NTライブ「ハムレット」観てきた!
NTライブは、英国ナショナルシアターで上演したストレートプレイを録画した映画。日本だと、渋谷ヒカリエで上演したあとで、アンコール上演としてシネルーブルにやってくる。私は大体出足が遅いので、近所だというのもあってシネルーブルで観る派なんだけど、今回は忘れないようにして取ったよ。なにしろベネディクト・カンバーバッチのハムレットだから。
さてこの舞台、ほんとはまあ400年前の作品なんだけど、今回上演のは、服装も装飾も、大胆に現代の感じを取り入れ、台詞も削ったり内容を大胆に変えたりしてたようだ。(ようだ、というのは、私がハムレットの話の内容を全て諳んじているわけではないから)
舞台は奥に向かって緩い(のか?)傾斜のあるつくりで、従ってタテに動く演出が多い。
幕開きからびっくりしたんだけど、この「ハムレット」は、走る、走る。舞台を縦横無尽に走ってる。(昔、鶴太郎さんが金田一耕助役をやったときもやたらと走る探偵だったな…)もうそれだけで、なんだか若そうな主人公に見えるのがさすが。でも、録画だから、舞台なのに顔のアップが見れるのは嬉しいんだけど、ベネさん、台詞のときはハァハァ肩で息してて(そりゃそうだ)、でも声には絶対息の上がってる様子を出さないプロぶり。さすがです。主人公に限らず、ほとんどの人物が、早足或いは駆け足で舞台からはけるシーンが多く、結果、スピード感溢れた、どちからというとサスペンス物に近い「ハムレット」になってたなと思った。
ちょっと本筋からずれるけど、「ハムレット」は日本でも大人気だから、今までいろんな演出家や俳優の「ハムレット」を観てきたけれど、やっぱりハムレットを演じる俳優の年齢が大きく注目されることの多い芝居だと思うんだ。それは「ハムレット」をどんな作品ににしたいかっていう演出家やプロデューサーたちの意図がふんだんに盛り込まれた結果であるわけだけど、特に日本はその傾向が強い気がする。(海外のをそんなにたくさん観たわけではないけどさ(笑))
まあ、たしかに「リア王」を演じた人が次に「ハムレット」を演ったらふつうは「え?」って思うけど、要はハムレットの人間としての未熟さ、そしてそれによる悲劇が、この作品のおおきな柱になっているからだと思うんだ。
ちなみに私が観たなかでの最年長ハムレットは、市村正親さんだったけど、演出の蜷川幸雄さんの、分かりやすくメッセージ性の高い見せ方により、ハムレット王子を演じるには高年齢だけれども、それをしっかり逆手に取って、実は叔父、母、友達、恋人全部を騙していた、一枚上手感のあるハムレットになっているように見え、すごく私の好みの芝居になっていた(相手役のオフィーリアを篠原涼子が演じていて、発狂するときの演技がまさに体当たりと言う感じだったのも好感が持てた)
一番好きなのはどのハムレット?ともし問われたら、松重豊さんがホレイショ―を演じた時のハムレット、と答えるかなぁ。(蜷川幸雄さん演出だった。たしかさいのくにで観た覚えがあるよ…)
で、今回観たハムレットだけど、スピーディに歩く人物たちのせかせかした動き方が、いかにも「現代」を表しているように思えたし、と、いいながらも、墓堀人夫のシーンはたぶんイギリスではスゴク有名な俳優さんが飄々と演じていらして伝統感もあり(?)。(このシーンは、墓堀り人夫を演じるベテランか有名大物俳優がこの役のために登場し、面白おかしく演技するので、その楽しいシーンをみんなで注視する場になっているのです(と、私は思っている))
ただし、ハムレットの叔父(父殺しの犯人)・母・オフィーリアの兄殺害の理由付けが、ちょっとほかのハムレットと変わってて面白いと思った。
今回のは、無念の死を遂げた父王のかたきをとるという筋立てまでは同じなんだけど、カンバーバッチ・ハムレットは、やがて復讐のみに心を奪われてしまい、いつしか彼の大事にしていた国の平穏や、安全を脅かすまでになる(パンフのストーリーから一部抜粋)っていう、やる気スイッチの場所の違いがとても面白いと思った。
ちなみにだけど、日本版「ハムレット」の動機は、「若いので、仇をとると決めてからも、うじうじと悩む、若さゆえの悩み多きハムレット」、「父の亡霊にいつのまにか操られる、自我のないハムレット」、それからさっきも書いたけど、「仇討ちしたい人々を発狂したふりで騙しながら、実はそれを観ている観客をも騙しているハムレット」とか、いろんな解釈のあるハムレットがあって、観るたびに「へー、ほぅ、そうきたか」と思うんだけど、今回のハムレットも、私のなかではかなりイイトコ突いてたと思う。
ただ難を言えば、これは太字で書きたい、字幕の字が小さかった!!
これはアカンよ。なんのためのスクリーン上映だよ。
私、近視と乱視が酷くて、小さな字(しかも白字)だと目を凝らしているうちにどんどん変わっちゃうんよね。ふつうの映画の字幕ぐらいの大きさにしてもらいたかったな!!(映画の前のカンバーバッチ氏のインタビューなんて、白い服に白い字幕だから、はっきりいってほぼ分からんかった…)
あと、音楽や効果音が異常に大きくてかなりびくびくした。それも含めて、かなりセンセーショナルな演出だとは思ったな。
発狂したオフィーリアは、今回棺桶に酷似した鞄をずるずると引き摺って現れるんだけれど、中には、ハムレットからの手紙とか、彼女にとって大事なものとかが入っている。でもガートルード(ハムレットの実母)が後で中から取り出しのは、帯びたただしい量の写真と、カメラ。……ん?この演出はどっかで見た気がする。
400年前にシェイクスピラが書いた台本にカメラはなかったと思うけど、なんとなくふわっと象徴的に思えるっぽい小道具。とはいえ、私はこのカメラがオフィーリアのどんな側面を説明したいのか、さっぱり分からない。
私なら、…(とすぐ考え出す)オフィーリアが狂気のなかで持ち歩いてるトランクに、何を入れるかな~。きれいな花や美しいものが好きな、発狂する前のオフィーリアなので、発狂後の彼女には、「たくさんのごろごろした石」とか「泥まみれになった枝花」とか持って歩いて欲しいかな~。
とにかく、かなりゴシップ的なシーンもあり、でも演者みんなが全速力で歩き、動くことで構築した、NT版「ハムレット」。なんと2015年の作品らしく、これまで観たことなかった自分のアンテナの低さに反省もしながら、楽しく観劇して帰ってきました。
おわり(*^^*)