繊細さん。

友達が、病んでしまっている。
電車に乗れないと言われた。
なので仕事に行けないのだと。

電車に乗ると気持ち悪くて吐き気がして、途中の駅で降りて動けなくなってしまうらしい。

私が高校生の頃、隣に座っているお姉さんが、涙を流していたことがある。何か辛いことがあったのだと思った。なのに私は声をかけられなかった。大丈夫ですか?と言ってあげればよかったと、今でも後悔している。
何もできない私はポケットティッシュを置いて、降りるべき駅で降りた。

友達は一年前くらいから転職して新しい職場で働いていたが、いつも帰りは9時過ぎ。にもかかわらず、上司からより効率を上げるためにレポートを書かされたり、新卒の面倒までみさせられていた。片付くことのない仕事と、言うことのできない人間関係を聞かされた私は、辞めればいいのにって思った。なんで辞めないのだろうとすら思った。しまいには苛立ってきた。

そうしたら、友達はネジが外れてしまった。

辞めたいとすら言えない人がいるんだ。バックれることすらできない人がいるんだ。

そんな気にしいな人を、そんな言葉なんか知らないみたいな人がいて、そういう人が同じ会社で同じように働いていたら、気にしいな人は壊れてしまうんだって思った。

私はどうにかしてあげたいと思ったのに、一緒に買い物に行くこととか、どこが海に連れて行くこととかしか思い付かなかった。

誰かが苦しんでいるのに、行動できるはずの足は動かなくて、見分けられるはずの目は液晶画面ばかり眺めてて、聞き取れるはずの耳はイヤホンで塞がってて、訴えられるはずの口は空気を読んで無難なことしか言えない。

彼女に死のうとか思ってないよね?って聞いたら、そりゃ死んだっていいやくらいには思ってるって言われてしまった。でも自ら命を経つ力はないと聞いて、安心した。

じゃあ、誰かを助けられない自分が、死にたいほど嫌にならないか。と自分に聞いてみたら、やっぱり自分なんかも、ただ生きてるだけだから無意味なのかなとか。


困ってる人を助けてあげる力が私にあったら良かったのに。って涙が止まらない夜でした。

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