【過去記事】映画すみっコぐらし とびだす絵本とひみつのコ感想(ぺんぎん?について
※この記事は2019/11/17 当時にふせったーに投稿したものです。
映画すみっコぐらしとびだす絵本とひみつのコ
ぺんぎん?についての感想
これはぺんぎん?のアナザーストーリーかつifの結末だった。
ネタバレがっちりあります。
___以下ネタバレ___
映画すみっコぐらし3回目観てきたぞー
ようやくぺんちゃんへの思いが固まったので(まとまってはいない)、
ネタバレがっちりありでこちらに書くよ
映画、そらいろ、今までのシリーズとかいろいろネタバレしてますし、
かなり表現が尖ってるところや暴走してるところもあるかと思うので
ご注意ください。
思いのたけです。全力でぶつけてます。まとまってません。
誤字脱字はごめんなさい。そっとスルーしてください。
主役はぺんぎん?
まず映画でのキーパーソンと言われたぺんぎん?だけど、
キーパーソンどころか主役ですよこれ!
ぺんぎん?=ひよこ?はまさにそのもの。
ひよこ?は自分を探し続けるぺんぎん?がもとめた一つの結果で、
でもこれはぺんぎん?の結末ではないところが非常に肝。
ぺんぎん?視点の物語とは
ぺんぎん?からみた映画の大筋としては、
迷子のひよこ?に自分を重ねたぺんぎん?が誰よりも熱くひよこ?のおうちと仲間を探し、何度か思いを交わし、そして辿り着いた真実を突きつけられても(ひよこ?が落書きから生まれたこと、絵本からは決して出れないこと)そこでは終わらず、絵本の世界に新しい世界を創造して絵本の仲間として再会して楽しく暮らす(けど本体はひよこ?を大切に思いながら日常に戻っていく)、むちゃくちゃ熱すぎる感動ストーリーです。
1
ぺんぎん?は自分が何者か分からず自信がないキャラだけど、だからこそ仲間に対しては非常に熱い性格ですよね。ぺんぎん(本物)とアイス屋さんしたときのお別れも誰よりも泣いたり。あと境遇が似てるものに対して、自分のことのよりも行動的になる。うみっこシリーズのひとで?とかね。
今回のひよこ?は、「おうち」も「誰」かも「なかま」もわからない、「迷子」の心細いひよこ?。桃太郎のおうちシーンで「ぺんぎん?=ひよこ?」と結び付いたときのあのぺんぎん?は、その心細さとか、寂しさとか、辛さとか、そういうものを一気に感じて、自分と同一視してるんですよね。
ひよこ?の辛さは自身の辛さ。そして咄嗟に手をとった。
2
あの桃太郎のおうちシーン、ねこが「迷子?」と言ったときのひよこ?の悲しみ溢れた涙はあのまま流していたら、ひよこ?はある種の自己喪失に陥っていたと思うんです。
あの時点でのひよこ?は、隕石のごとく降ってきたすみっコたちを仲間かも??!と期待していたわけだけど、会ってみたら知らないみんなだった。期待が失望に変わり、溢れる涙で立ち上がれなくなりそうだった、そのときに、ぺんぎん?が「おなじだー!!!」とひよこ?の手をとるあのタイミングですよ!!!
あれは最高に絶妙なタイミングだった、あの時ひよこ?は喪失せずにすんだんです。だって(まだ本当の意味ではないけど)仲間と会えたんだから。
その意味でのあそこのぺんぎん?は、最初にひよこ?に救いをもたらした最重要キャラと化したのです。泣ける。思い出すだけで無理。
3
その後アラビアンナイトの世界で再会するんだけど、
その前にぺんぎん?とアラビアンナイトとの世界について。
(あくまですみっコのあのアラビアンナイト)
実はアラビアンナイトの世界は、唯一アラビアンナイト世界における絵本の住人が出てこない世界なんですよね。あんなに家があって明かりもついてるのに、そこは探しても探しても仲間も居場所もない。アラビアンナイトはぺんぎん?の心象世界でもあるかと。もちろんひよこ?もですが。
魔法の絨毯に乗って目覚めるぺんぎん?も象徴的で、魔法の絨毯って便利だし空も飛べるしどこまでも行けそうだけど、魔法という空想で不安定なもの、空を飛ぶ絨毯はふらふらと乗り心地安定が悪い(現にひよこを助けるまで乗りこなせていない)っていうのが、自信のないぺんぎん?そのものだと思うんです。
その魔法の絨毯を操れたのは自分と似たひよこ?を助けるためであり、強いては仲間のために力を発揮する。すみっコの中でも一際熱量がぺんぎん?は違うと思うのです。イケぺんだった。
ひよこ?と合流しておうちを探す二人。ひよこ?と同じ目線で一緒に探すのはすみっコたちの中でもぺんぎん?だけだし、探すことができるのはぺんぎん?だけ。
アラビアンナイト世界は夕暮れから夜(星空)へと時間が変化してる。
夕暮れは黄昏時、こちらとあちらが曖昧になり境界がぶれる刻。自己のアイデンティティが不安定な2人が出会う刻。
星空は、幾億も輝く星は同じ輝きに見えて、全て違う輝きを放っている。これはアイデンティティの確立というか、自分が自分であることを受け入れること。最後にひよこ?がすみっコたちと会って自分を受け入れてお別れする暗示であり、「おうちがみつかりますように」の願いが叶う暗示でもある。
これはきっといずれ来る、ぺんぎん?が〈自分〉を知り自分を受け入れることへの暗示でもあるんじゃないかと。でもこれはぺんぎん?アナザーストーリー(if物語)だから、ぺんぎん?は今ではないしこの結末ではない。
あのアラビアンナイトの世界はどのすみっコの世界よりも心象が反映された心の世界だった。
4
そして最後に至る道程。夜に語る二人からみにくいアヒルの子。
初回観たときは(みにくいアヒルの子じゃないのかよーー)ってべたに思ったけど、今思えばそうであるわけがないんだよね。だってひよこ?はぺんぎん?だから、この世には存在しないものだから。もしみにくいアヒルの子だったらこのすみっコ冒険譚は本来の意味では成立しなかったし、ただのいい話で終わり、すみっコたちの心の糧にはならなかったろうね。
5ー1
そして最後、実はひよこ?は誰かが書いた落書きであったこと。
話はずれるけど折角なので、あの何もない世界についても先に少しだけ。
あの真っ白な世界は余計なテクスチャが剥がれた、原初の無垢の世界。パンフにもあったけどこの絵本の世界は、世界ごとに【如何にその世界に近づけるか】を基にかなり拘って作られてるんですよね。音楽も背景も。それにしても背景の拘りには唸った、背景最高である。美術展はよ。
その世界から全て否定されて落ちた、無垢の世界。この場合は無垢というよりも、残酷か。漂白されたように何もない世界は、自分と世界の真実に向き合う場所。多くの人が言うように、すみっコたちは優しいけど世界は必ずしも優しくはない、というか残酷。この白い世界も無慈悲さと残酷さを表していて、でもそこを乗り越えるのが意思と意志を持つものたちの強さであり、人生の糧と生けるものの成長なんだよ。
この映画はね、生けるものを肯定する人生の栄養剤ですよ。疲れた心に優しさが満ちる、といった感想が多いのもその通りですよ。だって残酷な世界に立ち向かう意志あるものを真っ直ぐに肯定しているから。
5-2
閑話休題、ぺんぎん?とひよこ?の話に戻る。
まずはひよこ?の正体である落書き。本来絵本世界には有り得ない異物の存在は、実はかっぱ(実在しない空想のもの、異物)だったぺんぎん?と同じ立ち位置のもの。そのひよこ?をしろくまが肯定し受け入れる、その流れが素晴らしい。
なぜしろくまだったのかと考えていたんだけど、ひよこ?をぺんぎん?に置き換えるとすぐに解るんだよね。いつもすみっこを取り合ってるし、時々けんかもしちゃうけど、お互いを解っていてお互いを受け入れてる関係性。だからあの場面で声をかけたのは、しろくまだったんだよ。(思い出して泣けてきた)
花を持ってたしろくまが(そうえばあの花は絵本の世界のどこで拾ったんだろう?)仲間のしるしにみんなに配りつけるシーンは、毎回冷静には見られないほど涙があふれてしまう。
正体を知ってなお変わらずに受け入れることは、本当に難しいんよ。それは日常生活において当たり前に自分と他人は違うことを受け入れてることであるけど、どうしても自分の考えや在り方を他人に押し付けて、違うものは受け入れがたいとしてしまうのが世の中の常。その難しいことを何の躊躇いもなく、ただひよこ?の境遇だけを思いやった結果、あの言葉がしろくまから発せられたと思うと、いずれ来るぺんぎん?の真実に自身が気づいたときの暗示にもなってる。人見知りという性格を持ちながらあの発言をするしろくまとその土壌を作っているすみっコたちは、生ける意志あるものとして尊敬しかない。
…話がちょっとずれた。
さて、ひよこ?がこの世界から出ることが出来ない残酷な事実と世界の理不尽さを知ったとき、ひよこ?はこれまでのすみっコたちとの冒険と優しさと【仲間】のプレゼントを抱えて受け入れるわけですが、悲しい笑顔で終わらせたくないぺんぎん?たちは最後の最後に絵本の真っ白なページに書き足すわけです。【ひよこ?と同じかな姿をしたすみっコたちに似た子達】と【ひよこ?のおうち】と【仲間のしるしのピンクのお花畑】をです。
思い出して泣けてきた、泣くしかないだろーーー。
どなたかの感想でも見ましたがこれ、
そらいろのぺんぎん?の話の一つのアンサーなんですよね。
ぺんぎん?は自分が誰なのか何なのか、解らない。
自分はどこから来たのか、解らない。
自分の仲間はどこにいるのか、解らない。
ひよこ?もまさにそれで、しかもひよこ?はその全てが無いものと分かってしまった。しかもその上で絵本世界と現実世界の壁に阻まれてどうしようもない無力感に苛まれる。さらにひよこ?は別れの時は涙を浮かべながらも、笑顔だったと。
ここについては全く明記されていませんが、個人的には白紙のページに書き足すアイディアは間違いなくぺんぎん?のアイディアだと思うのです。それしか考えられません。自己のアイデンティティが不安定なぺんぎん?が出した答えと結末が、ひよこ?世界の創造だったんだよ。
エンドロールはね、もう泣くしかないよね。ひよこ?に号泣しながら抱きつくぺんひよは最高に泣くしかない。絵本も現実もおやすみっコは泣くしかない。もはや語りは要らないです。優しさにあふれた救いの気持ちだよ。
ぺんぎん?が望んだ結末とは
さて最後に、
この結末を選んだぺんぎん?は果たして自分も同じ結末を望んでいるのか。そうなろうとしているのか。
それは否だと思います。
確かに自分が何者か解ったとき、自分の同種の仲間は?おうちは?と思うところもあるかとは思う。ただすでにぺんぎん?にはしろくま始めとしたすみっコたち、みにっコたちやぺんぎん(本物)などの新しい友もいる。そらいろの最後の締め括りもそんなことを感じさせていましたが、ぺんぎん?にとって自分が何者であっても、今ここにいるみんなが仲間で、自分は自分でここにいていいんだ、という自己肯定感が最後には生まれ自分を受け入れる結末に向かっていくのではないかと思うのです。
ぺんぎん?は、すみっコたちと出会わなかったら今回のif物語がTRUEENDとなっていたかとは思うけど、すでに道は別の方向に向かっている。
本作、映画すみっコぐらし とびだす絵本とひみつのコは
ぺんぎん?の有り得たかもしれないTRUEENDであり、
今では有り得ない幻のif物語である。
幻の物語を語る上で、
絵本の世界という非現実かつ二度と戻ることが出来ない夢のような時間軸に設定を作ったことに対しては、本当に舌を巻く。
何度も言うけど、
この映画すみっコぐらしはそういう意味で本当に恐ろしい映画です。
良くできすぎている。
傑作すぎる。
まあなんやかんかと書いてきましたが、
ぺん?ちゃんは最高だな!!!ってのが結論です。
ひよこ?にぺん?ちゃんがいてよかった。
長々と思いのたけを読んでいただきましてありがとうございます。
ネタバレ部分も書けて結構スッキリしました。
最後に一言……
映画すみっコぐらしはいいぞ!!!
◎追記
そうえばネタバレついでにもう一言だけ、
ぺんぎん?話には関係ない泣けるポイントを。
パーツの塔が完成してすみっコたちがぴょんぴょん登ってくるあのシーン。
あそこのカメラアングルとすみっコたちの動きとあのBGMの組み合わせが鬼のようで泣くしかない。個人的にはあそこが一番どうしようもない感情のピークです。あの場面だけは多分これから何回観ても絶対泣くシーン。