ブロマンスの行きつくところ 「インドラネット」桐野夏生 著(ネタバレあり)
桐野夏生先生のファンである。だから、今回の本も期待大で読んだ。
高校の時の親友とその姉妹とが行方不明となり、26歳の主人公・晃(あきら)は、(冷静に考えれば)身元のよく分からない人間から依頼されてカンボジアへ旅立つことになる。そこで、いろんな人と会い、いろんな目に遭い、少しずつ逞しく変わっていく主人公…、の話かと思って読みはじめた。
で、途中まで、なんら切迫感が伝わってこない主人公の行動と人間性。そしてただ、だらだらとした上り坂のように続く会話文に、「…今までの桐野作品じゃないのか…」と思い、それでも一度読み始めたものは読み切るのが癖みたいになっているので読み進んだのだけれど、なんの希望も持てない閉塞感と、主人公の手前勝手な考え方とに、そろそろ嫌気がさそうとしてきたp299から、いきなり面白くなった。というか、桐野先生のスピード感が早く読め~早く読め~と急かしてきた。この緊迫感を待っていたのだ。
結局のところ、狂気と死に示された二人の男性同士の愛。ここを決して(文中に書かれているような)自暴自棄(という名の綺麗ごと或いは夢物語)に倒れないように、半分以上の紙幅を割いて、主人公の性格をあんなふうになさけなくつまらなく、そしてあたかもそれは現代社会の産んだ、都会っ子特有の歪んだ人間性であるように、読者を騙していたのか。果たして私達(読者)は騙されていたのか?
だけれども、ラストシーンで再会する二人、そうして何の衒いもなく「愛してる」と告白しあう二人。そうして衝撃のラストへ向かうとき、私達読者は、ようやく桐野夏生の目指すところを知る。
桐野夏生の描くブロマンスとは、こんなに危険で儚く、そして重いものであったのだ。自分の生命を犠牲にして相手に尽くす愛、しかもそこに肉体関係はない。
『空知が晃の胸に頬を寄せた。自分が空知の胸に顔を埋めたかったのに、逆になった』
この小説中、この文章が一番好きだ。
誰も幸せにならない。そういう小説を問題作と位置付ける人は多い。そして今回の桐野作品には、カタルシスもない。それでも、こんなにも惹きつけられる。最後まで読んでやっと、これを描きたかったために、ここまでの長い旅を、晃と一緒にしてきたのか、と思わせる。
やっぱり桐野夏生作品の、読後感の雷のような威力と、筆力に、完膚なきまでにやっつけられた感の私なのでした。次も読も。