
37年前の悲しい出来事。そして、今。(1/5)
私は先天性脳性まひだ。
母に連れられて2才頃から障がい児の訓練センターへ通った。
5才で自立歩行できるようになったため公立幼稚園へ入園することが
でき、小学校、中学校、高校を卒業し一般企業に就職できた。
(後に脳性まひの二次障害で37才頃から車椅子の生活となったが。)
私は脳性まひのアテトーゼ(不随意運動)があるので、
話すとき等、自分の意志とは関係なく勝手に頭や手が動いてしまう。
緊張すると余計に大きく動く。
幼稚園に入園すると同じ園の子たちが、
私の頭や手が(勝手に)動くのをジロジロ見て、
「変やん!おかしい!」と言った。
時には笑われ、私の動きをマネをしてからかってくる子もいた。
幼稚園に入園するまでは、いつも母が一緒にいて、
私だけで知らない人に会うことはなかったので、アテトーゼで頭が動いてもそれを奇異な目で見られることはなく、
私は自分が障がい児であることを悲しいとはあまり感じていなかった。
幼稚園で周りの子たちに自分の障害のことをからかわれて
私は凄く傷付いた。
私は自分が恥ずかしかった。
そして、どんどん自信をなくしていった。
自信を失った私は障がい者である自分を好きにはなれなかった。
母は私が幼稚園に入園できたことをとても喜んでくれていたので
私は幼稚園で傷付いていることを、母にあまり話さないようにしていた。
母に心配をかけたくなかった。
私にとって幼稚園は外の世界を知る第一歩になった。
子供は純粋で残酷だ。
障がい児に対しても容赦なく「変や!」と言う。
昭和40年代、小学校にあがっても同級生などに
「それ、うつるの?」
「気持ち悪い」
と言われたこともある。
そうやって嫌なことを言われることもあったが、
仲の良い友達もでき、それなりに楽しい学生時代だった。
学生時代は、アニメにハマっていた。
・宇宙戦艦ヤマト
・アルプスの少女ハイジ
・未来少年コナン
・銀河鉄道999
・赤毛のアン
・機動戦士ガンダム(初代)
・ニルスのふしぎな旅
・うる星やつら 等々……
今もアニメは好きだ。
中学生の時に任天堂ゲームウォッチが流行った。
任天堂ファミリーコンピュータはまだ無くて、
携帯電話も無くて、
家のテレビは1台だけで、
テレビのチャンネル権は父が握っていた。
父が留守の時だけ見られた
「タイムボカンシリーズ」はとても面白かった!
次に続く
:+:-・:+:-・:+:-・:+:-・:+:-・:+:-・:+:-・
▼リハスワーク草津の事業所ページはこちらから
【リハスワーク草津】
住所:〒525-0059滋賀県草津市野路1-15-5フェリエ南草津内
TEL:077-598-0175
:+:-・:+:-・:+:-・:+:-・:+:-・:+:-・:+:-・
#リハス
#リハスワーク
#就労支援
#就労継続支援B型
#就B
#福祉
#障がい
#障害福祉
#私の半生
#思い出
#脳性麻痺
#脳性まひ
#障がい者