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(2023/04/10/月)西都原古墳群170号墳・陪塚(ばいちょう)


 この写真は昨日(2023/04/10/日)西都原古墳群に行った際に撮影した写真です。
 撮影した写真を忘備録としてここに残して行きたいと思います。

本日の写真

西都原古墳群170号墳・陪塚(ばいちょう)

西都原考古学博物館から、このはな館(物産品やお土産が売っている所)へ山側の道を通る際、昨日紹介した171号墳の手前に、開けた草原に低く平たい山の有る風景を見る事ができます。

写真中央付近に車止めの杭が建てられていますが、手前に車やバイクを駐車できるようなスペースが有るので、下車して見学できます。

この周辺の状況をパノラマ写真で撮影しました。
裏には山(畑)、手前には草原、奥には木が植えられた畑と民家、更に奥に森(女狭穂塚・男狭穂塚)しか見えない、風通しが良く、気持ちの良い場所です。

解説看板から墳丘を見た所。
凄く大きくて平たいです。

案内看板の紹介

上記のパノラマ写真に写っている三つの案内看板です。
この陪塚の説明と、発掘された物等の解説がされていました。

一番右の看板から。
170号墳の看板で、この古墳で出土した遺物が解説されていました。
何か見たことがある遺物の数々が…

看板を拡大したもの。

画面左側の拡大写真。

画面左側の拡大写真。
なんと!! 
ここで発掘された子持ち家形埴輪と舟形埴輪が、国の重要文化財になって、東京国立博物館に収蔵されている様です!!

さすが宮内庁管轄の御陵の陪塚ですね!
素晴らしい遺物が出土したようです。

三つ並んだ案内看板の真ん中の看板。
『男狭穂塚・女狭穂塚と丸山支群』についての看板です。

画面を拡大しました。

画面左側の拡大写真。
これは…先日紹介した『↑』のマークがある筒型埴輪ですね。

画面右側の拡大写真。
男狭穂塚・女狭穂塚の大きさが紹介されています。

最後に一番左の案内看板です。
こちらは隣の169号墳の解説がされていました。

看板を拡大したもの。

画面左側の拡大写真。
発掘年と出土物、発掘の様子等が紹介されています。

画面右側の拡大写真。
平成の発掘調査の様子がカラー写真で紹介されていました。
円筒埴輪の並び方がきれいです。

看板の横から道路側を見た所。
背の高いスギが植えられていて、その奥は畑になっていました。

看板の後ろから、古墳周辺のパノラマ写真を撮影しました。
開けていて気持ちが良い場所です。

写真をスマホで撮影していると、古墳の手前に何やら、誰かが通った様なわだちが有りました…。

近づいてみると、確かにわだちでした。
傾斜も緩やかなので、吸い寄せられるように登ってしまいました。
(※後でこの事を後悔します。その事は後で解説致します。)

墳丘はさほど高くは無いのですが、墳丘を半分ほど登ると空が開けて広くなった感じがしました。

頂上部になにか二つの石碑が立っていたので、近づいてみました。

二つの石碑は隣接して立っていて、一つは上部がかまぼこの様に丸く、一つは角度のゆるい四角錘で、石材の風化具合から相当な古さを感じます。

更に近くで撮影したもので、少し上の方から撮影しました。
写真では文字が見えますが、撮影した際は日差しが強く、周りのまぶしさに比べ、石碑正面が暗く文字が読みにくかったので、もう一枚正面から撮影しました。

正面から撮影したもの

上部がかまぼこ状の石碑には
『古墳第百七十…(草と土に埋もれて読めませんでした。)』
全て読めませんでしたが、これは昨日171号墳の案内看板の後ろに有った石碑と同じ物でしょうか。

上部が四角錘の石碑には深くて古い斜めの切れ込み傷と、
『宮崎…(県?草が邪魔で見えませんでした。)』
宮崎県…昨日の道路に有ったコンクリートの石碑にも宮崎県と書かれていましたが、同様の物でしょうか。
(今度博物館で聞いてみようと思います)

しかし、なんで石碑に深い切れ込みが入っているのか不思議です。

石碑から男狭穂塚・女狭穂塚の方向を向いて撮影した写真。
さえぎるモノが無いので空が広いです。
奥の森は巨大な古墳が有るエリアです。

追記・170号墳・通称『雑拳塚(せっしょうづか)』のいわれ。

 この日は、このはな館の観光案内に、古墳について質問をする為に始めて行きました。 

 そこでボランティアガイドの方に丁寧に判り易く教えて頂き、大変助かりました。
 様々な情報をご提供いただき、心より感謝申し上げます。

 そこでこの170墳、通称『雑拳塚(せっしょうづか)』について、地元のいわれを聴きました。 

 その方はこの土地の方で、子供の頃から古墳周辺で遊んでいた様です。
昔はこの古墳群は林や森で、今の様に整備されていなかった事を教えて頂きました。

 その中でも大人から、この170号墳『雑拳塚』に上ってはいけないと大人から言われていた様です。

 なんでも、この雑拳塚に上ると良くない事が起こると言う伝承が昔からあった様で、子供のころから聞いていた様です。
 塚の名前も漢字の殺生では無いものの、同じ『せっしょう』と言う読み方なので、何か不吉です。

 この伝承を知っていたら登らなかったのに……何も無ければいいのですが(気にし過ぎ)。

※その後でボランティアガイドの方から、『低い塚だから、登ると壊れやすいので登らない様に昔の人は言っていたんじゃないか』と言われました。
登った事で気にしている事を見透かされた様です。

2023/04/10/1800~2015
(資料を読んでいたら時間を忘れていました。)

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るてる
最後まで読んでいただきありがとうございます。 作品製作をしているので、サポートいただけたら創作活動に関する費用にしたいと思います。