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先生、ちょっと聞いて! 「普通の呪い」から卒業しよう! 教育とキャリアの新しい地図


1. イントロダクション:縦の価値観に囚われた教育の問題

教育現場では、「なんだかんだ言って、偏差値がすべて」、「通常(普通)学級が正解」といった縦の価値観が生徒たちを取り巻いている。これが、まじで生徒本人にはしんどいと思う。

進学や成績が唯一の指標とされ、「普通であること」が目的化されてしまうと、個々の違いや多様な能力が見えにくくなってしまう。

では、「普通」とは誰が決めるのだろうか? そして、その「普通」に適応できない子どもたちは、どのような選択肢を持っているのだろう? 子を持つ親なら「この子はどうなっていくのだろう?」というもやもや膨らんでいくばかり。

一方で、教師自身のキャリアもまた、「安定」、「競争」、「努力の結果」という縦の基準で評価されることが多い。「公務員だから安心」、「長く続けることが正義」といった価値観が強く、それぞれの生き方の多様性が考慮されにくく、ガラパゴス化していることに気づきにくい。

このような価値観の中で、教育が「運ゲー」のように感じられることがある。

そんな環境の中で、生徒も教師も、自分自身の考え方を大切にしながら選択していける余地がもっとあってもいいのではないか。

2. 教育の場を「居場所」として再定義する

教育を「競争の場」と考えるよりも、「心地よい居場所」として考え直してほしい。

それで、新しい視点が生まれるかも。

子どもたちが「できるか・できないか」で分けられるのではなく、それぞれが自分の特性を活かしながら学び成長していける環境があれば、より安心して過ごせるのではないか。もっと、在り方を尊重する環境があればいいのに、と思う。

しかし、そもそも「居場所」とは何を意味するのだろうか? ただ存在できる空間があればいいのか、それとも自分が受け入れられ、尊重される関係性の中にあることが必要なのか?

特別支援学級や支援学校の事例は、「個々の特性に合った居場所を整えること」の成功例として参考になる。教育の原点がそこにある。言われてる。

支援が必要な子どもたちが、適切な環境とサポートを得て、自分のペースで学び、成長していく姿は、すべての教育現場にとって示唆に富むものだ。

そうした視点を”普通”学級や一般的な学習環境にも取り入れることで、どの子どもにとっても「自分の居場所がある」と感じられるような学校づくりができる。

3. beとwith——キャリア観と教育観の転換

これまでのキャリア教育はいろいろと小難しく語る。でも、もっと、「何をするか(do)」に焦点を当てがちではなく、それに加えて、

  • **「どう在りたいか(be)」**を考えること。

  • **「誰と生きていきたいか(with)」**を意識すること。

にもっと、軸足を置いてほしいなって思う。しかし、「be」と「with」を考えることで何が変わるのか? ただ「好きなことをやればいい」という単純で奔放な話じゃないんだ。これって、どのような環境で、どのような人と関わることで、自分自身が納得できる人生を送れるのかってことなんだ。これってむちゃくちゃ大事で生涯の問いになるようなことだ。

アドラー心理学のライフスタイル論によれば、人は「所属感」と「貢献感」を得ることで、より充実した生き方ができるという。

何を達成するかだけではなく、どんな人たちとどのように関わりながら生きるのかを大切にすることで、新たな選択肢が見えてくる。これは自分の人生が素敵に輝きを帯びる。

4. 教師自身のキャリアをwithで考える

教育が「競争」だけでなく「居場所づくり」としての側面を持つならば、教師自身のキャリアもまた、**「誰と働くか」 「誰のために働くか」**という視点で考え続けると、より充実したものになるかもしれない。

教師のキャリアを「with」の視点で考えたとき、どんな可能性が広がるのだろうか? 「管理職になること」や「より良いポジションに就くこと」だけが成功ではなく、「どんな子どもたちと、どんな環境で関わるか」という視点が加わることで、見える世界は一変する。

従来の「縦のキャリア」では、管理職になることや、より名誉あるポジションに就くことが成功とされることが多かった(鍋ぶた型と揶揄されていた先輩方の時代でも特に)。しかし、「この学校で、子どもたちとどのように関わっていきたいか」といった横のつながりを意識したキャリア観もまた、十分に価値がある。

教師が自分自身のキャリアを「withの視点」で考えることで、学校が単なる競争の場ではなく、「安心して学べる居場所」としての機能をより強めることにつながるかもしれない。

5. 結論:「普通の呪い」を解き、教育を再構築する

教育やキャリアを縦の競争として捉えるのではなく、「つながり」「居場所」「心地よさ」を基準に考え直してみることで、新しい可能性が広がるかもしれない。

そもそも、「普通の呪い」とは何なのか? 誰がそれを作り、維持し続けているのか? そして、それを解き放つために、教師や子どもたちはどのような視点を持つと良いのか?

子どもたちが「普通の呪い」から解放されるためには、まず教師自身がその呪いから自由になることが大切だ。教師が「普通の教師」として生きるのではなく、自分なりの価値観を持ち、「誰とどう生きるか」を大切にすることで、子どもたちにも新しい道を示すことができる。

教育の場が、一人ひとりにとって心地よく、安心できる居場所となるように、それぞれが自分にとって大切な選択をしていける環境を考えてみてもいいのではないか。

まあ、わあわあ言うとりますが、こんな先生だって、なんとかやってる。だから、もうちょっとあなたも肩の力を抜いてもいいんじゃない?

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