『映画を早送りで観る人たち~ファスト映画・ネタバレ――コンテンツ消費の現在形~ (光文社新書)』のメモ
かいつまんでまとめてみた。
今の大学生には時間とお金がない
やるべきことが多く、可処分時間がない。
関東圏の大学生の2020年の「月平均の仕送り額から家賃を引いた生活費」は18,200円で過去最低。最高は1990年の73,800円。
バイトしないといけないし、他方でLINEなどでガチガチにグループに組み込まれているので、見たり聴いたり知っておかないと話題に乗り遅れるし、マウントを取られる。昔も「乗り遅れたくない」という問題はあったが、乗り遅れてもSNSもないしそんなにバレなかった。
乗り遅れないために映像を見て、情報収集してるだけ。10秒送りや、1話カットも普通。つじつまが合わなくても気にしない。鑑賞じゃないから。見たということが重要。
芸術―― 鑑賞物―― 鑑賞モード
娯楽―― 消費物―― 情報収集
サブスクの功罪
定額制動画配信サービスは、1人でも多くのユーザーに1円でも安く、1本でも多くの作品を、家にいながらにして楽しんでもらうべく生み出されたが、その結果として作品がコモディティー化してしまった。
沈黙のシーンは無駄なので飛ばす。「飛ばさせるような脚本が悪い」
説明セリフの多い作品が増えた
製作委員会で脚本が回し読みされる際、「わかりにくい」という意見が出る。観客がわかってくれないんじゃないかと不安になるらしい。予め説明ゼリフの多い脚本を書いてくる脚本家も。
わかりやすくした結果、 「勢いがなくなる」という。
「わかりやすいこと」が礼賛され、煽情的な意見を歯切れよく短いセンテンスで叫ぶ者がネットでフォロワーを集める。
ラノベのやたら長いタイトル
タイトルが内容を直接的に説明することで、あらすじの役割を果たしている。
「やっぱり観客が幼稚になってきてるんだと思う。楽なほうへ、楽なほうへ」。だが、「僕たち若年層が幼稚化したと言われても、それは致命的に教育を失敗したという客観的事実の現れではないですか」とZ世代。昔も今も「幼稚な観客」の比率は変わらず、単に彼らの上げる声が目立つようになっただけ。
テロップで埋め尽くされるテレビ画面
視聴者は、いま何が行われているかわからないと、チャンネルを変えて去ってしまう。それを防ぐため、テロップを常に表示させておく。
説明セリフを求める傾向は、観客の民度や向上心の問題というよりは、習慣の問題。
背伸びのそぐわない時代
「時代的に、〝背伸び〟って言葉がそぐわなくなってきたのかもしれないね。わからないものを無理して観て、なんとか理解しようと努力する、みたいな気運が」(脚本家)
かつて映像作品は、ある程度以上のリテラシーを有する観客に向けて作っていても、さほど問題にはならなかった。理解できない者の一部は勝手に背伸びをして理解に努めてくれたし、排除された客の声は可視化されなかったからだ。 しかし今は違う。商業作品である以上、あらゆるリテラシーレベルの観客が満足する(誰もが気分を害さない) ものを作らなければならなくなった。
SNSの普及による付き合い方の変化
若者のあいだで、仲間との話題に乗れることが昔とは比べ物にならないほど重要になっている。
オタクを名乗るのは勇気がいる。「詳しくはないけど、とにかく好き」という謙虚な意思を表明できるものとして〝推し〟という言い回しが生まれた。
Z世代の子たちにとって今のTwitterは、『もう私たちのメディアじゃない』。〝論破〟したいおじさんたちがウヨウヨいるから。
旧来から多くの会社組織では「不本意な業務も我慢して遂行し、さまざまな部署でのジョブローテーションを経て、多方面にわたるスキルを身につけてこそ広い視野で物事を見ることができる」と言われた。しかしそれには、その会社が何十年もこの先存続し、現在と同じように安泰であることが保証されていなければならない。(が、今やそうではない)
子どもたちは大事に大事に育てられており、痛みに弱い。失敗したり怒られたり、恥をかくことに驚くほど耐性がない(共感性羞恥)。創作の中であっても、一瞬たりともどん底を味わいたくない。だから、見る前にネタバレサイトで確認しておく。びっくりしたり心を動かされたくないので、ネタバレは構わない。主人公が最初からチートで無双する転生もののラノベやアニメが受けるのはそれが理由。
作品を体系的に見ず、コスパ(タイパ)重視の若者が増えている。何かを選び取るにあたり、情報収集に時間や労力、脳みそを回す手間をかけたくない。