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己の適性で悩む

一番言いたいことは最後に書く。
暇な人だけ読んでくれればそれでいい。

思えば小さい頃は国語の点数はあまり良くなかった。

毎日国語のテストのあったあとは作者の気持ち? 
わかるわけねぇだろテレパシーかよって切れてるような子どもだった。
そんなんだから文章力が向上しなかった。
社会に出たときお前の文章は全然だめだと徹底的に駄目だしされまくった。
どうせ伝われば何でもいいだろと思ってた自分の文は
人にすら伝わらなかったらしい。情けない話だ。

あと漢字を覚えろみたいのも本当に苦手だった。
あまりにも覚えないといけないことが多かったからね。

算数は得意だった。

覚えることが少なくていいから。
1つの公式を覚えたら全ての問題が解けるので。

これほど楽な学問はないと思ったほどだった。
ただ計算ミスは異常に多かった。
100問あったら30問はミスしてる感じ。
理由は簡単で検算していないからだ。
検算に意味を感じなかったのだ。
『解き方がわかってればいいだろと』
時間をかけることに価値を見い出せなかった。
数学になってもあまり大きく変わることはなかったが
覚える項目が多くなって若干わからないことが増え始めた。
不得意というほどではないが解けないことが不愉快に感じた。
が、あまりに低下する学力に親が不安を覚え塾にぶち込まれた。
夏期講習だけという話にうまく乗っけられてそこでわからないところは
徹底的に聴き込むことでほとんど再び解けるようになった。
相変わらず検算しないため、ミスが目立った。
高校生になると塾に通うのをやめたのもあったが
「俺はこれから一生勉強するのか?」と悩んだ結果
勉強をやめたため、流石に数学も終盤はついていけなくなった。
それでもあんまり特別親しくなかったが
勉強割とトップクラスにできるやつに名指しで
こいつは数学は出来るから教えたれといわれ
クラスメートに数学を教えたことはなんとなく記憶にある。
(俺は数学平均点切ってるような人間なのに
 なんで人に教えんといかんのだと理不尽に思った記憶)
しかし大学以降数学の記憶はあまりない。
結局数学なんて使わない。ただそれだけのこと。
いま微積やれって言われたら全く記憶にナイや。

英語は死ぬほど嫌いだった

漢字が苦手なやつが英語が得意になるわけもなく。
全てが嫌いだった。
ただ文法というやつはちょっと数学っぽく法則があったので
それは嫌いじゃなかったが結局単語が出てこないんよ。

でも今英語ができないことは悔やんでる。
創作作品は海外のものは当然英語だ。
しかしやはり映画などは原文で読むのが一番だ。
言葉の意味が変わってしまう作品もあるのでね。

アベンジャーズエンドゲームをみたときに
ラストシーン、アイ・アムアイアンマンをみたとき
私は完璧なのだのサノスのシーンと被ってるのとか
翻訳聞いてたらわかりにくいしね。

それでも英語は小学生に入ったと同時に習い事でやらされてたけど
全く身につかなかったね。
習い事はクソよ、バカしかやらない。

理科もわりかし得意ジャンルだったと思う

学生時代何が好きって理科の時間だったと思う。
昨今の事情は知らないが私の時代は大体理科の実験は
終わったら解散していいというものだったからだ。

大体理科のある日は前の休み時間に今日やる項目を
全て頭に畳み込んで爆速で終わらせてた。
大体20~30分程度だろうか。

そうすると50分の授業が20分近くも多く休みがもらえるわけだ。
こんなに素晴らしいことはない。

これを繰り返していたらある日授業参観で
いつも同じチームに所属する子の親御さんに
母親が「いつも息子さんのお陰で大変助かっている」
との言葉を頂いたそうだ。
勝手に全部やってるからむしろ勉強という意味では良くないと思うんだが
まぁ子供組はみんな早く終わることに越したことはないから
いいことをしたと思っておく。

しかし高校生になるとそれも変わってくる。
実験よりも学問が主体になってくるのである。
すると僕の成績はこうなっていった。
物理:ほぼ満点 化学:おわってる 生物:おわってるより
簡単な話で元素記号を覚える段階で転けた。
アボガドロ定数ってなんやねん、理由を説明しろ理由を。
いきなり概念を出して後出しで理由を説明するのをやめろ。
俺が先生ならまず元素数とアボガドロ定数について先に説明するね。
義務教育の敗北やろとキレ散らかしてた。
生物もそこそこにやってたがやれ酵素の種類を答えろだとか
そういうのはからっきしだめだった。
いんげん豆の遺伝とかそういうのは得意だったのだが。
物理は相変わらず数学の延長線上だったし
その頃の数学は積分より微分を先に教える方針にキレ散らかしてたので
僕はむしろ物理のほうが助かっていた。

ただ趣味が生き物の飼育だったので物理は切った。
お陰で成績は余計に下がったわけだが。

社会は存在意義がわからなかった。

とくに歴史な、お前よ。
なお今は一番大事な科目の一つだと思ってる。
当時の肌感でいうと歴史はアウストラロピテクスがうんたらかんたらで
縄文式土器と弥生式土器の違いあたりがピークで
大化の改新で僕の中の歴史は終わっている。

大人になってわかるが歴史という学問はとても大事だ。
なぜなら愚かな大人がやった失敗を先に学習できるからだ。
ソ連をみてれば中共などが何故うまくいかないかなんぞ
誰でもわかることなのだ。
それと手足がひっくりがえって逆立ちしても絶対勝てない
天才がこの世にいると若いうちから学べることもデカい。
歴史上の偉人はマジでこの世のバグみたいなのばっかりだからね。

それになにより社会全般がわからないやつはそれだけで馬鹿だと思われる。
国語が苦手でもまぁ喋るのが苦手なタイプなんやろなで終わる。
数学はまぁ人類の半分ぐらい苦手なんでなんやかんやしゃーないで終わる。
英語は日本人苦手なやつばっかだから平気。
理科は数学と同じ扱いだろう。
だが社会は違う。
法律や経済がわからんやつはその時点でこいつバカだと思われる。
ある種の一般常識だからね。
社会が苦手な学生は危機感持ったほうがええよマジでってぐらい重要だけど
この国の学問、まずなんでこの授業が大事か
全く説明しない
のが本当に終わってる。
するなと禁止されてるのか、する能力がないのか知らんけど。

主要五課目以外はといえば

体育以外は概ね得意だったと思う。
得意というか好きだった。
習い事でやらされてた音楽はクソだったが
学校の音楽は楽しかった。

体育だけは絶望的に駄目で、中学入学時の身体測定で
「君真面目にやってる?」と言われるぐらいには酷かった。
まぁ垂直跳び13cmは言われても仕方ないかもしれん。

図画工作の授業が一番好きだった。
全部図画工作の授業しかなければ一生学校に入り浸ってたかもしれない。

創作物ってだんだん何を作れみたいなお題目でてくるのが嫌い

小学生の頃、〇〇を使って何かを作ってください
っていうお題目が好きだった。
何を作れみたいな枠がないから何作ってても特に縛りはないからね。
自分が直感的にこれと思うものに向かって
創意工夫して作るのが好きだった。
内向き志向の極地みたいな性格である。

大人になるにつれてお題目通りのものを作ることを求められる

中学生になった頃だろうか。
成果物に対して色々指定がつき始めたのは。
最初の頃は色合いが悪いなどの指摘がついたりしていた。
自分は色合いの良さよりもパレットの上に乗せた色と色が
混ぜてみると面白い色ができるじゃん、よしこれを乗せようと
色合いなどガン無視で作成していたためである。
それでもまだ中学生のうちはそこまで縛られてる意識は感じなかった。

美術と言う名の求められてるものを作る世界

明確に色々変わったのは高校生になってからである。
今でも覚えている。
りんごとワインの絵をデッサンし着色しろというお題だ。
いつものごとくこんなんでいいだろと即興でバーっと書き
好き勝手に着色して持っていった。

あまり正確には覚えてないが塗り直しを命じられたような気がする。
すごくざっくりいうと陰影の関係がうまく描かれてないとかなんとか。
構図に関しては取れてるが細かい描写が汚いと言われた気もする。

まだまだ高校生の愚かしい私はそうですかーぐらいにしか思ってなかった。
小学生の脳みそのまま育った私は「人から見てなんに見えるか」を
あまりにも軽視していたのである。

極まる内向き志向の末路

そんな究極的に身勝手に育った結果、社会人になったときえらい苦労した。
あまりしつこく書いても苦労自慢にしかならないからざっくりとだけ書くと
人に伝わるように文を書けだの、親に叱られて育ってなさそうだとか
(実際はバカほどうるさい親だったが)
良かれと思って勝手にやらかして起こられるなど
社会人を経験した結果「他者からどう見られるか」ということを
意識しないといけないということを理解したのである。

狭まる創作意欲と創作物

この年になっても興味が持てないものには本当に持てない性格は
一向に変わることはなく、ただそれが困ることではなく
創作意欲を著しく奪っていることに苦しんでいる。
例えば絵を描くとしよう。その絵は一般に受け入れられるかということが
まっさきに脳裏にちらつくのである。
元々デッサンが上手いわけじゃないのできれいなイラストが
書けるわけでもなく。
そうなると手が動く前にやめてしまうのである。

小説を書いてみたいと思うことがある。
こんな物は好きに書けばいいんだとスタートは思っているのに
しばらく書いているとこの作品は何が面白いのだろうかと強く悩む。
社会人という知識の枷をはめられた私は結果として
グーグル先生の力を借りて小説とはなんぞやみたいなのを調べ始めると
やれ面白い小説とはみたいのがあってプロットを書けとか
設定を作ろうだとか。

……あーめんどくさいなぁ。 そう思ってしまうともうおしまいである。
どうせこういうのをちゃんと守らないときっとつまらないのだろう。
そういう事が頭の中を先に考えてしまうのである。

小学生の図画工作をしていたときの自分はこうではなかったと
悲しくなるのである。
あの頃の自分はそんな事は気にしなかったし
ものづくりをしている間の自分はすべての時間を忘れて突っ走り続けていて
その瞬間が楽しくて楽しくて結果なんてどうでも良かったのである。

夢中になれない自分がいる。
その結果何が起こるかといえば
自分はくだらない人間になってしまったなという感想である。
レゴブロックで一生遊べてた子供の頃を思い出す。

ただ単に一生夢中になって止まらない何かがほしいという
三つ子の魂百までみたいな子供っぽい愚痴でした。

多少退屈でもちゃんと設定練ってーとかやって小説でも
書いてみようかなぁとも思わなくもないんだけど
なんかこういうお気持ち表明感想文書いてるほうが楽なんだよねぇ。

ただ一方でやっぱなんでもいいから何かを作り出したい
そんな欲求は未だに燻っていて。
Noteに欲求不満を吐き出し続けるのがいいのか
創作物を作るべきなのかを迷う日々なのであります。

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