『菊魁物語』#3
第3話『陽と渚』
午後13時頃。
ミツはコマと共に天原の近くのとある町を訪れていた。
着物屋が多く建ち並ぶ小さな町。
数々の着物が店の表に並んでいる。
色とりどりに輝き、人々の目を引く光景だった。
ミツはいつもここで着物を買い揃えていた。
「いやー、いつ来ても綺麗な町ですね。新作の方もたくさん揃っていますね。」
「あの子供用の甚平とかお前に似合うんじゃねぇか?試着してみろよ。」
「さすがにあのサイズは入りませんよ...」
太陽に照らされる
着物に入り込まれた刺繍たちが
キラキラと輝きを放っていた。
「おや、これはこれは菊魁様ではございませんか。」
「着物屋 かごの」と書かれた看板が立つ店から
1人の店主らしきおじいさんが出てきて挨拶をしてきた。
数々の着物屋がある中でもとくにミツの行きつけの店だ。
「旦那ぁ。風邪はもう治ったのかい?」
「ええ、お陰様でこの通りすっかりよくなりました。しばらくお休みをいただいてしまって申し訳なかった。お詫びと言ってはなんでございますが、ぜひミツ様に着ていただきたい着物がございますのでそちらをプレゼントさせていただけないでしょうか。」
「本当かい?旦那から着物のプレゼントととは、期待が高まるな。」
「そう言っていただけて大変嬉しゅうございます。すぐにお持ち致しますので、少々店内をご覧になってお待ちください。」
そう言うと店主はトコトコと店の二階へ上がって行った。
ミツは言われた通り店内の着物や髪飾りなどを眺めていると、外から「ガシャーーーーン」と物が壊れる大きな音が聞こえてきた。
「あらら、何事ですかね?喧嘩でしょうか?」
コマと共に店の外に出て様子を見に行った。
するとそこには傷だらけで横たわる若い男の姿と、その男の胸ぐらを掴み顔を真っ赤にさせ怒鳴り散らす50代くらいの中年の男の姿があった。
「てめぇ!!いい加減しつこいんだよクソ野郎!くそホモが!ゲイが!うちの息子をそんな気色悪ぃ目で見るな!!孫の顔は見せれないけど結婚させてくださいだぁ!?俺たちをバカにするのもいい加減にしろってんだ!死に晒せこの野郎!!」
「あんた!やりすぎだよ!死んじまうよ!」
怒り狂う男の妻らしき女が喧嘩を止めに割って入る。
一方胸ぐらを掴まれ横たわる若い男は怯える様子もなく、光のない真っ暗な目でただぼーっと遠くを見ていた。
「おい!聞いてんのかこの野郎!」
うんともすんとも言わない若い男の態度にさらに腹を立てた中年の男は再び拳を振り下ろそうとした。
「おいあんた、そのへんにしとかねーか。」
ミツは中年の男の腕をグッと掴んだ。
「あ!?なんだてめぇ...は」
ミツの美しさに見惚れ、さっきまで怒り狂っていたのは嘘だったかのように中年の男はスンと静かになった。
喧嘩を止めに入った女も目をまん丸くさせ、口もポカンと開きっぱなしにしていた。
「も、も、もしやあなた、き、菊魁様ではございませんか?」
声を震わせながら女は聞いた。
ミツと女の間にコマが割って入り、
代わりに答えた。
「ええ。おっしゃる通りです。この方は天原の菊魁様でございます。本日は菊魁様のお着物を探しにやって参った次第。どうか菊魁様の前で無礼な行動は謹んでいただくよう、お願い致します。」
コマの言葉を聞くと、中年の男と女は「大変失礼致しました。」と深くお辞儀をして家の中へ戻って行った。
「大丈夫か?」
ミツは倒れた若い男に手を差し出した。
「大丈夫です。ありがとうございました。」
若い男はミツの手を取ることなく、
サッと立ち上がり足早に去っていった。
「おやおや、なんですかあの男。ミツ様の手を握るせっかくのチャンスを逃すなんて。」
「いいんだよ、俺たちも店に戻ろう。旦那が待ってる。」
太陽は沈み、深い夜がやってきた。
暗い空に浮かびあがる星々はその小さき姿で懸命にキラキラと輝きを放っていた。
自分はここにいると、
自らその存在を訴えるように。
「ミツ様。ご支度はお済みでしょうか?」
時間になると、
コマはいつも通りミツの部屋に行き
客の到着を知らせに来た。
「ああ。旦那がくれた着物、最高にかっこよくて気持ちも上がるな。」
綺麗な藍色に銀色の刺繍が細かく入り込まれた着物は、ミツの美しさをより一層強くさせていた。
「ええ。とても良く似合っておりますよ。さあ参りましょう。お客様がお待ちです。」
コマとミツは客の待つ部屋へ向かった。
コンコンと2回叩き、
「失礼致します。」とコマはそっと襖を開けた。
「おやおや、あなたは先程の...」
部屋の中には昼間に中年の男と揉めていた、
若い男の姿があった。
自分で手当てをしたのか、
包帯は緩く巻かれ、絆創膏にはシワができていた。
「すごい偶然ですね。本日のお客様があなただったとは。菊魁様がお見えになりましたよ。今宵が菊魁様、そしてお客様にとって素敵なお時間になることをお祈りしております。」
そう言うとコマはいなくなり、
ミツが部屋の中に入って来た。
ミツの姿を見ても若い男は表情を一切変えず、
相変わらず光のない真っ暗な目をしていた。
「怪我はもう平気なのか?」
ミツは若い男の隣に腰を下ろし、
顔を覗き込んだ。
「平気です。先程の無礼を、どうかお許しください。」
「気にしなくていい。そんなことより、腕を貸しな。ちゃんと包帯が巻かれてないのが気になってしかたねぇ。直してやる。」
「いえ。大丈夫です。そんなことより、菊魁様への貢物を...」
「んなもん後でいいから。」
ミツは強引に若い男の腕を引っ張り、
包帯を巻き直し始めた。
「...申し訳ありません。感謝致します。」
「あのおっさんと一体何をあんなに揉めてたんだ?言いたくねぇなら言わなくていいけど」
しばらく沈黙が続いたが、
若い男は答えた。
「...ここには、恋人と来るつもりだったんです。」
「恋人?」
「ええ。恋人と言っても、相手は男ですが。男同士でお付き合いをしていました。俺は孤児で、家族はいません。だけど相手には家族がいて、友人も多くいて、大切なものがたくさんある人なんです。だから汚したくなかった。近づかないようにしていました。だけど相手も俺のことを好きだと言ってくれました。嬉しくて、死ぬかと思った。いや、死んでもいいと思いました。」
若い男は顔を上げ、窓の外を眺めた。
男の目に月の光が差し込む。
その目はうるうると
宝石のように輝いていた。
「恋人は菊魁様にずっと憧れていました。何年も前に予約をして、一緒に会いに行こうと約束をしました。そして当日になったら、結婚をしようと。ご両親にもちゃんと挨拶をして、菊魁様にも結婚したことを報告しようと。だけど現実は甘くありませんでした。世間は俺たちにあまりにも厳しかった。ご両親を怒らせてしまい、恋人には会えなくなってしまいました。きっとあいつも、ご両親を必死に説得してくれていると思いますが、一緒に菊魁様に会いに行くという約束を果たすことができなかった。」
ミツは新しい包帯で若い男の腕を優しく巻いてあげながら、黙って話を聞いていた。
若い男はグッと唇を噛んだ。
唇から血が流れ出す。
「やはり汚してしまった。あいつだけではなく、あいつが大切にしている人たちを俺も大切にしなければいけないのはわかっています。ですが正直、俺はあいつ以外どうでもいい。わかってもらえなくていい。あいつと俺2人でこの先も共に生きていけるのならなんだっていいんだ。他のものなんていらない。俺にはあいつしかいない。あいつしかいらないのに。」
ミツは唇から流れる血を
持っていたハンカチでそっと拭き取った。
「...なんでなんだろうな。」
ミツはボソッと呟いた。
「好きな人のことで頭がいっぱいなはずなのに、その人のことしか考えていないはずなのに、恋愛ってもんはどうもうまくいかない。お前が恋人しかいらないと思うのは、お前の愛がそれだけ深いものなんだと思う。それでもうまくいかないのは、お前と恋人が一緒になることで人生が変わっていくのはお前たち2人だけじゃないからだ。」
「...俺たち2人だけじゃない?」
「そうだ。お前は今までずっと独りだったかもしれない。でも恋人と出会い、一緒になると決めた時点でお前の人生はお前だけのものじゃなくなった。恋人の人生や、恋人の家族の人生も大きく変わる。女を好きになろうが男を好きになろうが俺はなんだっていいと思う。だけど、受け入れられない人も多くいる。その現実をどうでもいいと突っぱねるのは簡単なことだ。だけど2人だけで幸せになることが、本当の幸せなんだろうか。あのおっさん、孫の顔を見せれないと言われたことに怒ってただろ。おっさんにとっても一度きりの人生だ。そう思うのは当然のことだと思う。お前の下した選択が、誰かの人生を変えるんだ。」
若い男はミツの言葉を真剣な眼差しで聞いていた。
さっきまでは真っ黒だったその表情に、
少しずつ色がついていくようだった。
「だから、ちゃんと考えなきゃならねぇな。もうお前は独りじゃない。これからはその恋人と歩いていく。2人の人生になっていく。それは周りをも巻き込んでいくことなんだ。心から恋人のためを想い尽くすことが、次第に自分のためになっていく日が必ずやってくる。誰かのために生きろ。大切な人のために生きていけ。そうすればちゃんと幸せになれるよ。」
そう言うとミツは若い男の頭を優しく撫でた。
男の目には涙が溜まり、
今にもこぼれ出してしまいそうだった。
「失礼致します。」
部屋の外からコマの声が聞こえた。
「また客が来たみたいだぜ。」
「客...?」
若い男は襖の方へ視線を向けた。
襖が開き、そこにはコマともう1人若い男が立っていた。
その男の姿を見て、
若い男は目に溜めていた涙を一気に零した。
「な、渚...?」
「陽くん...」
恋人の渚が目の前に立っていた。
渚も目にいっぱいの涙を溜めていた。
「僕より先に菊魁様に会うなんてずるい。どうして先に行っちゃったの?2人で行くって、約束したじゃないか。」
「...ごめん。本当に。でも親父さんが会わせてくれなくて」
「僕は会いたかった。陽くんに今すぐにでも会いたかった。どうにかして部屋の鍵をこじ開けて、止める親の手を払って、走ってここまで来たんだ。それなのに陽くんは...あのまま一生僕に会えなくていいと思ったの?」
「違う!そんなわけないだろ!」
「だったら!!」
渚は陽に勢いよく抱きついた。
ギュッと力強く、
今にも壊れてしまいそうなくらいに。
「だったら!来てほしかった!!僕は陽くん以外何もいらない!好きで好きでしかたない...でも苦しい!それがすごく苦しい!元の自分に戻りたい!だけどそれでも僕は...僕は、陽くんのものになりたい。」
渚の口から強く吐き出されたその言葉は、
どうしようもできないくらい
ぐちゃぐちゃになってしまった愛を
苦しそうに訴えているようだった。
愛おしくて、たまらないのだと。
「...バカ。渚まで、俺みたいなことを」
陽は渚を力強く抱きしめた。
抱き合うその姿はとても美しく、
何にも変えられない、
誰一人踏み込むことのできない
そんな強い愛を感じさせるものだった。
ミツは2人の頭を優しく撫でた。
「どうか幸せになってくれ。そして時々でいいから、俺が言った言葉を思い出してほしい。大切なことを見失いそうになってしまったときに。今この瞬間と共に。心に閉まっておいてくれ。」
ミツの言葉を聞いて陽は大きく頷いた。
目には光が宿り、
真っ直ぐ何かを見据えていた。
渚は涙と鼻水でぐちゃぐちゃになった顔でミツのことを見ると、また更に大粒の涙を流しミツに抱きついた。
「うぅ...菊魁様...ありがとうございます、ありがとうございます...!!必ず幸せになります!絶対に...絶対に」
「あぁ。2人で会いに来てくれて、ありがとな。また来てくれ。そのときも2人で。いい報告を楽しみに待ってるぜ。」
陽も静かに涙を流し、
ミツと渚を強く抱き締めた。
「本当にありがとうございます。貴方様のお言葉も、この日のことも、生涯忘れることはありません。お会いできて、本当によかった。」
空は曙色に染まり、
夜の終わりを告げていた。
もう時間はとっくに過ぎていた。
3人の抱き合う姿を見て、
コマは優しく微笑み
終わりの知らせを告げることなく
部屋を後にした。
正午。
陽と渚は再び両親のいる家に向かう。
渚は笑う。
「陽くん、目腫れてる。ひどい顔。」
陽も笑う。
「渚こそ、鼻水で顔ぐちゃぐちゃだったぞ。」
雲ひとつない真っ青な空は、
まるで陽と渚の心を現しているようだった。
曇りなき、綺麗な心を。
さて。次の夜の客は如何に。