全部やめてみた

一年ぶりのnote。
心に余裕がなくなると色々と出来ていたこともできなくなるものですね。
ずっと前から理解していたはずが、理解していても行動に移せない。

この一年、目まぐるしく時間だけが過ぎていきました。
いいことも悪いことも同じくらいあった。きっとそれは自分だけじゃないのに、悪いことが起こる度に自分がうまく回避できないと自覚する度に
自分自身に疑問を抱く。
どうしてどうしてって聞かれてもねぇ と心なんだか脳みそなんだかわかりませんが、私の中の私が困っている。

最近自分を改めて振り返ってみました。
私は小さい頃のコンプレックスを今になっても引きずっていました。
お金にとらわれていました。私の実家暮らし人生の中は、ほとんどが貧乏生活でした。お金がないことは恥ずかしいこと、お金がないから我慢することは心が貧しいことだと無意識に考えていました。
だからそんな思いをしないようにと、実家を出てからはお金を効率よく稼ぐことばかり考えていました。しかしそれもストレスになり、コンプレックスと思っていたことを一緒に住んでいる彼に打ち明けて、一度仕事をやめてみることにしました。

小さい頃の私の家はとても古くて大きい昔ながらの家で、おんぼろすぎて頻繁にネズミがちょろちょろ歩いているのを見かけるほどでした。
その大きくて古い家は、小さなネズミの悪戯で全焼。
一文無しの9人家族は一時解散し、各々の親戚やら兄弟のもとへ転がり込みました。私と弟、そして父の3人は祖母のお姉さんの家や母の実家などを転々としておりました。その間は母妊娠中だった為、かかりつけの産婦人科に入院中。
数か月後。もともと住んでいたところから少し離れた所にこれまたおんぼろの一軒家を借りて、9人家族のうち7人が揃いました。
揃わなかった2人は曾祖父と曾祖母。彼らは介護施設で暮らすこととなりました。
私たちは家が全焼する前も決して裕福とは言えない生活を送っていました。
そんな一家の家は全焼。残ったのは家族で営業していた赤字続きの蕎麦屋とその借金でした。
幸運にも田舎の広大な土地を持っていたようで、それを売ってどうにかやりくりしていたみたいですがそれでも生活はなかなかのものでした。
月末は基本野菜炒めしか食べられませんし、おやつは仏壇に供えられている決して子供向けではないお茶菓子。または蒸かしたジャガイモ。
おもちゃを買うお金は勿論ないので、新聞紙やチラシを折ったり切ったりくるくる丸めたりして遊んでいました。
住んでいる家はボロボロで廊下や階段を歩けばギシギシと音が鳴り、夏は暑いし冬は極寒。家じゅう隙間だらけで、アイスを一滴こぼすものならアリが大行列を作るのです。トイレはぎりぎり水洗トイレといえるでしょう程度のものでした。
そんな環境の中で、私の幼稚園入学が決まります。こんなに貧しいのにも関わらず母の要望で、地域ではちょっといい所の子供たちが通う幼稚園に行きました。


#久しぶりの投稿 #ニートになりました #幼稚園時代 #コンプレックス #貧乏時代


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