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Second Lifeとわたしの20年

古代のメタバース『Second Life』に住んで20年が経ち、メタバースハタチを迎えた。なかなか珍しい存在になれた気がする。熱心に毎日ログインした時もあった。1年近く離れていた時もあった。なんだかんだでやめずに20年、この少し枯れた仮想世界を楽しんできた。その長い時間の思い出を記す。

『Second Life』に抱くわたしの個人的な思いについては以前、「Second Lifeと別れ」で書いた。できるだけ同じことを書かないようにしたかったが、重複する記述もいくつかある。

2003年に、『Second Life』という仮想世界が生まれるらしいと聞いてアカウントを作った。10ドル弱払わないとアカウントが作れなかった。パスワードの管理がいい加減だったのでログインできなくなり、おもしろくなくて放置した。気を取り直し、2004年にもう一度アカウントを作った。それが今でも使用している”Estella Thereian”のアカウントだ。当時はアカウント作成時期によって与えられる姓が異なっており、プロフィールを見なくても姓でだいたいの生まれた時代が判別できた。(いまはこのシステムはなくなり、新たな世代のユーザーに姓はなく、必要があれば”Resident”が姓の代わりになる)

わたしが選んだ”Thereian”は今は亡き同系統のメタバース『There』にちなむ。特に『There』が好きだったわけではないがなんとなく選んだ。『Xevious』にしておけばよかった。

「今は亡き」と書いた先の文と矛盾するが、『There』は2010年に一度運営終了し、その後復活している。(関連記事[Wikipedia])素朴なイメージを守り続けているようだ。
ちなみに『Second Life』にはもう一つ「Thereのプレイヤー」を表す『Therian』という姓も存在する。二つの仮想世界にどんな関係があるのかは今もわからない。なぜ「Thereの人」を表す姓が2つ用意されていたのかに至ってはますますわからない。

ものづくりができるという謳い文句に嘘はなかったが、サービス開始当時はただの積み木遊びがせいぜいだった。それでもやる気のあるユーザーは(世界のことは”grid”、住人のことは”resident”と呼ぶので本エントリでも以後そう記すこともあるかもしれない)巨大複雑積み木を作って賞賛を浴びていた。最初にログインしたエリアの付近に”ARMORD”(Eが抜けているが実際そういう店名だった)という店があり、巨大なバルキリー(『超時空要塞マクロス』の)が展示されていたのを覚えている。

『Second Life』内の技術やユーザー間のトレンドがどう発展し、移り変わっていったかはいずれ別な記事で語りたい。ここではわたしの仮想世界での人生のような、それほど大げさでもないような、たいして濃密なものでもない、かといって無駄だとは言い切れない、はっきりしない長い時間について記すことにする。

わたしの『Second Life』での20年はとても簡単にまとめることができる。「最初の2~3年はコミュニケーションを大切にし、物作りやイベントも楽しんだが、時が経つにつれてやることが減り、世界を一人でさまようだけになった。わたしは今もただ、なんとなく存在している」

つまらなそうに思えるだろう。わたし自身もすごく楽しいとは思っていない。でも、わたしは『Second Life』で過ごすわずかな時間が好きだ。ログインボーナスもなく、ミッションもなく、クエストもステータスを上げる何らかの行動が必要とされることもない。いつものたまり場に行って仲間に挨拶しなきゃ、なんてこともない。義務感の必要ない、いてもいなくてもかまわない世界として、わたしはこの場所を愛している。

もう少し、上で述べた味気ないまとめを詳しく話していこう。
最初は海外のユーザーだらけの中で何もかも手探りだった。英語でのチャットには困らなかったが、言葉が通じればうまくいくわけではない。いろんな人がいるわけで、おもしろくない思いもした。プロフィールを見ればわかることを聞いてきて、「右クリックして(プロフィールを)見ればいいでしょ」と言えば「no time」と答えるやつ。返事が数秒遅れるだけで「you're harrassing me!」と言いながら小一時間追いかけてくるやつ。「俺は日本人が大嫌い!」(原文はここでは書けない)と言いながらバズーカでいきなり空中に打ち上げてくるやつ。やつらのことは今でも覚えている。

今はどうかわからないが、当時は1億メートルを超える高度になるとアバターが崩壊し人の形を保てなくなった。自分のアバターが壊れることに恐怖を感じるresidentはとても多く、この打ち上げ型嫌がらせ(グリーフィング)は”orbit”と呼ばれ(たぶん打ち上げられた者はお星さまに―衛星軌道に乗る勢いで―飛んでいくから)恐れられ、憎まれた。

orbitしないとしても、アバターの形を崩す嫌がらせは最も嫌われた。
これはフレンドとそのシステムを使って遊んでいるところ。

ある事件をきっかけに、厳しい規制が入るまでの何年かは、『Second Life』はエロとカジノと儲け話と乞食だらけの世界で渾沌としていた。そんな中でそういったごちゃごちゃと関係なく楽しめる、気の合うフレンドができるのはうれしかった。

ログインして2~3日後に何回か、同じ姓の日本人ユーザーに出会って話をした記憶がある。Daigoroという名だった。今もいてくれたなら、一緒に『Second Life』最長老として名乗りを上げられたのに。特に仲がよかったわけではない(よく考えたら数回も話していないかもしれない)が、彼はわたしの『Second Life』史の特別席にいる。

2005年ごろに日本人ユーザーがかなり増えた。「儲かる仮想世界」といった売り込みが急に増え(わたし自身も関連した書籍に執筆し、結果その片棒を担いでしまった。うまくやれば実際稼げるのでこういう紹介のしかたも間違いではない)、興味を持った人がなだれ込んできたのだと思う。
また、日本でのサービスが終了してしまった『Star Wars Galaxies』のプレイヤーも生活できるMMOとしての仮想世界に期待して大勢が訪れた。
日本人が増えたな、と思ったけれども特にアクションは起こさなかった。この時代のフレンドはほとんどいない。2年ほどフレンドの店の手伝いをしながら外に関心を向けずに過ごしていたら、どんどん人は減っていって、『Second Life』は人がいないわけではないけれどぱっとしないメタバースとなり、再び勢いを取り戻すこともなくそのまま存在し続けた。

さっき見たら4万人はいた
1万人ぐらい減ったけど思ったよりひどくなかった

人づきあいをしなくなった理由は2つある。一つは、そもそもわたし自身が社交的ではなく、一人でも楽しく過ごせるから。もう一つはみんなすぐにいなくなってしまうからだ。これについては別記事「Second Lifeと別れ」で書いたからこれ以上触れない。

穏やかな20年を過ごしてきた。今はライフスタイルが変わったせいで、遊ぶ時間もだいぶ減った。一人でさまよい、ちょっとの時間家でぼんやりしたらログアウトしてしまう。

変わらず続けてきたことと言えば、自分の土地を持つことと、自分の家の飾りつけに凝ることぐらいだ。ホームにこもってひたすらインベントリを掘り、ぴったりのアイテムを探す。なければテレポートでショッピングに出る。数少ないフレンドの家でインテリアを参考にさせてもらう。訪問はもっぱら家主がいない時だ。数少ないフレンドはほとんど違うタイムゾーンに住んでいるのでなかなか出会えない。コミュニケーションの優先度をほぼ最低にしてからの十数年はずっと、仮想ドールハウスで遊んでいただけとも言える。

次第に「いついってもずっとある家」という認識が一部の人に浸透し、時折訪問客が訪れるようになった。メインの家と、自由訪問を許す家を高さを分けて建築し(『Second Life』では空中建築は一般的)、お客様歓迎の家はシーズンごとに飾りつけをするようにした。

ログインの頻度はかなり減ったが、この家が今も、ゆっくり変わり、ゆっくり衰えていく世界や他のユーザーとわたしをつないでくれている。「今もあなたの家があって安心しました」「あなたの家で自撮りしたらすごくエモく撮れました。写真を送ります」という手紙が届いたりする。先日は別なゲームで出会ったフレンドが、わざわざアカウントを作って会いに来てくれることもあった。長く存在していると、じっとしているだけでもたまに楽しいチャンスが訪れる。こういう何年かに1度の変化を愛でるためにここにいるのかもしれないと思うこともある。

先日、長い間、少なくとも2009年から、別荘として居候させてもらっていたフレンドの土地(SIMと呼ぶ)がついに消滅した。彼女もあまり積極的にログインしなくなってしばらく経っていたし、いつなくなっても不思議ではないと思っていた。SIMの維持には決して安くないお金がかかる(万単位でかかる。今は3万円ちょっと)。今まであり続けてくれたことには、いくら感謝してもし足りない。会えない日々が続いても、あの土地があるから、彼女もきっと元気なのだと信じ続けることができた。最後の日がいつになるか彼女は知らせてくれていたから、その日には必ずログインして、愛する場所の滅びを見届けようと思っていた。できれば仮想世界の旧友、その人と一緒に。

時差を考慮するのを忘れていて、見逃した。
残念だ、なんてことをしてしまったんだ、悔しい……とは思わなかった。
やっちまったな! と笑ってしまった。地主であった当の彼女もログインしなかったらしい。「情緒もなにもない」と彼女は言ったが、これぐらいがわたしたちらしくていいと思った。

思い入れをべったり込めて、離れがたい魂の故郷、なんて言うのはむず痒い。「あぁ、まだあった」ぐらいの軽い気持ちで接することができる別世界。手放す時が来たら、惜しみなくそうする。なくてもいいけど、もう少し存在していてくれたらうれしいかもしれない。

盛り上がりのない20年
人生ってたぶんこんなもん
スクリーンショットはFlickrにまとめてある




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