Attack of the ZOLGEAR 〜わたしを鼓舞したオタク男〜
わたしは不良くそ大学生だった。そこそこいい大学に入って、適当な授業を適当に取り、手堅い安定志向の同級生たちに逆らって、昼から生協ビール祭りのビールを飲み、べろべろの状態で授業を受け、奇抜な服装で構内をうろつき、教員や公務員になるつもりもなく、大学院にいく気も起きず、さりとて就職活動もするわけでもなく親に嘘をついてゲームセンターに昼間から入り浸っていた。ナムコ系列のゲームセンターで、『ギャラクシアン3 Attack of the ZOLGEAR(アタック オブ ザ ゾルギア)』をひたすらプレイした。1プレイ300円。昼間にプレイするから、シアター6(最大6人までのゲーセン内マルチプレイ)は自分1人のことがほとんどだった。札を崩し、小銭の続く限り遊び続け、日々巨大生物ゾルギアに挑んでいた。なぜこのゲームを選んだのかは覚えていない。
このゲームの自機の進路はほぼ自動で、戦闘は向かってくる敵をひたすら迎撃する形となる。撃ち漏らした敵はダメージとなって自機ドラグーン(正しくはドラグーンJ2)のシールドを蝕む。なので、できるだけ敵を素早く、かつ丁寧に殲滅することが必要とされた。挑戦を始めた当初は6人がけの端の席を選んでいたが、自分の腕ではうまく敵が狙えないことがわかってからは中心の席にかけるようにした。隅の敵はある程度諦める。大学生までゲームとは無縁の生活を送り、ついに目覚めて間もないころの、シューティングゲームへの初挑戦。わたしのドラグーンは何度も宇宙で弾け飛んだ。
いっしょに遊べるゲーム仲間はいなかった。まじめな同級生たちはゲームセンターになんか行かない。そして22歳の田舎娘にゲームセンターで声をかけてくる連中なんて、ろくな奴はいないから全員無視していた。しつこい奴は店員に言いつけた。店員たちも、あいつがいると揉め事になるから迷惑だ、という顔をしているのは知っていた。だからどうした、文句があるのか。わたしは「就職活動してきます」と家を出て、新幹線に乗って学校へ向かう振りをして(わたしは当時、25年前には珍しい新幹線通学をしていた)ゲームセンターに直行し、ドラグーンに搭乗し続けた。たまにスターブレードとソルバルウもやった。
遅い反抗期と言うにはあまりにもお粗末だったけれど、なんだかとても悔しかったのだ。大学に入って、勉強して、お堅い無難な就職をする。そんなコースに入ってしまうのが不愉快だった。この歳になって初めて出会った、ゲームの世界にのめり込む方がやりがいを感じた(わたしとゲームとの遅咲きで劇的な出会いについては別記事で書いた) 。最初のころこそリクルートスーツで出かけていたが、面倒になって着なくなったから、両親は就職活動なんてしていないことは知っていただろう。それについて咎められることはまったくなかった。体の弱い子に生まれてしまった、生きてくれているだけでうれしい。その両親の願いにつけこみ、注がれる愛情を悪用していた。わたしは毎日100円玉を筐体に注ぎ込み、敗れて宇宙に消えた。
少し前から、同じ人物がわたしのプレイを見物していることに気づいてはいた。小太りでメガネ、チェックのシャツにチノパンという絵に描いたようなオタクだ。何をプレイしても、平日の昼間に女子がいるというだけで後ろで見守る連中ができるのは知っていたから、大して気には留めていなかった。彼がほかの連中と違うのは、決してこちらと目を合わせず、声をかけてこないことだった。コンタクトをしてこないならば、こちらも安心して「いないもの」として処理できる。わたしは彼を無視し続けた。
その日は調子がよかった。敵を蹴散らし、アステロイドも撃ち抜き、ドラグーンJ2は最終ステージのゾルギアの体内、そのコアに迫るところだった。しかしわたしのガンナーとしての腕は大して向上していなかった。被弾に次ぐ被弾で、シールドの残量は25%ほどだったと記憶している。まあよくやったけど、これは今日もだめかな。そう諦め始めたころ、突如コインの投入音がした。
「もっももう少しだ! がんばれ!」
声のした左の方を見ると、いつも背後から見守っていたあの小太りのオタクが、思いもよらぬ素早い動きでガンナー席に滑り込むところだった。手首を返すような特殊なレバーの持ち方、腕を振動させてトリガーを連射する見たことのない戦い方が視界の端に映った。
彼の腕前はすばらしかった。わたしたちは双頭の巨大ターゲット、ゾルギアを討ち、オペレーターの「脱出します!」の声を聞いた。クリアの達成感とはじめての共闘への感慨を胸に席を立ち、わたしはオタクに向き合った。
「ありがとうございます。おかげで勝てました」
「お、おっ……おぉ……」
オタクは下を向いている。わたしは身長同じぐらいだな、などと考えながら続く言葉をのんびり待った。
「おおぉつかれ……」
わたしたちはその言葉を最後に別れた。お互いの名前も知らない。顔も忘れて服装しか覚えていない。目標を達成できて、くだらないくすぶりもおさまったのか、あまりゲームセンターには行かなくなった。その後彼に会うことももちろんなくなってしまったわけだが、100円3枚の投入音と共に現れたあの瞬間だけは、彼は本当にかっこいい男だった。共に戦い、輝いたあの時間をくれたことに感謝している。
わたしはその後適当に就職活動をして工事会社に入社し、コピーひとつ満足にできない無能をさらし続けた上に内臓の病気になって退職し、いろいろあって自宅で働くゲームライターになった。あんなに不安に思い、反発していた「無難で手堅い人生」なんて送れっこなかったのだ。あれはいらない心配だった。実現しない未来に勝手に怯えて強がっていたんだ。思い出すとあのころの自分が痛々しくて、でもちょっと微笑ましくて、笑ってしまう。笑うとたいてい、あのわたしを鼓舞したオタク男の思い出もよみがえる。名前も知らない、ほんの一時だけの、初めてできたゲーム仲間。どうしているだろう。幸せでいてほしい。