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故三浦春馬さんを四柱推命、西洋占星術両方で占う

前編・四柱推命


俳優の三浦春馬さん
1990年4月5日23時58分茨城県水戸市生まれ(享年30歳)
年柱庚午、月柱庚辰、日柱庚子、時柱戊子
年 庚午 比肩 偏官 沐浴 七冲
月 庚辰 比肩 正財 養 空亡
日 庚子**** 食神 死 
時 戊子 偏印 食神 死
生時が23時58分だと次の日で命式を作成する占い師もいるが、次の日で出した命式よりこの日で出した命式の方が彼の運気にぴたりと合っていたのでこのまま占う。

庚3つ、怖いほど一本気の人である。年柱に七冲、生まれた家庭に荒みを感じる。幼少期から1人で留守番してコンビニに買い物に来ていた、母親が風俗嬢、実父がチンピラ、義父が極道…死後そんな噂が聞こえたが…果たして。
食神が2つ、食べることが好きであり興味関心がある。食傷は天才肌の星。俳優なら無くてはならない星。浮き沈みの激しい芸能界で生き残ってきたのは食神の力もあるだろう。
しかし時柱で倒食している。子供がいないまま早逝する人に多い並びである。運動神経抜群のイメージがあるが実は病気や体調不良に悩まされていたかもしれない。
食神-正財でお金を稼ぐ人である。しかし月柱で空亡、損なう暗示もある。内実はそこまで豊かではなかったかもしれない。
比肩が2つ、マイペースに自由でいたい人である。ワガママに映る場面もあるだろうが自分本位なだけで悪意はない。
月柱の空亡、月柱は職業を表す。芸能人なら必ずしも悪いとは言えない。彼の流年を読むと0歳から9歳まで月柱と同じ庚辰が巡ってきている。運命の合致。天才子役、三浦春馬ここにあり。
9歳まで彼は働くこと、人前で自分を表現する事に何の苦痛も感じなかったことであろう。
10歳から19歳まで辛巳の空亡、これは月柱と支合するので爆発的に発展する。大手事務所に所属し主演ドラマに連続で出演するなど若手人気俳優へと成り上がっていく。
問題は次の流年である。20歳から29歳まで壬午といきなり空亡の魔法が溶ける。空亡を生まれ持ち、生まれてから空亡の流れの中でしか生きてこなかった彼にとって最大の不幸である。成人した途端、彼は常識で雁字搦めの他人の思惑が絡み合う世の中に放り出された。
空亡とは世の理の中10つのうち2つ外れる、理屈では通用しない物である。不自然、変、不完全である。現実世界、常識、それとは相容れない。三浦春馬とは空亡の人であった。彼は変人であった。そして何より自由な人だった。
それが自然な形で人前に出ることが出来なくなる。今までのやり方では許されない。他人から叱責され自分を見失う暗示がある。
おまけに壬午の流年は七冲である。20歳からの10年、彼の周りは争いや否定、いざこざにまみれていたであろう。
三つ子の魂百まで。幼い時から空亡でしか生きてこなかった彼は周りから要求される成功には内心てんで興味がなかったのではないだろうか。彼にとって20歳からのこの10年は自分探し、自分が世の中で生きる必要があるのかはたして生きていきたいのかをもがきながら探っていたに違いない。
そして周囲から要求される物に答えようと確かに努力していた。オーバーワークにすら思えるほどのストイックさ。これは理から外れてしまい自分を見失いながらも周囲を悲しませたくない、ガッカリさせたくないという彼の庚の真面目さ、優しさから来ている。それを支えてきたのは命式の偏官である。
しかしそれは傷官で首を落とされる。
30歳からの大運は癸未。傷官・六害の大打撃である。おそらく心身が相当病んでいたように思える。
庚が多い人だから運気の吉凶がダイレクトに出る。
あと10年耐えていれば40歳からの大運は理論上99歳まで非常に良い物が続く。
後10年…いやこれでは生きづらかろう。
病んでいた大運の中に2020年運命の年が来る。庚子。三浦春馬さんの命式の最重要の柱、日柱の庚子だ。
正直寒気さえしてしまうほどの運命の残酷さである。
干支併臨。自分の日柱と同じ星が誰にでも60年に一度巡ってくる年があるのだがそれは三浦春馬さんは自死した2020年に巡ってきている。
これは世に出るタイミングである。吉凶どちらか、のるかそるかと言われるがどちらにせよ世の中に出る。人目につくのだ。
寿命だという占い師もある。年寄りだと大往生出来る年だと読める。
この干支併臨の年に大発展する著名人は数多くいる。マツコデラックス(庚寅2010年)
指原莉乃(辛丑2021年)
岸田文雄内閣総理大臣(壬寅2022年)
在日?創価?枕営業?2世??全て、戯言だ。
胸を張れ。時代に選ばれている。
話は脱線したが三浦春馬さんも干支併臨によりその自死は大きな話題となった。
彼にとっては自分の本質を取り戻し自分のために生きたいという抗議だったのか、消耗し命の灯火が消える寿命だったのか、はたまたそれまでもがき苦しみながらも人生を捧げてきた芸能界において人の意識に残り続けたいという人生を賭けた最後のアクションだったのかもしれない。彼にしかわからないことを文章にしてしまい申し訳ない。

彼は確かにこの世を偽りなしで生きていた。
御霊の安らかなるを祈願し、合掌。

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