わたしの期待とあなたの答えのジレンマ
最終面接の結果を待ちながら、わたしは考え込んでいた。
なんだか必要以上にソワソワするのはなぜなのか。
ここがダメだったらまた他の仕事を探さないといけないプレッシャー。
ついに見つけた心から働きたい会社への情熱。
これくらいまでに連絡が来るだろうという予測の時間が過ぎ、相手の手の内が見えない不安。
これらをひっくるめて醸成されるソワソワ感では足りないくらい、ソワソワしている。
そしてはた、と気づいた。
もし不採用だった時、その事実に感じる悲しさ以上に、
採用の過程で自分が得たコミュニケーションへの好感触が間違いだった、という事実が突きつけられる恐怖がこのソワソワをより加速させている、ということに。
ヨーロッパに越してきて、ここだけはなんだかうまくいかない。
就職活動が、というわけじゃなくて、コミュニケーションを通じてその場で得る感触と、コミュニケーションの相手のその後の言動とそれに対する自分の心象がマッチしないことが多々ある。
小さなことでも大きなことでも、並べられた耳障りの良い言葉たちにつられて期待して、結局は何も起こらなかったり真逆のことが起こったりして、ああ、やっぱりね、と自分が勝手に信じたり期待しただけなのに、すごく落ち込む。
でも言っている本人たちは、本当にただその瞬間に心にあることを「言っているだけ」で、それが約束だなんて思ってもいないし、わたしがそれが実現するまで真に受けているなんて思ってもいない。
だからきっと、自分の中の相手への信頼とか好感度とかの上がり方の角度を緩やかにして、ただ言っているだけだ、と期待をせずに接していくしかないんだけど、意識的に常に懐疑的な目で人を見るのもなんだか悲しくて。
きっと日本にいてもこういうことはあるのだろうけど、幸いにもわたしが住んだ20数年間はこういうことで悩むことはなかったし、無意識に計測している相手への信用度とそれへのフィードバックのギャップはここまで激しくなかった。
海外に住んでいれば自分の予想を超えることが起きる、を前提に暮らしてはいるのだけど、相手の言動に期待せずに生きていくのにはまだ慣れない。
ちなみに最終面接の結果はダメだった。
落ち込む出来事さえなければこうやって蓄積された不満も噴出しないのだけど、一つのきっかけで小さなネガティブがひとかたまりになってどーーーーっと押し寄せる。
自分が選んだ道なんだから、強く生きねば。
そう思うけど、ここで心おだやかに生きていくには、もう少し時間がかかりそう。
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