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(2024/08/16/金)『ふるさとの遺跡再発見 高千穂会場』の備忘録③



『ふるさとの遺跡再発見 高千穂会場』の備忘録②

 今回も、先週の日曜日は、宮崎県埋蔵文化財センターの主催されていた、特別展の備忘録の続きです。




陣内じんない遺跡に関する解説




陣内じんない遺跡から発掘された土偶どぐう石棒せきぼう

 こちらの展示遺物も、埋蔵文化財センター職員の方のオススメされていた展示物です…。

 この遺物は、宮崎県西都原考古学博物館に常設されていて、そちらで観覧する事は出来ますが…

 今回の様に、発掘された土地に里帰りするのは珍く、発掘から約64年ぶりに発掘された高千穂町に戻って来た……との事でした…。


土偶どぐう

土偶どぐう 
縄文時代後期
高千穂町 陣内遺跡
(宮崎県西都原考古学博物館所蔵)
 土製の偶像ぐうぞう土偶どぐうといいます。
 主に女性の形をしており、様々な『祭り』に使用されたものと考えられています。
 土偶は、手足や頭が欠けて出土する事が多く、祭りにおける儀礼の一端をうかがい知ることができます。
 陣内遺跡から出土した土偶どぐうも手足や頭が欠けており、同部の膨らみは妊娠中の女性をかたどったと考えられます。


石棒せきぼう 

石棒せきぼう 
縄文時代後期
高千穂町 陣内遺跡
(宮崎県西都原考古学博物館所蔵)
 偶像が女性を象徴しる縄文時代の祈りの道具である一方で、男性を章お蝶する祈りの道具が石棒です。
 子孫繁栄しそんはんえい豊饒ほうじょうを祈るためのものと考えられています。




神殿こうどの遺跡に関する解説




神殿こうどの遺跡・南平みなみひら第3遺跡から発掘された遺物の展示

 こちらの展示物は、埋蔵文化財センターの職員の方の解説によると…

『高千穂高校のグラウンドと道路を作る時に出て来た遺跡(神殿遺跡)、集落の痕の遺跡から出土した遺物をメインとして展示しています』

…との事でした。

 今回も、それぞれの遺物の写真と遺物が展示されていた位置を、備忘録として残したいと思います…。


玉類ぎょくるい

玉類たまるい 
013104ほか2点
縄文時代後期~晩期
高千穂町 南平第3/中の原遺跡
 左は滑石製の管玉、中央は蛇紋岩製の管玉、右は正方形で2方面から孔があけられた滑石製の玉です


磨石すりいし 

磨石すりいし 
9417CS19
磁器不明
高千穂町 神殿遺跡
 閃緑岩で、食べ物をすりつぶすのに使われており、石の表面に使用した痕跡が残っています


砥石といし

砥石といし
94070042
弥生時代
高千穂町 神殿遺跡
 磨製石鏃や石包丁などの石器をつくったり、刃先を研ぐのに使われました


磨製石斧ませいせきふ

磨製石斧ませいせきふ
013158/227
弥生時代
高千穂町 南平第3遺跡
 住居跡から出土しました。
 刃先を砥石などで研いた斧です


石包丁いしぼうちょう

石包丁いしぼうちょう
94070034
弥生時代
高千穂町 神殿遺跡
 穂摘みに使われたと考えられ、ひもをとおすための孔があけられています


弥生土器やよいどき つぼ

弥生土器やよいどき つぼ
013402
弥生時代中期~後期
高千穂町 南平3号遺跡
 住居跡から出土しました。
 ややふくらみのある平底をしています


土師器はじき かめ

土師器はじき かめ
9417CY16
古墳時代前期
高千穂町 神殿遺跡
 住居跡から出土しました。
 布留系の甕で、外面はハケ、内面はヘラで削るといった調整をしています


土師器はじき つぼ

土師器はじき つぼ
9417CY07
古墳時代前期
高千穂町 神殿遺跡
 小型の丸底坩の系譜のもので、胎土がきめ細かく、丁寧なつくりです


土師器はじき かめ

土師器はじき かめ
94070094
古墳時代
高千穂町 神殿遺跡
 鉱物の粒を多く含む粗い胎土で、外面をハケで、内面を指で調整しています。
 粘土紐を積み重ねて作った痕もみられます


磨製石鏃未完成品ませいせきぞくみせいひん完成かんせいひん

 高千穂町では、下記のような磨製石鏃の未完成品や完成品が、かなり大量に出土する為、この様な石器を作る集団が居たのではないか?
 と、言われているそうです…。

磨製石鏃未完成品ませいせきぞくみせいひん 

磨製石鏃未完成品ませいせきぞくみせいひん 
013193
弥生時代
高千穂町 南平第3遺跡
 磨製石鏃の材料となる剥片と、見製品が数多く出土しました


磨製石鏃ませいせきぞく

磨製石鏃ませいせきぞく 
970249ほか17点
弥生時代
高千穂町 吾平原第2遺跡
 弓矢の先につける『やじり』で、石材を砥石などで磨いてつくっています


弥生土器やよいどき 脚台付鉢きゃくだいつきはち

弥生土器やよいどき 脚台付鉢きゃくだいつきはち
013491
弥生時代中期~後期
高千穂町 南平第3遺跡
 住居跡から出土しました。
 表面が丁寧に磨かれています


弥生土器やよいどき つぼ

弥生土器やよいどき つぼ
(写真の解像度が低く、番号を読めませんでした…)
弥生時代
高千穂町 南平第3遺跡
 壺の口の部分です。
 2つずつの丸い粘土の貼り付けは『浮文』と呼ばれ、装飾的な意図によるとされています


弥生土器やよいどき 長頸壺ちょうけいつぼ

弥生土器やよいどき 長頸壺ちょうけいつぼ
(写真の解像度が低く、番号を読めませんでした…)
弥生時代中期~後期
高千穂町 南平第3遺跡
 丹塗りの壺で、くびと肩の境に突帯がめぐらされています


土師器はじき 高坏たかつき

土師器はじき 高坏たかつき
9417CY09
古墳時代前期
高千穂町 神殿遺跡
 坏に脚台がついたうつわで、食べ物をもりつけたりしました。
 表面に赤色顔料が塗られています

 …下記の画像は、側面から撮影した写真です…
断面や、形状が良く解ります…


陶器とうき さら

陶器とうき さら
013702
16C前後
高千穂町 南平第3遺跡
 16世紀前後の朝鮮半島系の皿です。
畳付と見込みに砂目積みの痕がみられます


土錘土錘

土錘土錘
013703
中世~近世
高千穂町 南平第3遺跡
 土製のおもりで、中央に紐をとおすための穴があります


布痕土器ぬのこんどき

布痕土器ぬのこんどき
9470138ほか3点
古代
高千穂町 神殿遺跡
 製塩や塩の流通に使われていた土器で、内面に布目痕が残っています

 塩を入れて運んだ壺で、中の塩を使う(取り出す)時に割る為、雑に作っているそうです。

 作り方は……

①、始めに棒に布を巻き付ける。
②、布を巻いた棒に土を貼り付ける。
③、棒を抜いた後、布を剥いで土を焼いたら完成。


破鏡はきょう

破鏡はきょう 
 破鏡は銅鏡どうきょうを意図的に分割し、拡散したものだと考えられます。
 なぜ、わざと割ったのかについては諸説ありますが、当時の人々の交流などを考える上で貴重な資料となります。
 神殿遺跡の破鏡は内行花文ないこうかもんとみられる銅鏡で、銘帯めいたいの『之』または『光』字状の文様が見られます。

 こちらの破鏡については、埋蔵文化財センターの職員の方が解説をされていたので、メモを残して置きたいと思います…

 こちらの破鏡は、明らかにわざと割られているそうです…。

 鏡が割られて配られる理由は、諸説有る様ですが、有力な説としては…

『鏡と言う物は偉い人が持っている物なので、それを割って分け与える事で、それぞれの人(小さな領地を管理する人?)に力(権力)を与えると言う意味合いで、配られた物かもしれない…』

 …との事でした……

 しかし、職員の方の解説によると…

『この神殿遺跡で見つかる鏡については、その意味合いは弱いのかな~と感じます……
 ただ、わざと鏡を割って、分けている事は間違いないので、
何かしら、交流の意味が有ったのではないか?』

 …と、解説をされていました。

 下記は、角度を変えて、数枚撮影した写真です…


鈴釧すずくしろ(見出しの画像) 

鈴釧すずくしろ 
弥生時代終末~古墳時代?
高千穂町 伝吾平原出土
 銅釧(どうせん)の周りに小鈴がついています。

 こちらの鈴釧についても、埋蔵文化財センターの職員の方が解説をされていたので、メモを残して置きたいと思います…

 宮崎県総合博物館に寄贈された、今でも音が鳴る鈴の付いた腕輪です。

 これも、今回初めて外に出された遺物で、2度と見る事が無いかもしれない、非常に珍しい遺物です。

 中々展示が難しい……。

 難しい理由は、発掘をして見つかった物では無いので、正確に判らない事が多く、中々外に出し難い……。

 ただ、物としては非常に珍しいです。

 …との事でした。

 非常に珍しい遺物を、解り易い解説を聞きつつ観覧する事が出来て、凄く良かったです。

 …鋳金(ロストワックス法)で作製できそうな遺物(作品)なので、自分の為に自作しても良いかな~??

 ……と、思っています……。



南平みなみひら第3遺跡に関する解説




太郎たろう遺跡に関する解説




高千穂町太郎たろう遺跡・経塚きょうづか遺跡、都城上平うえひら遺跡 から出土した遺物の展示


土師器はじき 小型甕こがたかめ

土師器はじき 小型甕こがたかめ
112994
古墳時代前期
高千穂町 太郎遺跡
 外面をハケのような工具で調整し、内面には工具で削った痕が見られます


異形石器いけいせっき

異形石器いけいせっき
113040ほか2点
縄文時代
高千穂町太郎/都城市上平遺跡
 不思議な形をした石器です。
 どのように使われていたかはわかっていません。
 黒曜石で作られています。

 

 …こちらの太郎遺跡から出土している、音叉おんさの様な異形石器いけいせっきについては、以前、宮崎県埋蔵文化財センター分館で直接見た事が有り、まさかここでまた見れるとは思いませんでした…。

 異形石器は、古代の遺物の中でも個人的に最も好きな遺物なので、今回、又見る事が出来て、凄く良かったです…。


銅製経筒どうせいきょうづつ(積上式)

銅製経筒どうせいきょうづつ(積上式)
12世紀前半
高千穂町 経塚遺跡
 この経筒は石組構造に埋納されており、平安時代のものと推定されます。
 後世まで私の教えを正しく伝える為に、書写した経文をこの経筒に容れて、地中に埋納しました。

 こちらは、以前、日本に末法思想まっぽうしそうが流行った時に、全国でこの様な経筒を埋めるのが流行った事が有ったそうで、これは、その時の遺物だと言う事でした…。


弥生土器やよいどき かめ

弥生土器やよいどき かめ
112988
弥生時代
高千穂町 太郎遺跡
 住居跡に流れ込んだ土石から出土しています




経塚きょうづか遺跡に関する解説



『ふるさとの遺跡再発見 高千穂会場』の備忘録④へ…(To be continued..)

 今回の備忘録は、ここで一旦終了します。


 今回、備忘録として残した写真の中で、初見で気になった遺物は、この鈴釧すずくしろです…

 元々、高千穂町の地元の方が所有されていて、宮崎総合博物館に寄贈された物で、詳しい出土状況は判らない様ですが、かなり珍しい物だそうです。

 ただ…、もう少し、側面から写真を撮影して置きたかったです……。

 個人的に身に付けるアクセサリーとして作り直す為に、鈴と鈴の間のブリッジになっている部分(金属線)の断面形状を、もっと正確に知りたかったな~…

 …と、少し後悔しております…。

 もし、今後、機会が有れば、もう一度見てみたい遺物です。 



 続きは、少し時間が掛かるかもしれませんが、少しづつまとめて行きたいと思います。




他の『ふるさとの遺跡再発見 高千穂会場』の備忘録へのリンク


『ふるさとの遺跡再発見 高千穂会場』の備忘録①

『ふるさとの遺跡再発見 高千穂会場』の備忘録②

現在の記事
『ふるさとの遺跡再発見 高千穂会場』の備忘録③

『ふるさとの遺跡再発見 高千穂会場』の備忘録④(終)



記事を書くのに掛かった時間
2024/08/14/水~2024/08/16/金

公開日
2024/08/16/金/1958

最近はただの日記になっていますが、自分自身と作りたい作品について更に突き詰めて行きたいので、この作業を暫く続けて行きたいと思います。


最後まで読んでいただきありがとうございます。 作品製作をしているので、サポートいただけたら創作活動に関する費用にしたいと思います。