは思いませんでした。
今では、右肘の痛みを感じることはなくなり、野球を思いっきり楽しむことができるようになりました。あの怪我が私に教えてくれたのは、身体を大切にすること。そして絶対にあきらめないことでした。
4.挑戦し続けることの大切さ
私の野球人生は、決して順風満帆ではありませんでした。でも、それがあったからこそ、今の自分があると実感しています。どんな困難にも諦めず挑戦し続けることこそが、成長を促すのだと強く感じています。
私はこれからも、自分の経験を活かして、身体作りやトレーニングについて学び続け、発信していきたいと思っています。絶対に諦めないでください。必ず道は開けます。