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いなくてもいい人々 いたくない人々 〜映画「人数の町」感想

完全在宅勤務になって4カ月以上が経過。その間、政府の言うことを馬鹿正直なまでに守り、外出するのは食材の買い物・既往症の通院・ジム・ウォーキングだけ、距離にして歩ける範囲だけに閉じこもっていた。その間、もちろん公共交通機関には乗っていなかったのだが、どうしても見たい映画を見るため、9/6(日)に4カ月ぶりに地下鉄に乗った。乗り方を忘れているかもと怖かったが、大丈夫だった。ただ、隣の席に誰か座るとかなり恐怖だった。マスクしてない人もたまにいるしね。

見たのは、監督:荒木伸二氏、主演:中村倫也氏による「人数の町」。以下、感想を。

手がかりがない映画

初めに書いておくと、私は熱心な映画ファンではなく、多くても1カ月に1本くらいしか見ない。それは、映像よりもテキスト派だから。さらには、2時間もスクリーンの前にいるのがつらいから。

分かりやすい話が好きなので、好んで見るのは大作コメディーや、大作CGアニメ。ピクサーとか大好きである。だが、この「人数の町」。トレーラーで見る限り不条理感満載で、いわゆる「いやミス」チック。正直、かなり腰は引けていた。しかし、とにかく見てみようと思った。

まず、なんか不安を感じた。知らないところへ連れて行かれる(望んで行ったにせよ)という不安はもちろんあったが、次に何が起きるのか手がかりが少ないという不安だ。それはなぜなのかと少し考えて、思い当たった。

意図的なのだろうと思うが、この映画、BGMが鳴らない場面が多く、自分が映画やドラマを見る時音楽に頼る(左右される)見方をしてきたんだなと、思わぬところで痛感。音楽が鳴ると、それが手がかりとなって、平和なシーンなのか怖いことが先に待ち受けているのか分かるので、見る方は安心なのだ。演出面からいえば、演技だけで表現しなくてもいい。
だが、この映画は大半のシーンで音楽がないので、先の予想がつかないし、笑っていいところなのかどうなのか、一見して分からない部分が多い。
主人公はどう考えても怪しい場所へと、それほど躊躇いもなく流れていく(行こうと決断するまでの過程は大幅に省略されている)ので、ものすごく不気味だ。わたしだったら絶対行かない。不穏すぎて仕方ない。もし楽しげな音楽が鳴っていたとしたら、喜劇だと受け止めていいのかもしれないが、その手がかりがないのだった。その当たり、いつも見るような簡単でのんきな映画とはかなりテイストが異なっており、入り込むのにちょっと時間がかかった。

閉鎖された場所で流される人、抗う人

おかしなルールで住民が縛られている場所が舞台の話というと、最初は映画「カラー・オブ・ハート(原題「Pleasantville」=「快適な場所」)を想起した。しかし、フェンス(柵)に囲まれていることから、村上春樹の「世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド」にイメージが移っていった。「あ、これは『世界の終りだ』!」とふいに腑に落ちてから、映画へと急速に入り込めるようになった。

そのおかしな場所には、飼い殺しになっている(けど本人たちは気づいていない)人々があふれている。そこへ、意志を持ってやってくるまれな存在が紅子である。紅子は、柵の外の世界にいられなくなったわけではなく、目的を持って自ら乗り込んでくる。柵の中の世界に取り込まれまいとする(この段階では)。そこで、「あ、紅子は世界の終りの『影』じゃん」と思った。世界の終りについてはここでは触れないが、取り込まれまいとして懸命に抗い、その結果弱っていく「影」が、私は大好きだった。立って歩いて考えてしゃべる「影」だが、唯一、ファンタジーではない存在だと思った。影との共通性を認識した瞬間、紅子に愛着がわいたのだった。

ここにいる人々は何らかの事由により、普通の社会にいられなくなったり、いづらかったりする人々だ。この人たちがいなくても、社会はまったく問題なく回っている。
ただ、これは映画のテーマとはズレていると思うが、こういった「いなくてもいい」人々も、その人の世界においては主人公なんだよな……ということを強く思った。テーマと関係ないだろうけど。それは、人数の町にはいない私についても、同じことなんだけど

町の運営者は?

映画を見ていくうちに、何がこの町の目的なのかに考えが向いていった。何が運営しているのか? 目的は? 資金源は?

まずは、官民どちらなのか。最初は、ドロップアウトたちで一儲けするブラックな民間組織だろうと考えたが、もしかしたらドロップアウトたちが柵の外であまりにハメを外し過ぎないよう、飼い殺しにするための施設であり、運営者は「官」なのではとも思った。不正選挙などにも関わっているので、運営主体が官だったらそれはそれですごくブラックだが、まったくあり得ない話ではないだろう。人間の想像がつくことは、人間の世界ではすべてありえることなのだし。

「政治的な映画」だと書いている批評もあったが、個人的にはそこがメインテーマではない気がした。不穏な世界を描写する一環として、何か大きな組織による胡散臭い陰謀が要素として仕込まれているんじゃないかなと感じた。

手がかりのない、不安な感じで始まった本作だが、結末は意外ときれいにまとまっていた。嫌いな結末ではないし、これはアリだなと思った。もしかしたらちょっと唐突なのかもしれないけど、私は上手くまとめた結末は好きなので、特に文句はない。決してハッピーエンドではないし、主人公たちが幸せだとは思えないが、どういう方法にせよ生きていくことは必要だ。人間にとって。生きていくことを私は祝福する。この後どうなっていくのか、どうにもならないのかもしれないが、それもアリだ。人間の唯一の課題は、死ぬまで生きることだ。それ以外はないし、それさえ達成すればあとは何でもありだと思っている。映画と関係ないけど。

欲を言えば

最後に1つだけ欲を書かせてもらいたい。辞書で「町」を引いたところ、「住宅や商店が多く人口が密集している所」とあった。そのように、「町」というと住宅があり、商店が並び…… というイメージを持っているのだが、この映画に出る「町」はちょっと広がりが少ない気がした。住宅はホテルの部屋だし、商店はないし(経済活動がないので仕方ないといえばないのだが。あるとしたら、セックスの札の取引場面か?)、「ここが町!」というイメージがしづらかったかなと。どの程度人数がいるのかも想像できなかったし。「ここが町!」というビジュアル?があれば、もう少し自分の頭の中で想像を膨らませやすかったかなと思った。あえて、それも出していないのかもしれないが。

ここまで読んでいただき、ありがとうございました。

(あ、例の罰音楽。最初のほうはちょっとだけThe Avalanches - 'Since I Left You'の冒頭部分を思い出しました)

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