VIFFレビュー:「人数の町」、監視をめぐる暗く残酷な批評
この数年で、ジョージ・オーウェルの「1984」はますます意味深長な作品になりつつある。この小説を明らかなハッピーエンドと考える人たちが、嘘や偽りによって勢力を拡大しつつあるからだ。
この小説の中心的なメッセージは、現代における問題に基づき何度もアップデートされ、トレースされている。しかし、荒木伸二監督の「人数の町」は、これと同じテンプレートを使い、日本に生きることのメタファーを新鮮な方法で描き出している。
残酷で衝撃的な寓話となった結末は、エンドロールの後も、見る者の中にずっと残るだろう。
可能な限り予備知識を持たずに見た方が良い。
最初の10分で分かるのは、不満を抱いた日本の若い成人らが社会に拒絶された際に、行くことのできる場所があるということ。そこには安全と聖域があり、男女平等が奨励されている。
自由は釣り針に付けられたエサであり、飢えた者にとって釣り餌は美味しいものなのだ。
スカーレット・ヨハンソン主演のSFスリラー「アンダー・ザ・スキン 種の捕食」(2014)を彷彿とさせるような、安定した静かなショットの中、ゆっくりと110分間をかけて恐怖がやってくる。「人数の町」はSFとまでは言えないいものの、似たような、目を背けたくなるような瞬間がある。
居室、フィットネスルーム、食堂などを備え、寒々しいコンクリートで囲まれた、「町」とは名ばかりのデザインは、荒木氏の編集や監督を反映したものだ。長くスローなショットに時折、数秒間の絶望的な残酷さが割り込んでくる。
沈黙に近い時間は観客を息苦しくさせ、沈黙が破られた時にもむしろ悪化する。
登場人物には、物語の中での役割以上の奥行きが与えられることはない。「町」に来る前のフラッシュバックが何度か示されるだけで、どちらが本当の地獄なのか、判断するのは難しい。そして「町」の真の目的が明らかになっていき、そのシンプルさがかえって恐怖感を強める中、「どちらが地獄なのか」を判断するのはさらに難しくなる。
大げさで表面的に聞こえるかもしれないが、ベルトルト・ブレヒトやスティーヴン・バーコフの演劇のように、この映画は登場人物の掘り下げよりも、選択したメタファーを描くことに関心を持っている。「1984」や、バーコフ演出のカフカ「変身」と同じように、感情をぶちまける1人の登場人物が、闇の中の光のように際立っている。こういった感情は他の人に浸透し、私たちに次々と希望を与えていく。
だが、私たちはオーウェルが希望について何を教えてくれたかを知っている。「人数の町」はそれを、衝撃的で静かな結末をもって強調する。
日本の若い大人たちの足元には、信じられないほどの期待が横たわっている。会社のために、家族や個人の自由が犠牲になる。緊張とプレッシャーは、過酷な労働の証だ。自殺率は上がり続けている。社会への適合は、絶対的な優先事項だ。
このレンズを通して見ると、恐怖は現実であり、今あなたのすぐ隣で起こっているという、「人数の町」が持つ真の棘が見えてくる。この強いメッセージは、極めて率直な撮影スタイルと相まって、VIFFで見る最高の映画の1つになっている。この映画は、最後まで見ているのが不安になるほど、絶対必要なものだ。
text: VIFF Review: ‘The Town Of Headcounts’ is a bleak, brutal comment on control