見出し画像

【時計】人生を刻んでいくもの


現代において時計は必要?

皆さんは、普段時計を身に着けるだろうか。お気に入りの時計があるだろうか。腕時計はしないスタンスの人も、アップルウォッチ派の人も、何のこだわりもなくずっと同じ時計を使っている人も少なくないかもしれない。

私が「時計」というものに縁を持ったのは、大学を卒業してから。銀座の路面店で、外資系腕時計ブランドの販売職として数年勤めていた。今では、時計は自分の中で欠かせない存在になっている。しかし入社するまでは何の知識もなく、無頓着であった。

私が働いていた時計の販売職については、別の記事でまとめている。

IT技術が急速に成長している今だからこそ、あえて「アナログ」な時計の世界に目を向けてほしく、今回時計というものについて、私なりに考察してみようと思う。


コミュニケーションツールのひとつ

「時計の役割」と聞いて、真っ先に「時間を測ること」と発想する人は多いだろう。もちろん、その通り。「時計」が私たちに正しく時間を教えてくれたからこそ、ここまで人類が発展してきたといえるだろう。

ただ、「時計」はもはや「時間を測るためだけのもの」ではないのだ。

例えば、ジェームス・ボンドで有名なスパイ映画、『007/カジノロワイヤル』の劇中で、恋人となる女性がボンドの腕元を見て「良い時計ね」と褒めるシーンがある。もちろん、ボンドがつけている時計が実際に素晴らしい時計であることは間違いない。

ただ、私はこの「良い時計」というのが、単純に時計の美しさだけを指しているわけではないと考える。「素晴らしい時計であなたに似合っていますね」「その時計を選ぶあなたが素敵ですね」という意味をも含んでいるように思うのだ。

「つけている人のこだわりやセンス」が表れるのが時計である。そしてそれが一種の自己表現でもあり、またひとつの会話のセンテンスともなりうるのだ。これは日本国内に留まらない。海外であっても、時計に興味関心を持つ人は多くいる。「その時計素敵ね」とあなたを褒めてくれる人がいるかもしれない。また、あなたが「良い時計だね」と相手を褒める、そんな機会もあるかもしれないのだ。


「人生を一緒に歩んでいる」という実感

これは私が自分の日常で感じることだ。私の中で、時計はもはや「身体の一部」と化している。「なくてはならないもの」と言っても過言ではない。

私は入社時に支給された時計を、勤務時もプライベートもずっとつけており、退社する際に自分で購入した。退社後数年経って電池が止まり、交換してもらうためお店に足を運んだ。先輩方が温かく出迎えてくれ、話しが尽きず楽しい時間を過ごした。

そのとき6年の年月が経っていた。お店には新しいスタッフがいて、新作の商品があって、そして先輩方の優しさは変わらずそこにあった。

つまり、変わったことも、変わらないこともあるのだった。そして私自身も、変わったことも、変わらないこともあった。私の時計も以前より生活傷が増え、そして新しく脈をうつ心臓が内蔵された。それは、今この瞬間、確実に歩みを進めているという現実を実感させる。

私自身の次に、一番私の近くで私を見ている、それが時計だった。そして、ふとしたとき、年月の経つことの早さ、尊さを教えてくれる。


時計との付き合い方

「高いもの」「ハイブランドのもの」に必ずしもこだわる必要はない。ただ、その時計と長年付き合っていきたいと思うのであれば、「どのくらいの年月を共に出来るか」も、購入する際に考えるべきポイントだ。例えば極端な例だと、「電池交換は出来ません。電池が切れたら捨てて、新しいものを買ってください」と謳っているものもある。もちろん、その時計をどんなに気に入ったとしても、長く使うことは出来ない。数年、早ければ数か月でお別れすることとなるだろう。

その点、ブランドには「信頼が置ける」という絶対的価値がある。電池が止まったら電池交換が出来る。機械式ならオーバーホール(分解掃除)が出来る。針が取れてしまっても新しいものに取り換えられるし、日差が極端に多くなってしまったら調整してもらえる。修理した後、再度不具合があっても大丈夫なよう保証期間も設けられている。末永くお付き合いができるのだ。それこそ、身体の一部のように感じるまで。

時計一本で雰囲気が変わる。モチベーションが変わる。マインドが変わる。

誇張ではなく、本心から私はそう思っている。だからこそ、「お気に入り」を見つけてほしい。あなたが「一緒に歳を重ねていきたい」、そう思えるような一本に出会えることを願って。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?