わたしとアンネとの距離

「アンネフランクの家の予約をしよう」

朝ごはんを食べながら相方が言った。「うん、そうだねミュージアムカード*の有効期限ももうすぐ切れるしね」と言いながらオンラインの予約サイトをチェックする。

アンネフランクの家は、いつも数週間後まで予約で埋まっていて、直前ではチケットが取れないアムステルダム屈指の観光スポットだ。オンラインでの完全予約制だが、横を通るといつも入場するための列ができている。

そんなことはつゆ知らず、だった頃、アムステルダムを訪ねてくる友人がアンネフランクの家に行きたい!と言っていたのだが、直前にこの人気ぶりを目の当たりにし、結局諦めてもらう、という事態になったことがあった。

だから今回もきっと数週間後だろうと、ゆるい気持ちで空いている日を調べる。

すると、なんと今日、空いている。

ラッキーじゃん!と軽く二人で盛り上がり、19:15からのチケットを予約した。

***

私はアンネの日記を読んだことがない。

第二次世界大戦中にユダヤ人のアンネが収容されるまで書き残した日記、という概要は知っているが、それ以上のことは知らなかった。

なので、今回博物館となっているアンネフランクの家を訪れることで得る情報の方が、圧倒的に私の中の既存の情報よりも多い。

展示は、アンネの日記の一節と、そのころのユダヤ人を囲む情勢とをリンクさせながら進んだ。

アンネの一家が身を潜めていた隠れ家に通ずる回転本棚が、当時の姿のまま残されていた。隠れ家の中は、アンネと姉マルゴットの身長の記録が壁に残されていて、アンネフランクの家なので当たり前なのだけど、本当にここにアンネが住んでいたことがありありと伝わってくる。

ホロコーストの恐ろしさを伝えるための展示でもあるので、迫害されるユダヤ人としての恐怖、怒りを表現するアンネの言葉は、この場所に実際に立つことでより鮮明になる。

負の歴史を伝えるための役割を十二分に果たしている場と感じると同時に、もう一つ思うことは、アンネは書くことが本当に好きだったんだ、ということだった。

will I ever be able to write something great, will I ever become a journalist or a writer? I hope so, oh, I hope so very much, because writing allows me to record everything, all my thoughts, ideals and fantasies,
(素晴らしいなにかを書けるようになれるかしら?ジャーナリストやライターになることはできるかしら?そうでありたい、本当にそう願うわ、書くことは、私の考え、理想、空想、全てを記録させてくれるから)

(英語:引用 日本語訳:私)

最後の彼女の日記が飾られているセクションのオーディオガイドで流れてきた、この日記の一節がとても印象に残った。

そうか、当たり前のようだけど、書くことは私の頭の中を目に見える形で記録することができるツールなんだ。それができるって、すごく素敵で尊いんじゃないか。

ホロコーストへの恐怖を表現しつつも、隠れ家での出来事や将来への希望を「書く」という形で紡いで行った彼女は、書くことを間違えなく楽しんでいたのだと思う。

文章を書くことに楽しさと喜びを感じる身として、おこがましくもアンネとの共通点を見つけた気がして、今まで遠い存在だった彼女を少し近くに感じた。

やっぱり文章を書きたいと書き始めたとこの時期に、今日チケットを取れたのはちょっとした運命だったのかも。そんなことを思いながら家路に着い他のだった。


*オランダの美術館・博物館に行き放題になるカード

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