お米への愛を語りたい
小麦粉の国に来た。
主食はパンである。
なので当たり前だが、日本でお米を手に入れる気軽さで手に入るのは、パンである。
私の求めるお米は、すぐ手を伸ばして届く範囲で手に入らない。
おいしいお米が食べたい。
おいしいお米が食べたい。
おいしいお米が食べたい。
新しい土地の食事の目新しさに浮き足立ったのもつかの間、心の中に、お米欲が渦を巻き始めた。
気休めに、日本で食べた美味しかったごはんの写真アルバムをiPhoneで作る。それを眺めながら、心だけでもお腹いっぱいになろうと試みる。しかしながら、というか思った通り、目論みは逆効果でお米への思いはさらに募るばかり。
海外生活を始めて1ヶ月。初めて親元を離れた時と同じく、初めて存在が当たり前ではなくなって気づく、お米の偉大さ。
これは早急になんとかしなければならない。
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寿司の存在がヨーロッパでも浸透していることもあってか、少し大きめのスパーに行くと、Made in Japanではないが寿司調理用のお米が置いてあった。少し高いがお米欲には代えられない。
そしてもう一つ、お米にたどり着くためのハードルがあった。
ヨーロッパでは炊飯器なんてほとんど存在しないということだ。
同じくお米を主食とするコリアンマーケットに売っているのを発見したが、ここにどれぐらい留まるかもわからないので、手を出すのにはちょっと躊躇する。
つまり、お米は鍋で炊く必要があった。課外授業での飯盒炊飯以外でお米を炊飯器なしで炊く経験なんてしたことはなかったが、幸い、その土地在住の、同じくお米なしでは生きていけない人生の先輩が、実技を交えて鍋での炊き方を教えてくれた。
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先輩のお手本を横で見たあとは、自分の家でいよいよ実践だ。
まずはお米を研ぐ。研いだお米と、お米と同じ、もしくは柔らかめが好きならお米より少し多めの水の量を鍋に入れ、20〜30分そのままにする。
20〜30分経ったら蓋をして鍋を強火にかける。数分のうちに沸騰してくるので、沸騰したグツグツが鍋の蓋すれすれにきたところで、弱火に切り替える。
弱火に切り替えたら、お米の量によってタイマーをセットする。1合だと7分。1.5合だと7分半。
タイマーがなったら蓋をそのままにしてしばらく蒸らす。
他のおかずの準備が整ったら、お米をよそって完成だ。
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初めて自分で鍋を使って炊いたお米。なんだかキラキラして見える。初めて記念の写真を撮るのも忘れ、いただきますと呟いて箸を握った。
一口、二口と口に運び、一粒一粒噛みしめる勢いと丁寧さで、食べる。
お米が喉を流れて行くたびに、顔を手で覆いたくなるような多幸感が、食道から胃から、溢れてくる気がする。
おかずに何を作ったのかは覚えていない。だけど、その時気づいたのは、お米を食べるためにおかずを作っているのだ、ということ。
長年、食事はおかずがメインだと思って食べてきた。けど違った。紛れもなく、おかずはお米のために存在する。
そう、お米は脇役ではなく、主役だったのだ。
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いくら日本のおかずを作っても、あのふっくらしたお米がなければ何か物足りない。
二十数年、毎日のように私の体内を駆け巡ったものがいきなり途絶えれば、恋しさがつもりつもる。
当たり前が当たり前ではなくなって、初めて気づくお米への愛。
やっぱり私にはお米が必要。世界のどこにいようとも。
どうかこの先も、私の生活を豊かにするために、側にいてください。