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『令和6年度 歴史シンポジウム 大島畠田遺跡と郡元西原遺跡』の備忘録(2024/10/27/日)


歴史シンポジウム 
大島畠田遺跡と郡元西原遺跡


イベントを知った切っ掛け

 今回は令和6年202410月26日土曜日、宮崎県都城のウェルネス交流プラザ2F ムジカホールで行われた…
『令和6年度 歴史シンポジウム 大島畠田遺跡と郡元西原遺跡』の備忘録を残したいと思います。

 こちらのシンポジウムを知る切っ掛けになったのは…

 先週の日曜日、宮崎県埋蔵文化財センターが開催している『故郷遺跡再発見』のギャラリートークを観覧する為、会場である『都城市山ノ口総合センター』に行った際…

2024/10/19/日に撮影した、
都城市山ノ口総合センターの玄関

 玄関の前に貼られていたポスターを偶然見たのが切っ掛けでした…。

都城市山ノ口総合センターの
玄関に貼られていたポスター

 私は元々、遺跡よりも、変わった遺物等が大好きなので…
このポスターを見た時、墨書土器の写真がポスターに写っているのを見て…

『これは…私が知らない、面白い遺物や情報を知る事ができるかもしれない。』

…と、思った為、昨日、このシンポジウムを聴講しました。




会場入り口付近の様子

 ウエルネス交流プラザの建物外観の写真は撮影し忘れたのですが…

 シンポジウムが行われた『ムジカホール』前の写真は撮影する事が出来ました…。

ムジカホール前の様子


会場で頂いた物

 会場手前の受付では、4枚のパンフレットと、アンケート、質問用紙、鉛筆(ペグセル)を頂きました…。

メインの資料で、文章メインの冊子。
画像資料メインの冊子
写真+地図メインの冊子
写真メインの冊子


会場入り口の様子

 今回、この施設に始めて来たので…
記録に残す為、数枚写真を撮影しました…。

入り口左袖には受付が有る為、この角度から撮影しました…
入り口には、
今回のイベントのポスターが有ります…
入り口正面には、
モザイク作品が展示されています…。
作品の下には、作者と作品名が書かれていました、




今回の会場で新たに知った興味深い事

 今回の公演のメインの議題は、ポスターに描かれていた通り……

 宮崎県都城市で発掘された『大島畠田遺跡と郡元西原遺跡』の事が多かったです。

 『大島畠田遺跡と郡元西原遺跡』の内容で面白かった部分は…

 『大島畠田遺跡で発掘された富裕層の家で、かなり綺麗な堀の後と…
巨大な屋敷跡が残っている。』

 …と言う所で…

 この様に富裕層の家屋や堀の痕跡が、しっかりと残っているのは、全国で二ヶ所のみだと言う所が非常に印象的でした…。

 その豪族の屋敷跡の堀のあとの写真は、下記のポスターに描かれている写真です。

 堀は、かなり綺麗に整地されていた…と言う事です。

都城市山ノ口総合センターの
玄関に貼られていたポスター

 しかし、この『大島畠田遺跡と郡元西原遺跡』以外にも、この遺跡が作られる前後の日本国内の状況等についても解説されており……

 こちらの方も、個人的にかなり興味深かったです…。


特に興味深かった部分 
『不動祖』と『神火』

 9世紀~10世紀頃(?)、律令制で、『不動祖(不動穀)』という制度が有ったそうです。

 この『不動祖(不動穀)』とは、祖(税として徴収した米)の一部を、現地に立てた蔵に貯蔵し……

 蔵が満杯になったら、その蔵を封印し…
新たに蔵を建て、そこに又、蔵が米で満杯になるまで貯めて行く…

 …と言う事を繰り返す制度のようです…。

 この『不動祖(不動穀)』が行われる理由は、名目上は『収穫された米を神へ捧げる為』とされていた様ですが…。

 実際は『飢饉の時や中央政府の指示が有った時のみ蔵をあけ、その米を民衆に開放する(備蓄米を確保する)』と言う制度だったそうです。


 …しかし、記録によると……

 たまーに税を管理する役人が、その『不動祖(不動穀)の蔵』の封印を解いてしまって…

 中の『不動祖(備蓄米)』を、勝手に売ったり、高い利子で貸し出したりして、私腹を肥やす役人が出て来たそうで…

 その所業がバレると、役人が蔵に火をつけて、全てなかった事にする……
…と、言う事件が発生する事が有った様です…。

 その時、役人が蔵に火をつけて火事になる事を『神火』と言って…
それは古代の資料続日本紀に掲載されている……


 と、解説されていた所が、非常に興味深かったです…。




シンポジウムの最後の質問コーナーで 
面白かった質問

 シンポジウムの最後に、開会前、入り口で配られていた質問用紙に質問を記入すると、回答して頂けるコーナーが有ったのですが…

 その中で面白い(会場で笑いが起こった)質問が有ったので、メモとしてその質問を残したいと思います…

 質問の内容は…

Q『当時(10~11世紀頃の事?)、地方の役人や有力者が悪行を行っていたのに、焼き討ちは無かったんですか?』

 という物で、司会の人が読み上げた際、会場で笑いが起こっていたのが印象的でした…。

 それに対する答えは…

A『当時(10~11世紀頃の事?)、既に日本中に仏教が浸透しており、民間の間でも『仏教説話』という形で仏教は広がっていた。
 その『仏教説話』で有名なのは、『悪い事をしたら、牛に生まれ変わって、一生畑作業や荷物を引いたりしないといけなくなる。』と言う物で…
 恐らく、そういった事が社会規範となっていたからか…
上の人間を下の人間が撃つ様な事件や、大規模な焼き討ちは、あまり記録に残ってません。
 全くない訳では無く…例えば関東で3例ほど、焼き討ちと思われる痕跡の遺跡は出ていますが…
 それも、規模が小さく、かなり稀な事だったと思います。』

 という物でした。

 



閉会後にお伺いした事

 閉会後、ムジカホール前のロビーで、文化庁の職員の方がいらっしゃったので……

 上記で書いた『不動祖』と『神火』についてお伺いした後…

 昨日、備忘録を発表する時に気になっていた『文化財オンライン』の文化財に関する解説文の著作権について、文化庁のどの部署が担当されていらっしゃるかと言う事をお伺いした所……

 文化庁 政策課に聞くと良いと言う事を教えて頂きました…。

 又、『文化財オンライン』の文章については、公文書としての扱いとなる様で、引用元を明記すれば引用する事が出来ると思いますが、文化財の写真を使用するのは、また違う手続きが必要…と言う事を教えて頂きました…。

 今回『文化財オンライン』の著作権を管理する部署を教えて頂いた為、早速明日、お問合せをしたいと思います…。
(下記のリンクは文化財オンラインへのリンクです)


 今回、シンポジウムで最新の発掘情報を聴講したり、シンポジウム後に質問にお答え頂く時間を頂いた事で、不明な部分を知る事ができ、勉強になりました。

 
 質問に答えて下さった文化庁職員の方と、今回、このシンポジウムを開催して頂いた、宮崎県都城市教育委員会文化財課職員の方々に、心より感謝いたします。

 

 


街中で会ったミニチュアホース

 この日、このシンポジウムが行われたウエルネス交流プラザから出て、駐輪場を通っていた時…

 施設前の歩道を、ミニチュアホースと小型犬を散歩されている方がいらっしゃったので…

 飼い主の方に触れる許可と撮影する許可を頂く事ができ、街中でミニチュアホースに触れ、撮影できる言う貴重な体験を得ることができました…。
(その時の記事については日記の『本日の画像』としてまとめた為、下記にリンクを貼ります)

都城で偶然出会ったミニチュアホース(はなこ)
飼い主の方のタオルを引っ張って、
向こうを向いてしまったので…
ここで撮影をここで作業を終らせる事にしました…。

私が撮影する前にも、他の方が撮影されていたので…
疲れてしまっていたのかもしれません…。





記事を書くのに掛かった時間
2024/10/26/土~2024/10/27/日/0845

公開日
2024/10/27/日/09

最近はただの日記になっていますが、自分自身と作りたい作品について更に突き詰めて行きたいので、この作業を暫く続けて行きたいと思います。


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るてる
最後まで読んでいただきありがとうございます。 作品製作をしているので、サポートいただけたら創作活動に関する費用にしたいと思います。