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【Voyage】想いの強さが人を強くする

大学生時代、番組観覧にはまっていた。テレビ番組の収録のお客さんとして、ミーハーな友人とよくテレビ局に足を運んでいたものだ。合間合間に、出演者の素顔が垣間見える瞬間があり、それがとても新鮮で「ああ、彼らも一人の人間なのだな」と、そんなことを感じたりもした。

そのころから大人気だった「嵐にしやがれ」の収録現場で、メンバー5人そろった姿を間近で見たことがある。彼らはアイドルらしいオーラをまといながらも、同時にバラエティー番組で見るままの、良い意味で飾らない姿でそこにいた。ライブでの5人とは、また違った一面なのだろうなと想像したものだ。私が嵐5人を目前で拝んだのは、後にも先にもその一回となった。

私は、ジャニーズに限らずアイドル、俳優など特定の異性の芸能人に入れ込んだことがない。正直に言って、観覧に行ったそのあとも、嵐のことをファンと言えるほど詳しくない。ライブにも行ったことがないし、CDを買ったこともない。

私がNetflixで彼らの作品を観たのは、「ドキュメンタリーが好きだから」。華々しい世界にいる彼らは、どんなふうにものごとを見て、何にどんな感情を抱くのか。一度の番組観覧では見ることのできなかった彼らの「思い」に興味があった。そんな理由で気兼ねなく観始めたのだけれど、すぐにぐっと引き込まれてしまった。

「ARAZHI's Diary -Voyage-」は豪華だった。さすがはNetflix。ふんだんに過去映像、ライブ映像が盛り込まれており、5人を見据えるほかメンバー1人1人の密着もぬかりがない。一言でいえば、「非常に濃い」。嵐のファンならば、観ない理由がないのではないか。そう思えるくらい充実している内容のように思う。また、特別にファンともいえない私のような人間でも楽しめる。

彼らは、多忙を極めていた。職業柄当然といえば当然なのだけれど、しかしそれは私の想像できる範疇の「多忙」を超えていた。海外ロケ、打ち合わせ、ダンスレッスン、打ち合わせ、ライブ、合間に撮影や取材や番組の収録、それが終わったらまた打ち合わせ、次のイベントへ-

また、それは物理的なタスクの多さだけでなく、活動休止とコロナ渦との狭間での重責や葛藤、プレッシャーとしてものしかかっている。

活動休止になる前の貴重な1年間が、こともあろうかコロナウイルスに占拠されてしまったのだ。活動停止を発表する前から、念入りに計画を進めていたことが次々に白紙に戻っていく。そんな中でも、彼らは「何ができるか」「何を求められているか」をひたむきに考え、崩れたものを別の形へと丁寧に立て直していく。

「時間の重み」がまったく違う。そう思った。誰にでも、時間は平等に24時間与えられている。ただ、それをここまで最大限に引き出し有効に使えたと感じたことは、私はこれまでの人生で経験していない。それはきっと、芸能人云々は関係ないだろう。私は、自分の人生に、まだそこまで一生懸命になれていないだけだ。

「ファンのため」「メンバーのため」、彼らは寝る間も惜しんでひた走る。そこに決して押しつけがましさはない。ただただまっすぐな思いだ。

「感謝」、それぞれ何度もこの言葉を口にする。1人1人言葉の表現は違うけれど、活動停止を決めてからも根本は全員の思いが一緒の方向を向いている。全員が、どんな状況でもできる形で思いを伝えたいという気持ちがそこここから伝わってくる。

「一瞬一瞬を全力で駆け抜ける」とはこういうことなのかと、彼らが人生をもって体現しているさまを見て、心底思う。同時に、私はまだまだ自分の人生を生きていないと痛感した。これまで、どれだけ自分と向き合って生きてこれたのか。私はこれまで自分なりに頑張ってきたつもりだけれど、でも「つもり」なのだ。何も残せていない。私はこうして生きてきましたと、胸を張っていえるものがない。そして、これまでお世話になってきた人に、身をもって感謝を伝えられていない。

私には、まだまだやらないければならないことがあるということ。それを自分の人生をもって、本気で成し遂げること。自分だけでなく、周りの人も幸せにすること。

コロナ渦中で、気持ちが落ち込んでしまいすっかり気力がなくなってしまった時期があった。そんな私が今、目指すものが決まった。

彼らが2020年12月31日に活動休止してから、4日目の今日。自分の在り方や生き方を振り返るきっかけをくれた嵐に感謝したい。これからも、彼らの存在が多くの人に希望をもたらすのだろう。また、会えますように。私も、いつの日か、誰かにとってそんな存在になれますように。

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