実家が汚い ~割り箸とポリ袋との闘い~
こんにちは。ぶっさんです。
私は実家があまり好きではない。
その理由のひとつは
「実家が汚い」!!
どういった「汚さ」かというと
・物が多い
・貧乏くさい
・不衛生さは少ないが上記2つにより
清潔さに対して鈍感になっている
物が多いについては、年配の両親あるあるかもしれない。
今程物資が安価で安易に流通していなかったため、物を大切にする、物を持っている事に豊かさや安心を感じる、また歳をとって捨てるのが億劫など、確かにと思う理由は沢山ある。
とはいえ、わが家の物の多さは私が小学生の頃から。
新築戸建に引っ越してから数年で水回りの棚はパンパンごちゃごちゃ、リビング隣の来客用の和室はあっという間に物置部屋と化す。
当日小学生だった私。
棚の戸を開けると物が落ちてくる事に潔癖な父がイラつく。
それでなくとも私が物心ついた時から不仲だった両親。
家庭内の不調和の種が1つでも減ればと、
当時鍵っ子だった私は学校から帰ると
6チャンネル(TBS)の情報番組ジャストまたは8チャンネル(フジテレビ)の再放送のドラマをお供にキッチンや洗面台下の棚や引出しを掃除したものだ。
因みにジャストだと視聴者宅へ行って片付ける収納術のコーナーと持ち服+αでコーディネートするタンスの肥やしコーナー、
再放送ドラマだとやまとなでしこがお気に入りだったw
貧乏性の母はありとあらゆるものを溜め込む。
スーパーの無料のポリ袋、
ファストフード店やカフェのマドラーやストロー、フレッシュミルクや砂糖に紙ナプキン、
回転寿司の割り箸に醤油、わさび、
ホテルの使い捨てのカミソリ、歯ブラシ、シャンプー、シャワーキャップ、
これらはとってこれるだけとってくる。
それらをてきとうに引出しや棚に突っ込む。
そしてそれらは突っ込まれた事を忘れられ、まず使われる事はほぼない。
あったとしても消費よりも供給スピードの方が速くたまる一方だ。
これは今も30年以上続くわが実家のお家芸で、一生続くのではないかと思う。
母から始まったこの芸は今では父も師範級。
実際に使うだけましなのだが、父は家で飲み物に使う砂糖はマックから仕入れたもので、お手拭きで几帳面に食卓を今日もふく。
かくいう私も経験者だ。
母程では無いにしろ、それらのストックを増やすと母が喜ぶと思っていたのでポリ袋はちゃんと多目に持って帰ったし、
大手をふってやるような事ではないとは認識していたが、皆こっそりやっている当たり前の事だと成人前まで思っていた。
高校の頃、弁当の箸を忘れたこに、
ロッカーにストックしておいたスシローの割り箸をあげた。
が、その後恥ずかしい事をしたのではないかと物凄くそわそわした。
翌日そのこに無料ではない桜の柄の入った割り箸を渡され余計に恥ずかしくなった。
(私のまあまあ有名な私立女子校であった事もあり、これを含めたあれやこれやに劣等感を抱いていた)
大学の頃、サークルの友人らと旅行に行った際、いつものごとく持ち帰るために洗面台に置いてある無料のカミソリかボディタオルをメイクポーチの中にいれておいたら
翌朝メイク中に気づかれて不思議そうに皆で顔を見合せていた。
そんな出来事からこのお家芸とは距離をおくようになったが、
スーパーに行くと未だにポリ袋は多目に欲しくなってしまう自分がいる。
20代の頃はうちは他の家とは違うという思いから実家の汚さに辟易とし、
無理矢理な断捨離もどきをした。
今となっては逆効果だとわかるのだが、とにかく捨てるという強行手段にでた。
上記した無料で取ってきたもののうち、
奥の方の経年劣化が進んでいるものから母にばれないように少しずつ捨てていった。
ペットボトルも大量にあった。
我が家は外で飲料を買わない事を徹底付けられており、ペットボトルを水筒代わりに使っていたが、それでも使いきらない程の量だ。
それらの保管は冷蔵庫の上にまでのぼり、おそらく冷蔵庫上のものは母の記憶から忘れ去られていた。
冷蔵庫上には数年前の海外旅行の際に手に入れた日本の自販機にはない形のボトルもあった。
ペットボトルは可燃ゴミと分けるため、ゴミ箱に入れずに袋にまとめたためか、母にばれた。もちろん怒る母。
それもそのはずだ。
片付けや掃除の苦手な母が
わざわざ洗って干してキャップをつけるという手間を施して保管していたのに
それらが今勝手に廃棄されようとしている。
抗う母に私は激しく反発しながらも、自分の行動が母を怒らせるのは当たり前な事を自覚していた。
そしてその中に母の大好物「海外のペットボトル」。
日本にはないサイズ感。(大きいのより飛行機か観光バスかでもらった小さいサイズの方が愛らしく持ち運びに便利で好き。)
日本のものとはキャップの形状が異なるので、キャップを失くさないよう細心の注意が必要で、そんな手間を払ってでも手元においておきたいのだ。
上記以外にも数えきれないくらい無料の使い捨て品を捨てる捨てないで母と争ってきた。
私は激しい激昂と強行手段を幾度となく繰り返して今に至るのだか、
実はここ数年で潮目が変わった。
無料使い捨て品のストックがましになったのだ。
どんな得策があったのか?
、、、いや、残念ながら無い。
時代が味方してくれたのだ。
SDGsである。
ストローやミルクは注文時に言わないとくれなくなり1人で複数個持ち帰る事はできなくなった。
ポリ袋も「必要な分だけにしてください」と注意書きするスーパーも増えた。
アメニティは宿泊人数分だけチェックイン時に渡すホテルも増えた。
昔ほど沢山持ち帰られる世の中ではなくなったのだ。
今は帰省中引出しを開ける度、
憤りを感じ、時には上記の学生時代のエピソードを思い出し自分を哀れにみすぼらしく感じる事はあれど(程度はその時々の精神状態によって異なるが)、
激しくはぶつからないし、大がかりに捨てたり片付けたりすることはない。
私の心境の変化や私が結婚により実家を出たのも勿論あるが、
現状が一旦ましになった事によりこちらの心構えに余裕ができた。
捨てても捨てても見るたびに増えるストックは、引出しを開かなくし、次々と思いもよらない場所に寄生先を殖やす。
これではこの家がどんどん侵食される。
少なくともこのようなスピードでストックが増える事がなくなった事で、私のストック侵食への強迫観念が薄れたのだ。
ありがとう、SDGs。
SDGsの恩恵はこの郊外の中流家庭にもやってきたのだ。
SDGsははからずもこの小さな中流家庭の1つの争い事を和らげたのだった。
SDGsにより心を和らげられた私にはもう一点が変化があった。
あるものは仕方ないので、せめて有効活用しようと
割り箸は松居棒を作ったり、小顔になるため割り箸を咥えるエクササイズをしている。
因みに母は取り箸として割り箸を使うのだが、洗って何度か使い回すし、父はテイクアウトで割り箸を添えられても必ず自分の箸
を使い割り箸貯金をつづけているので、なかなか減らないw
ポリ袋は里帰り中は赤子のオムツを捨てるのにちょうどよく、かなりの頻度で使っておりこのスピードならば里帰り中にある程度のスペースが空く筈だと期待していたのだが、
一向にストックは減らなかったので疑問に思っていたら、やはり母が補充していた。
母よ、、、
なんて甲斐甲斐しいのだ…… !
そう、私はあれ程ストックを増やす母を憎らしく思っていたのにも関わらず、
ストックを減らそうとする私と真反対な行動をする母の行動を
一瞬、甲斐甲斐しく思ってしまったのだ。
もう一度そう感じたら私の敗けは決定的だ。
忌み嫌っていた事に対し、闘う気力がわかない。
私が強行手段を繰り返していた時も母はせっせとストックをし続けてきたのだ。
私が捨てようが有効活用しようが
母はかわらず冬眠前のリスのようにせっせとストックを集めて自分の巣に持ち帰っていたのだ。
母がリスに見えてしまってはもう闘えない。
闘う気になれない。
リスを前にしたら私は無力だ。
結果論で言えば単に私も歳をとって丸くなり、
歳をとった両親に庇護心を持ちはじめたからなのだろう。
とはいえ、未だに引出しからはみ出すポリ袋、引出しにつっかえる割り箸を見ては心を乱されるが、同時にうっすらリスの気配を感じ白旗あげるのだ。
いつかまた反旗をあげる日がくるかもしれないが、
結局それは母の長年のストックの歴史に対して小さなボヤのひとつでしかない。
母をリスに例えると同時に、
淡々と繰り返されるストックを前にして私は自身の行動のちっぽけさを自覚する。
こうなっては何度闘おうと私の敗北だ。
…….こうして割り箸とポリ袋との闘いは幕を閉じた。(今のところは。)
もう最後の方てきとー😂
読んでくれた方、ありがとうございます🙇
終わり