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1人トリートの旅渡名喜島編②

こんにちは!Therapy Room Rurudo(セラピールームルルド)のIZUMI(イズミ)です。現在自宅にて女性専用のオイルマッサージ(ハワイアンマッサージのロミロミ)のサロンを営んでおります。自宅だけではまだまだなので週2~3は別のお店で(こちらも女性専用のオイルマッサージ)アルバイトしながら二足の草鞋でゆるゆるとやっております。
普段はマッサージのお仕事をしていますが2024年6月より、3カ月先まで予約の取れないカウンセラーの根本裕幸氏に師事し、お弟子9期生となりました。
本日も、一人トリート(一人離島旅×リトリート)の離島の旅レポをお送りします。
5日目は渡名喜島編②です。
本日は民宿でご一緒した方に誘われて、15時からシュノーケリングの予定です。

民俗資料館の入口。かつての渡名喜小中学校の敷地内にあります、入口の校門だけ残っております。1階がデイケアセンター、2階が資料館。資料館専用の入口があります。

午前中は、レンタサイクルを借りて島内を一周しようと思っていたら、何と本日は観光案内所がお休み。一応渡名喜島自体は外周7kmなので、歩けない距離ではない。しかしこの暑さ…。
ここで回る順番を間違えてしまった私。
朝ご飯を食べたあとに、渡名喜民俗資料館に行ったのです。しかも開館前の8時半前あたり。資料館は9時オープンです。館長さんがまだ外を掃き掃除している所を突撃してしまいました。
それほど暑くない午前中のうちに山登りをすれば良かったと後悔。
でも、民俗資料館の館長さんの詳しい解説(渡名喜島の歴史)をお聞きできて良かったです!入館料は300円です。
渡名喜島は、第二次世界大戦の際に米軍が上陸していない島だそうです。それでも、艦砲射撃で亡くなった方が出たとの事でした。米軍は、沖縄本島を攻撃する前に慶良間諸島を占拠し、そこを拠点にして本島を攻撃しました。今年の初めに伊江島に行った際も、その話を聞きました。伊江島は滑走路があったために真っ先に米軍に目をつけられたようです。
渡名喜島からは、慶良間諸島に向かう米軍の軍艦が何百隻も見えたそうです。米軍が上陸せずに済んだ渡名喜島ですが、終戦が知らされず、玉音放送も知らない中、1ヶ月程島民の方は過ごしたそうです。座間味島から渡ってきた方に、戦争が終わったとようやく知らされたという事でした。
爆撃されたり火炎放射器で焼かれたりせず、昔のままの家、そして街並みが数多く残っているのが渡名喜島なんです、と館長さんが教えて下さいました。昔ながらの沖縄の古民家が見られます。100年以上前の建物もあるとか。コンクリート造りじゃなくて、木造なんですよ、スゴイです!
暴風対策のために、島の家は路面より掘り下げて建てられています。昔は低いほどお金持ち又は働き者と言われていたそうです。
民俗資料館の二階から見る、赤瓦の屋根と、フクギ並木はとても美しいです。

資料館の2階から見た集落の様子。
この山、昔は段々畑だったとは!資料館の写真と見比べてみてください。

広いバルコニーから望むのは大本田展望台方面にある山。実は、沖縄本島の最北端の大石林山と同じ成分の石灰岩らしいと聞きました。今は鬱蒼と木々が茂っていますが、昔はこれが段々畑だったのです。段々なのでトラクターなど機械は入れられず、手で開梱。大石林山をご覧になられた方は判ると思いますが、ゴツゴツした岩山。よく畑にできましたね…。しかも、この山道を徒歩で登り下り。頂上の方まで行くと片道30分はかかると思います。
明治から大正にかけてカツオ漁で栄えたこの島は、人口が激増。食べ物が足りずに山を活用して段々畑に。サツマイモ、スイカ、ニンニク、ニンジンが主に作られました。水田はほとんど無かったそうです。女性は農業(畑仕事、豚の世話)、男性は漁業(カツオ漁師)が渡名喜島。逆に久米島は、男性が農業(米作り)、女性は機織り(久米島紬が有名)だったそうです。年貢をたくさん取れる物が作られたとか。
カツオ漁は、最盛期は5隻も船があった渡名喜島ですが、だんだんと不漁で取れなくなり遂に廃業となりました。土佐から来た方の教えを忠実に守って、手作りの本枯節を作っていたとの事でした。渡名喜島のカツオは、8kgと通常の2倍程の大きさで、高値で売れたそうです。民俗資料館にカツオの模型があります。持ち上げてみると重いです。
カツオ漁、夜中の2時に起きてまずキビナゴを取りに行き(カツオのエサにする)、そこからポイントに移動してカツオを一本釣り。漁師の皆さんが釣りまくって、遅い時は夜8時頃に帰ってきたんですって。ソレを、毎日。いつ寝てたんでしょうか…?
館長さんのご両親の時代はカツオ漁に農業にと、男女共に働き者だった、子どもがいっぱい居るから養うため皆必死に働いていたとしみじみと仰ってました。

ウェーグニドゥン。他に、クビリドゥン、ニシバラドゥンがあります。

渡名喜島での祭事についても色々教えて頂きました。渡名喜島のノロの方は25年ほど前に亡くなった為に現在はいらっしゃらないとの事。祭事は全て神女(カミンチュ)の数名の方で行っています。
昔は里殿に登って、ここにまる3〜4日間泊まり込みで祭事をしたとか。宮古島から15分ほどの大神島でも昔同じような話を聞きました。神事を行う山に籠もるのは女性のみ。男子禁制、男性が入るとバチがあたるそうです。
さて、すっかり館長さんのお話を聞き入っていました。時間は10:30過ぎていでしょうか。1人で集落を少し巡った後に、お昼を買いに桃原商店と又吉商店へ。パンとお茶を買いました。15時まではまだ時間はある。でも暑い、どうしよう…迷いつつも少し曇ってきたのでアンジェラ浜まで歩きます。アンジェラ浜を見ながらコーヒークリームパンとさんぴん茶を頂きました。

桃原商店。冷凍アーサと冷凍イカゲソ、お土産に売っていました。
本日もあがり浜キレイです!
あがり浜別角度
アンジェラ浜を見つつ、コーヒーロールを食す。

アンジェラ浜を過ぎたら、島尻毛散策道の方面へ歩きます。軽い山登りです。休み休み、登って行きます。

岩肌が荒々しい。
島尻毛散策道へ行く登り坂の途中です。あがり浜がキレイに見えます。
慶良間諸島が見えます。
頂上まではまだあります
だいぶ登りましたよ~
散策道から。
草むらには絶対に近づかないように。
方角により海の色が違います。

島尻毛散策道から更に上に登ります。大本田展望台に到着しました。かなり疲れたのでここでアンパンとさんぴん茶で休憩。

アンパン越しの入砂島。
慶良間諸島が見えます。
よく登りました。

大本田展望台を頂点として、そこから先は下り道です。下りは楽で結構な速度で降りてこられました。

ようやく降りてきました。
神様の宿る岩。
ユブク浜を望む。
ゴツゴツした岩。

その後、一旦部屋に戻ります。14:30でした。汗だくなのでさっとシャワーを借りて、ラッシュガードに着替えます。
誘ってくださったAさんと共に、サンゴがよく見えるポイントへ向かいます。
波は比較的穏やかなのですが、途中の浅くなっている所が荒くて、立っていられない程です。
大丈夫ですか、行けますか?とお気遣い下さいました。ここを乗り越えちゃえばもう大丈夫、とのことなので、頑張ります。
何とか荒い部分を超えました。
そこを超えると嘘のように穏やかな場所に。同時に、ものすごく深くなっている所もあって、ちょっと怖くなりました。
でも、深い所はサンゴもかなり大きく、魚も大型です!感動しました。
途中、Aさんがウミガメを3匹とサメを1匹見たそうなのですが、私は見落としていました。シュノーケル初心者なので、勘所が分からないのです…。渡名喜島のウミガメは比較的大きな個体で、人間を見るとサッと逃げてしまうとの事でした。もうちょっとゆっくりしてくれたら見られるのになぁ。
1時間弱位シュノーケリングした後に、浜に戻ります。帰り道は波が荒い所もすんなり進めました。
今日はかなりの距離歩いたり泳いだりと、盛りだくさんで疲れました。お腹がすごく空きました。

カジキのお刺身とちゃんぷるーとあら汁!あら汁とっても美味しかったです♪

渡名喜島二日目終了です、お疲れ様でした。疲れていたのに、首の後ろが熱い感じがしてなかなか寝付けませんでした…。

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