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20年生きた犬とやっと好きになれたお母さん


先日、20年生きた犬が亡くなった。
最期の半年はずっと寝たきりで母が犬の介護してくれていた。朝の9時過ぎ、眠るようにこの世を去った。

うちの犬18歳なんです、
と当時友人や美容室の人にいうと大抵驚かれた。

元気なんですか?病気とかしてました?
いろいろなことを聞かれたけど、
元気じゃなかったときもあったし
過去に病気をしてその時に眠ったままになるかもしれないという時もあった。

元気なだけで、長生きできてた犬生ではない。
それは、我々家族もそうだったな。

2歳で母と父が離婚し、そこからは母が女で一つで、
あと複数人の歴代の彼氏にもお世話になりつつ、
私をきちんと大人に育ててくれた。

母は私を食わせるために、夜の街で働いていた。
その間、私は夜間保育園に通う日々。

母はいつも夜中の1時〜2時ごろに保育園にお迎えに来た。ぐっすり寝た(フリをしてた時もある)私をおんぶして帰る。そのときには時々、お店のお客さんが一緒にいたり、彼氏がいたりしたけれど、おんぶだけは絶対に8センチのピンヒールを履いた母が譲らなかったらしい。すごい。

側から見ると珍しい母娘の日常だったけど
今は3周回ってよくやってんな、まじすごい。と思う。

だけどそんな日々は突然終わりを告げて、
私は夜の保育園を卒業しなければならなかった。
気づけば私は小学生。保育園に通ってる場合じゃなかった。

これからは夜は家で1人で留守番をすることになる。
ここで登場したのが、我が家の愛すべき犬である。

犬はミニチュアダックスフンド、赤毛。
可愛い可愛い生まれたての時期に我が家に来た。
どうやら知り合いに安く譲ってもらったらしい。
1人で夜に留守番をさせる時、寂しくないようにと飼ってくれた犬だったと思う。

初めての犬だった。犬は割れこぼしてしまいそうなくらい小さかったのを覚えてる。

犬は私の留守番見守り犬としての役割を果たす気もなく、毎日のんびり暮らしていた。気が向くままにソファをかじり、気が向くままにあちらこちらでおしっこをした。

今思うと、私が犬の留守見守り番だったと思う。
おかげで留守番の寂しさは感じづらかったと思う。
(感じなかったとは、言わない。)

夜中に起きて、母のいる布団をめくり、母がまだ帰ってきてないことを知った時の虚しさを、感じたことのある人はあまりいないだろう。だけど、その隣でいびきをかく犬を泣きながら睨む気持ちも、感じたことのある人も少ないかもしれない。

そんなこんなで私も思春期になったりすれば、反抗期がきた。私はその時心底、母が嫌いになった。
母の苦労が当たり前になっていたのかな。
母に彼氏がいたことが気に食わなかったのかな。
母の私を決めつける言葉が嫌だったのかな。
多分、その時全てが嫌だった。私が普通じゃないと自認させるこの世の全てが憎かった。

そんな反抗期鬼レベルの私の唯一の救いが犬だった。
こんな鬼娘でも犬は変わらず大好きだった。
鬼の目の涙を犬はあの時期、何回見ただろうか。
犬はひたすら私の涙を舐め、塩分を摂っていた。

嫌いな家から逃げるように私は大学進学と理由づけて上京した。本当は犬も連れて行きたかったけど、無理だった。

そこから何年も母と犬と離れて暮らして、
初めてわかるありがたさや愛おしさがあるのを知った。
年に何度か帰省はしていたけれど、会う度に老けていく犬を見て、はじめて私は私の成長を自覚していった。

就職で私は地元に戻った。
何年か犬と離れて暮らした日々で、私は大切したい人と犬の傍で暮らしたいと思った。実際に地元に戻ってからも、上手くいかないことはあったけれど、そんな時でも変わらず犬は犬のままで犬らしく、犬であったのだ。

そこから6年。犬は本当によく頑張った。
私が戻った時から犬の体調は良くなく、回復してはまた戻り回復してを繰り返していた。長年お世話になった獣医さんも常に最善を尽くしてくれた。ここまで来ると、人間のエゴが故の延命治療ではないかと思った時もあった。

だけど犬は、どんなに体調が悪くてもお気に入りのドッグフードだけは本当に美味しそうに勢いよく食べる。
そんな姿を見て、少しでもこのご飯を食べさせたいと思うこともダメだったのか。今でもわからない。

耳が聞こえなくなっても、目が見えなくなっても、後ろ足が動かなくなっても、ご飯が乗る器の前に一生懸命に向かってくる犬を死なせたくなった。絶対に。

最期の半年は歩くこともできなくなってしまって、それでもお腹が空くと驚くほど大きな声で私たちを呼んだ。
犬に注射器でチュールをあげてる時、私は本当に幸せだったと思う。

賑やかな場所でもよく寝る犬だったから、
最期も母が忙しそうにしてるその傍で静かに眠った。
痩せ細り、自慢の赤毛も白髪がおおくなっていて、耳のふさふさの毛もほとんど抜け落ちていた。子犬の時みたいな、割れこぼれそうな身体だった。

よく、よく、頑張った。るる。

お別れは20年という犬生を盛大に送ってあげたく、お葬式をあげた。棺に母と私2人で犬を運んだ。
すごく可愛くて綺麗で穏やかな顔だった。

犬が犬らしく犬として変わらない日々を生きてくれた。
そのおかげで私は色々な時代を生きて、一度嫌いになった母を好きになれた。


るる、あなたが我が家に来て初日に食いちぎったクマのぬいぐるみを今日は思い出しました。また元気で。

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