たった一人で50周年 『ラ・マンチャの男』 2019.10.10(木)マチネ
一ヶ月半ぶりの観劇は、今年で50周年を迎えたミュージカル『ラ・マンチャの男』だ。もともと大好きな作品で、今シーズンも何とかして観たいとは思っていたところ、何と東宝から『UNDER25』と並んで『OVER50』なるチケットの案内が来たのだ。
UNDER25チケット、つまり25歳以下であればお安く観劇チケットが買えるサービズはいまや市民権を獲得し、あちこちで散見されるが、シルバー向けの観劇チケットはなかなかない。今回はおそらく、50周年記念ということもあり、50歳以上の人への格安チケットが発売されることになったのだ。なんとS席13,500円が5,000円ジャスト。これはもう天啓だとばかりに、発売と同時にチケットを確保してこの日の観劇に向かった。ちなみにお席は1階R列センターブロック。悪くないお席だ。
しかしこの『ラ・マンチャの男』という作品は、本当にすごい作品だ。まず松本白鸚が(市川染五郎のときから松本幸四郎時代を経て)たった一人でタイトルロールを演じているということだ。俗に言う単独主演だ。
そもそもミュージカルの世界に於いて単独主演というのはなかなかに難しく、大抵の場合は世代交代するのがふつうだ。劇団四季の代表作である『ミュージカル李香蘭』を演っている野村玲子さんですら、単独主演ではなく、過去に別の女優さんが演じたことがある。東宝『エリザベート』も2000年から2006年までは一路真輝さんが単独で主演していたものの、ご出産を経たためもあろうが、代替わりしていった。私が思いつく範囲では、他に大型作品での単独主演を継続しているのは『Endless SHOCK』の堂本光一さんくらいだ。
そう、実は単独主演での最多上演記録は、その堂本さんが保持している(1700回超)。しかしそれは、2000年からの十数年で一気に達成したものであり、もちろんそれはそれで最高に素晴らしいことであるが、50年で1200回以上を一人で演じてきたこの場合とは趣を異にする。ラ・マンチャのすごいところは、たった一人で50年やり続けているということだ。
私は、もう少し早いタイミングで息子にその役を譲るのだとばかり思っていたが、再演のたびに松本幸四郎(当時)がキャスティングされるのを見て、本当に最期の時までやり続けるつもりなのだな、と認識を改めたところだ。(私がそう考えたのには理由があり、白鸚が65歳くらいのときに「70歳まではやろうと思っている」と言うのを聞いたからだ。しかし今やもう77歳だ。)
余談であるが、まったく手元にデータがあるわけではないが、単独ではない主演の最多出演記録はおそらく『オペラ座の怪人』の高井治さん(2000回超)だと思われ、また、主演ではない最多出演記録は『キャッツ』の服部良子さん(3500回超)だと思われる。
そしてもうひとつこの作品がすごいのは、東宝と松竹が手を握った記念碑的な作品ということだ。東宝と松竹は興行会社としてライバルであり、歌舞伎俳優である市川染五郎(当時)が東宝の舞台に出るなどとはとても考えられなかったのだ。その敵対心を超え、染五郎を送り出した松竹も、受け入れた東宝も、本当にすごい英断だったと思う。(このあたりのことは、かなり情報が不正確であると思われるが、私のイメージのままに書き記すこととする。)
そういえばこれまた余談であるが、ロンドンそしてニューヨークで『オペラ座の怪人』が大成功を収めたあと、日本の新聞に『東宝が「オペラ座の怪人」の上演権を獲得。主演は松本幸四郎!」と出たことがあったはずだ。結局その話は幻となり、最終的には劇団四季が上演権を獲得したのであるが、もし本当に東宝が上演権を獲得していたとしたら、これまたラ・マンチャのように単独主演で30年以上続いたのであろうか、と思うと興味深い。
前置きが長くなったが、さて、ラ・マンチャの男だ。
これは、詩人(劇作家)であるセルバンテスが投獄され、その獄中で「ドン・キホーテ」の芝居を演じるという劇中劇の形を取っている。しかし完全な劇中劇ではなく、ときに劇と現実が交錯するのがこれまた面白い。
この作品からは、セルバンテスの、そしてドン・キホーテの生き様から、私たちは多くのものを感じることとなる。それは作品を観てからの楽しみでもあるので、ここでは触れない。私の経験から云えば、若くしてまだ人生の終焉を考えたことのない人にはちょっとピンと来ないこともあるようだ。概ね、35歳以上の人が号泣することの多い作品だと思うが、できれば若い人にもご覧いただきたい傑作だ。
この作品は名言の宝庫でもあるが、その中でもいちばん有名なのは「事実とは真実の敵なり」という一説だろう。目の前にある事実と折り合いをつけて生きるのではなく、真実の人生を求めて生きたドン・キホーテだからこそ発することのできるセリフだ。
ビッグナンバーとしてはやはりテーマ曲である「ラ・マンチャの男」と、そして「見果てぬ夢」が挙げられる。前者は新妻聖子さんの持ち歌としても有名であるが、残念ながら聖子さんはこの作品には出ていない。後者は今でも、このナンバーをこれ以上心震えて聴かせることのできるのは白鸚以外にいないと実感できる素晴らしい名曲だ。ぜひ劇場で堪能いただきたい。
今回、当然のように私も号泣した。どうしてあそこまで涙が流れるのか、私でもわからない。劇場の民として、至福の時間だ。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?