知らない誰か
人生や他人に対する価値観が、悲観的すぎると自分でも思う。原因を考えると、母親の価値観にとらわれているのだなと思う。
例えば就職先。
特に就きたい職場もやりたい仕事もなかったので、「土日休み」「手厚い福利厚生」「育児と仕事の両立可能」である金融機関に新卒で入った。
私が「定年まで安心して働けて、他人に言っても恥ずかしくない職業」につけば、母親を安心させる事ができる、心配をかけずに済む、うるさく言われる事もない。今思えば、金融機関を選んだ理由はこれだと思う。
例えば結婚。
私が婚約を伝えた時の母親の第一声は「結婚は苦労の始まりよ」だった。
結婚=苦労の考えにとらわれている私は、夫が家事を頑張らなくてもいいと言ってくれているのに、手を抜く事ができなくて爆発してしまう。
義家族は私を受け入れない、と思ってこちらから心を閉ざしてしまう。嫌な事はされてないし、小学生の姪は仲良くしようとしてくれているのに。
容姿について。
思春期の私はぽっちゃり体型に一重まぶた。ティーン向けの雑誌を読んでいると、「あんたもそこに載ってるモデルみたいになれると思っているのか?」と言われた。なれる訳ない事ぐらいわかっているのに。
器量も悪い。要領も悪い。だから人の3倍頑張らなければいけない。
他人に迷惑をかけてはいけない。だから他人の世話や好意を受ける事は出来る限り避ける。
ずっとずっと苦しかった。何の為に生きているのかよくわからなかった、息がつまりそう。でも、どうすれば考え方を変えられるのかわからなかった。
今年の初めに結婚した。
新しい名字で自己紹介するのはまだ気恥ずかしく、名字を呼ばれたりすると他人のような気がする。書類に記入する時は当然のように旧姓を書きそうになり、一文字目を書き始めるギリギリではっと気づき事無きを得る、の繰り返しである。
まるで知らない誰かのふりをして生活しているよう。
せっかくの他人気分なので、これまでの価値観や考え方を変えてみたい。
夫は小さな工夫で日々の生活を楽しみ、新しい価値観に出会う事に喜びを感じる事ができる。夫の生活はカルチャーショックの連続であり、人生を楽しむお手本を見ているようである。
知らない誰かってきっとこんな人。
素直。
無駄な意地をはらない。
よく笑う。
よく寝る。
ご飯をおいしく食べる。
自分が楽しい事を知ってる。
新しい事にワクワクできる。
残りの人生、知らない誰かになりきってみせる。