水瓶座の太陽
水瓶座の太陽
1月20日 太陽は水瓶座に入ります。
二十四節気では大寒にあたります。
占星術的には、水瓶座0度に太陽が入る日になります。
二十四節気と黄道十二宮は緊密な関係にあります。
大寒→立春:水瓶座(風:不動宮)
穀雨→立夏:牡牛座(地:不動宮)
大暑→立秋:獅子座(火:不動宮)
霜降→立冬:蠍座(水:不動宮)
不動宮は季節の盛りから始まります。
水瓶座は、大寒で始まりカチカチですが、その中で次の季節が始まります。
移ろう季節の中で、寒さの真っ盛りの間は「このまま長い冬が続くのでは・・・」と
季節が固定されたかのような印象があります。
そのため、不動宮は「固定宮」と呼ばれたりもします。
しかしその水面下では、確実に次の季節が始まることが約束されています。
ギリシャ神話
ゼウスの住まうオリンポスで宴会が開かれると、給仕としてゼウスとへーラーの娘の女神へーべーが勤めていました。
へーべーは、青春の女神として若さや美貌を兼ね備えていました。母神へーラーの寵愛をもっとも受けたとされます。へーべーはヘラクレスと結婚するため、給仕をやめオリンポスを去ることになります。このヘラクレスは、ゼウスと人間の女性との間の子供で、へーラーの激しい怒りを買う運命にありました。(ヘラクレスの神話は、蟹座や獅子座の神話にも登場します)。そのヘラクレスの元に下ることになった背景だけでも、長い神話が語られています。
さて、へーべーが地上に下ってしまったので、代わってゼウスが探し出したのは、トロイに住む美少年ガニュメデスでした。
ゼウスは鷲に姿を変え、ガニュメデスを浚います。鷲になったゼウスなのか、ゼウスが飼っていた鷲なのかは実は定かではないのですが、ゼウスの鷲の世話もへーべーが行っていました。
ゼウスがさらおうとすると、ガニュメデスは当然驚きます。
驚くガニュメデスにゼウスは
「給仕として天界にくるのであれば永遠の若さと命を与える」
「トロイの街の繁栄させる」ことを約束します。
ガニュメデスは人間のまま、トロイの街のために天界に上ります。
占星術
占星術における水瓶座は、風の不動宮。
牡羊座から数えて11番目にあたり、山羊座で作り上げた集団や組織から飛び出し、自由な個人とのつながりを求めます。
山羊座で作り上げた、自己表現と自己肯定の集大成である組織やつながり。
しかし、自分で作っておきながら、山羊座的な組織に窮屈さや融通のなさのようなものを感じるようになり、ついに飛び出していきます。
ただしそれは、山羊座でのしっかりした組織作りがあった上での「飛び出し」です。
水瓶座の支配星は天王星です。
天王星は土星の枠を越えて突き抜ける天体です。
土星は山羊座の支配星であり、水瓶座の副支配星です。
水瓶座はその天王星の影響を受け、一つ前の山羊座で作り上げた枠を壊します。
一方、土星の支配も受けている水瓶座は、ただ壊すだけでなく、
山羊座や土星の作った組織や枠組が「機能しているか」「役立っているか」を、冷静に見つめ査定します。
役立っているかどうかは、
個人の自由や平等を制限していないかどうか
で査定されます。
自由と平等、精神的な繋がり
その中でもさらに個人としての自由を高め、高みを目指すのが水瓶座です。
水瓶座の中の太陽
占星術における太陽は、目的意識そのものです。
しかし、高尚ともいえる自由と平等、無私の水瓶座の中での太陽はなかなかに困難です。
太陽が支配する「獅子座」とは対面にあり、太陽の加護からは最も遠いサインであることも影響しています。
水瓶座のエネルギーは、集団・仲間全体へと向けられています。
集団を作っているのは、いうまでもなく一人ひとり違う個性を持つ「私」です。色んな考えがありますよね。
でも、集団意識となったとき、一人ひとりの個性は見えなくなり「組織」「集団」の声という形で、集団がメインになります。
水瓶座が作り出す集団は、山羊座が作り上げた組織とは形が異なります。
山羊座的組織よりも、もっと広くてもっと普遍的な集団となります。
山羊座が意味する集団が会社「株式会社山羊座」だとしたら、
水瓶座が意味する集団は地域やグループ「水瓶座地方」「NPO法人水瓶座」あるいは「国」といった範囲になります。
国や地域などの大きな枠組みは、その国や地域に暮らしている人々の一人一人の個性を全部は表現できません。
時に国益という名の下に争いにまで発展してしまうことがあるのは、水瓶座のエネルギーが、一人ひとりの自由を脅かし、マイナスに働いた時のような気がします。
また、「総論賛成・各論反対」というような状況も、個々の事情を優先させたいときに起こりがち。
水瓶座の中での太陽は、そうした集団・全体の目的を優先させながら
個人としてのアイデンティティを発見し、表現するように促されます。
集団の中での自分を見極めるためには、ある程度客観的で、俯瞰できるような一歩引いた視点が必要になります。
そして、客観的で自由な発想ができるためには、
集団に集う人々が善意で結びつき、
一人ひとりの個性の違いを認められる「寛容性」があることが大切です。それによって初めて一人ひとりが、その集団の代表としての自覚を感じることができます。
ガニュメデス 番外編
レンブラントもガニュメデスの誘拐のシーンを絵にしています。
この子は給仕にするには幼すぎるし、めっちゃ泣いてるし、ヤダヤダ期真っ最中!!
まぁゼウスは神ですから、この子が将来、超美形になることはわかっていたのかもしれませんね。
そういう意味でゼウスの「神業」を示した絵とも取れますね。
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