【過去記事】映画すみっコぐらしとびだす絵本とひみつのコ 20191126感想
※この記事は2019/11/26 当時にふせったーに投稿したものです。
備忘録
映画すみっコぐらし、ひよこ?とみにくいあひるのこのおはなしについて
ネタバレ含みます、ちょっときつめです
以下ネタバレ
ひよこ?は
みにくいあひるのこである可能性は初めから否定されていた
=ぺんぎん?アナザーストーリーであるから(私見)
=ぺんぎん?もひよこ?もこの世界には存在しない幻
である
それについては前にも書いたんですが先週4回目を観たときにゾクッとしたのが、
みにくいあひるのこの世界からの否定は、
仲間と存在そのものの否定に繋がる
ということ。
そしてこの世界を最高の効果で発揮させるために今までの世界があったし、この世界があったからあのすみっコらしいエンドになったこと。
鳥肌ですよ、これ。
本上さんの絵本語りでもありますし、そもそもご承知の通りみにくいあひるのことは、
【仲間はずれ】の【みにくい】ひなが自分の仲間を探し求め
最後に【美しい】白鳥の【仲間】として飛び立ってめでたし、のお話。
ぺんぎん?の「これだー!!」から始まり
すみっコたちが我が事のように喜ぶ【仲間】を思う【美しい】光景が、
絵本の仕掛けによって儚くも脆く崩壊する。
これは最高に恐ろしい仕掛けで、
ひよこ?の存在が絵本から全否定されてしまう瞬間なんですね。
桃太郎世界で犬猿雉のお供の仲間意識に憧れ、すみっコたちと共にマッチ売り世界や人魚姫世界、アラビアンナイト世界を巡り(そうえば赤ずきん世界は行ってないんだなあ)、仲間を探し続けるんだけど見つからない。
そして最後にみにくいあひるのこ世界、最も【美しく】【仲間】と出会える世界に来たんだけど、その世界から思いっきり否定をされてしまう。
もはやこれは【仲間の存在】の否定であり(そんなものは初めからひよこ?にはいないんだよという残酷な宣告)、絵本そのものからの否定(ひよこ?の仲間はどこにもいない=あなたの居場所はない=存在自体の否定)でもある。さらに【美しい】エンドの否定でもあるんだと思うのです。
この場合の【美しい】エンドとは、ひよこ?の仲間が絵本の中に見つかってよかったよかったハッピーエンドで終わる話。
じゃあひよこ?は【みにくい】もので【仲間はずれ】のままなのか。
そうさせなかったのががすみっコたちであり、そうならなかったのがすみっコとひよこ?の出会いがあったからなんです。
泣ける。
もはや何回でも泣ける。
最終的にひよこ?はすみっコたちとなかまのしるしを交わし、隔てるもの(絵本と現実)にも屈せず、すみっコたちはひよこ?のために仲間と居場所と世界を創造する。
すみっコたちは二度とひよこ?とは会えない。悲しみと寂しさはあるけれども、ひよこ?にとって最良のエンド(自分の仲間と存在が肯定された世界)をプレゼントしてるんですよ。なにその優しさの塊……
みにくいあひるのこ世界は、ひよこ?にとって本当の仲間と本当の美しい答えにみんなでたどり着くために経なければならなかった最大の試練。
そして自分の存在を受け入れすみっコたちもひよこ?を受け入れたことで乗り越えた試練。
だからあのエンドは生まれ、ひよこ?に本当の仲間が出来たのかなあ、と。
それにしても昔話や童話、絵本にはある種の残酷さが往々にして含まれてるけど、あまりにもそこを忠実に【絵本】再現した脚本は恐ろしい…
映画すみっコぐらし自体が子どもに読んできかせる絵本を映像化したかのよう。それが前提か。
そんなところも含めて映画のスタッフさんや関係者の方々には大喝采を送りたいです。本当に映画をありがとうございます。
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余談ですが、仲間を求めていたひよこ?が仲間の存在に救われ本当の仲間が出来たって話がとても【卵が先か、鶏が先か】に似ていてそんなところまでひよこ?ってなったのでした。
うーん、ひよこ?は奥深すぎる