『メンダードック』#3
「オーライ!」
体育館に響く声。
ボールの音。
上を見る。
下は見ない。
高く上がるボールをひたすら追いかける。
絶対に床に落ちないように、
拾い続ける。
繋げ続ける。
繋げた先にある、
勝利への、一本。
俺はチームの守護神であるリベロ。
どんなボールでも拾い上げる。
絶対に繋いでみせる。
相手チームから力強い速攻が放たれた。
絶対に落とさない。
落とさない。
俺が繋げる!
ボールを追いかけ走る。
足がグニャッと信じられない角度に曲がった。
あ、れ...??
バランスを崩し、観客席の椅子が並ぶ方へ
スピードを緩めることなく勢いよく倒れ込んだ。
ガシャーーーーーーン!!!!!!!
椅子が次々に倒れていく。
「北山!!!!」
俺の名前を叫ぶキャプテンの声を最後に、
俺の意識はなくなった。
夢を見た。
目が霞んで景色はよく見えなかった。
誰かが、泣いている。
白い天井。
俺はベッドに寝転がっていた。
「お願いです...息子にもう一度...もう一度だけでいいから、やらせてあげたいんです!!どうか協力していただけないでしょうか...」
この声...もしかして、お母さん?
「息子のために、俺たちはなんでもするって決めたんです!どうかお願いします!」
あれ、お父さんもいる。
一体なんの話をしているんだろう?
「もちろん、協力しますよ。僕が言った通りにしていただけるなら問題はありません。」
真っ黒な、男?
「ええ。約束は守りますので!どうかお願い致します。」
「わかりました。」
真っ黒の男は、
俺の目の前で赤い何かをゆらゆらと揺らし始めた。
小さな、瓶のようなもの。
その中に入った赤い液体が揺れている。
綺麗だな。
人の血みたい。
俺の意識はまたそこで途絶えた。
「智!起きなさい!」
「...んっ」
目を覚ますと、俺は自分家の部屋のベッドで寝ていた。
あれ?さっきまで白い天井があったのに。
やっぱりあれは、夢だったのか?
「早く起きて支度しなさい!今日は決勝進出を決める大事な試合なんでしょ?しっかりしないと!」
「...はっ」
そうだ。試合だ。
部活の試合。
昨日は準決勝を決めるための試合だった。
てことは、勝てたんだ。
やった!次も勝てば、いよいよ決勝!
優勝すれば全国にいける!
...でも待てよ。
なんで俺、昨日の試合の記憶がないんだ?
途中までは覚えてる。
相手チームからすごい速攻が飛んできて、
それから...それから、
あれ?
なんで思い出せない?
「...なあ、お母さん」
「ん?」
「昨日の試合見に来てくれてたよな?俺、試合の途中から記憶がないんだよ。しかも変な夢みたいなの見たんだ。白い天井の下で寝てて、お母さんとお父さんと誰か知らない黒い男の人が話してて。でもなんだかリアルで、本当に夢だったのかわからない。あれは何を話してたの?」
お母さんはしばらく黙っていた。
「ねえ、聞いてる?」
「あんた、覚えてないの?昨日ボール追っかけて観客席のとこ突っ込んで気失ったんだよ。私とお父さんはお医者さんと話してたの。でも命に別状はないってさ。昨日寝てるあんたを家のベッドまで運んできたんだよ。ほら!わかったら早く起きる!もう動いても大丈夫みたいだから、今日の試合は怪我なく終えるんだよ。」
そういうとお母さんはリビングへ降りていった。
なんだ。そうだったのか。
確かに昨日観客席に突っ込んでった記憶がある。
俺を呼ぶキャプテンの声を最後に、
気絶したんだ。
でもよかった。試合ができる。
絶対に決勝へいってやる。
俺は勢いよくベッドから起き上がり
支度を始めた。
「よろしくお願いします!!」
市内の第一体育館。
決勝進出を決める戦いがいよいよ始まる。
昨日は焦った。ヘマをした。
今日はあんなことがないように、
みんなに迷惑かけないようにしないと。
「北山。」
キャプテンが声をかけてきた。
「キャプテン。昨日は本当にすみませんでした。今まともに戦えるリベロは俺しかいないのに、昨日は焦ってしまって」
「気にするな。大きな怪我がなくて本当によかった!今日も頼むぞ、お前はうちのチームの守護神なんだからな。」
「はい!絶対勝ちましょう。」
「みんな!集合!円陣組むぞ!」
みんなで肩を組み、円陣を組んだ。
「今日は決勝進出を決める大事な試合だ。みんな焦らず、冷静に。少しずつでいい、俺たちの流れを確実に作っていくぞ。俺たちなら必ずいける!最後まで勝ち続けて、絶対全国行くぞー!!!」
「おおおおおお!!!!!!!」
客席からの歓声。
応援団の声。
試合の始まりを告げる笛の音。
さっそく相手チームから力強いサーブが飛んできた。
腰を下ろし、両腕を前に出す。
腕に当たったボールは勢いよく高く上がった。
「前!前!」
「ここで決めるぞ!」
「ナイスカバー!」
「ワンタッチ!北山頼む!」
チームメイトの熱い声。
熱気に包まれた空間。
客席から聞こえる歓声。
どんなに天を仰いでも空気は熱く、足は重く、
息をしているのかさえわからなくなる。
ああ、心地よい。
この瞬間。この空間。
絶対にボールを落としてはいけない。
チームみんなで繋げ、
決める一本。
これだから、バレーはやめられないんだ。
「ナイス北山!」
どんなボールでも拾ってみせる。
繋げてみせる。
みんなで必ず、
全国へ行くんだ。
「そろそろですよ。」
突然耳元で囁かれた。
驚きのあまり、足が止まる。
え?
なんだ?今のは。
気がつくと、
目の前には真っ白な天井があった。
薬と湿布の匂いが漂う。
あの病院独特の、匂い。
俺はベッドに横たわっていた。
あ...れ?
なにこれ。
なんなんだ、これ。
さっきまで試合してたはずなのに。
体育館で、みんなで、
え?
まさか、また夢?
「おはようございます。良い夢は見れましたか?」
目の前には、高身長の若い男が立っていた。
黒いコート、黒い手袋。
昨日見たあの黒い男は
もしかしてこの人?
「智...ごめんね、智...」
男の隣にはお母さんとお父さんがいた。
2人とも目に涙をいっぱいに浮かべ、
シクシクと泣いていた。
「...お、かあ...おと...」
あれ?
うまく声が出ない。
体も、動かない。
黒い男が言う。
「君は準決勝進出を決める試合で、観客席に飛び込んでしまっていましたね。その後君は病院に運ばれましたが、半植物状態となってしまったのです。意識ははっきりしているが、声は思うように出ず、体なんてピクリとも動かない。回復する見込みはほぼないそうです。倒れたときに頭から脊髄にかけて大きく打ってしまったことが原因ではないかと...残念ですね。あなたはもうバレーをすることができない。バレーどころか、普通の生活をすることは不可能です。一生ベッドから起き上がることはできません。」
「...そ、そ...んな」
嘘...だろ?
お母さん、大丈夫って言ってたのに。
動いて大丈夫って、言ってたのに。
あの事故で俺は、
もう一生動けない体になってしまったのか?
もう俺はバレーができないのか?
普通の生活も、送れない?
そんな、そんなの嘘だ。
だってさっきまでバレーをしてた。
試合をしていたじゃないか。
「君がさっきまで見ていたものは、僕の催眠術によって作られた夢のようなものです。現実ではありません。ご両親が催眠でもいいから最後にあなたにバレーをさせてあげたいと、僕に頼んできたのです。」
そんな...
あの試合は、この男の催眠によって見せられていた幻だったのか?
まさか昨日病室で話していたのは、
お医者さんじゃなくて、この人とだったのか。
お母さんとお父さんは泣いていた。
泣きながらこの人に、
俺にバレーをさせてほしいと頼んでいたのか。
なんで、どうして...
どうして、
どうして、こんなことに...
俺は目から涙を零した。
「智...智ぃ!!!!ごめんね智!!お母さんたち、こんなことしかしてあげられなくて...余計にあなたを苦しめてしまって、本当にごめんねぇ!!」
「智、お父さん...お前に何もしてやれなくて、本当にごめんな...」
泣きじゃくるお母さんとお父さん。
隣で不敵な笑みを浮かべる男。
俺は心の整理が、つかないままでいた。
「ご安心を。あなたが欠けたチームでも、見事に決勝進出できたみたいですよ。よかったですね。これで次試合に勝てば全国です。」
「ちょっと楠美さん!やめてください!智の前でそんなことを...!!」
「おや、いけませんか?仲間の勝利をご報告させていただいただけですよ。こう見えて僕、バレーが大好きでして。高校生バレーも観ておきたかったのですよ。あなたは素晴らしい選手でしたよ。とてもお上手だった。本当に、残念でなりません。でもよかった。僕が試合を観に行かなければ、ご両親と出会いこうしてあなたに最後の試合をさせてあげることはできなかったのですから。」
楠美はそう言うと、
お母さんとお父さんの方を向いた。
「さあ。お約束通り、お願いします。」
「ううう...うう...ごめん...ごめんね智...」
「ごめん...ごめんなぁ...」
お父さんは椅子に置いていた袋から
小さなナイフを取り出した。
「安心してくれ。お父さんとお母さんも、すぐに行くからな。」
お父さんは震える手を抑えながら、
ナイフを力強く握り、
俺の心臓をゆっくり、ゆっくりと、貫いた。
痛い。
抵抗することもできない。
痛いと叫ぶこともできない。
どうしてこうなった?
俺がもっと冷静に動けていれば。
もっと周りを見て試合ができていれば。
いや、違う。
これは夢だ。
長い夢を俺は見ている。
悪い夢を、見ているだけなんだ。
明日になれば目を覚まし、
現実に戻り、
お母さんとお父さんもいて、
またみんなでバレーができる。
また変わらぬ日常を送れる。
またボールを触れる。
母親と父親の首筋から、
大量の血しぶきが吹き出した。
お互いにナイフを持ち、
お互いの首筋を切った。
大量の涙と、後悔を流しながら。
血しぶきはカーテンやベッドに飛び散り、
真っ白だった部屋は鮮やかな赤色に染まった。
首の大動脈の裂け目から流れる大量の血が、
床を浸していった。
楠美は血を小瓶に入れ、
病室を後にした。
「さて。明日の試合も楽しみですね。」