ばばあもどきの日常と非日常 その15「“女”として迎えた初めてのバレンタイン・デー」
こんにちは。
“ばばあもどき”のルル山ルル子(ルル)です。
女の容れ物(身体)に男の魂が宿っています。
「トランスジェンダー」とか「FTM」とかの呼称がどうもしっくり来ず、
普段は「見た目は女 中身はおっさん」と自己紹介をしています。
さて、今回は私が初めて「女」として迎えたバレンタイン・デーの話です。
それまで女の人を好きになって「気持ちが悪い」だの「女のくせに」だのと言われていた私ですが、24歳の時に初めて男性の恋人が出来ました。
この時の恋人とは約4年ほどお付き合いをしましたが、
ある年の5月から付き合い始めて初めて迎える翌年のバレンタイン・デーを前に、私は今から思い返しても自分で怖くなるくらい気合いが入っていました。
それまで、「バレンタイン・デー」というのは、私のことを慕ってくれる後輩の女の子たちが手作りのチョコをくれる日でした。
私の当時の親は、とてもケチでお小遣いなどあまりくれない人たちでしたが、
ホワイト・デーの前だけは「ちゃんとお返しを買ってあげなさい」とお小遣いをくれていたものです。
そんな私が、初めて「チョコを贈る側」に回ったのです。しかもいい大人になってから。
「チョコレートを作るぞ! しかもハイクオリティなチョコレートを‼︎」
まず、私がしたことはといえば、年明けとともに図書館や書店に通い詰め(立ち読みに寛大な時代だったのです)、「チョコレートとは何か」というところから勉強を始めました。
そして、古代は薬として用いられていたとか、油脂分のパーセンテージがどうしたとか、チョコレートに関する蘊蓄を身に付けました。
次に、デパート巡りです。
会社の帰りに伊勢丹や三越に行ってはひたすらチョコレートの詰め合わせを見学しました。
GODIVA、Mary's、Morozoff、……etc.
どんな見た目の、何色でどんな味のチョコレートが、幾つくらい、どんな箱に、どんな風に詰め合わされているか、というのを脳味噌に焼き付けました。
その後、どんなチョコレートを作るか決めました。
18個入り、9種類の中身をそれぞれミルクチョコとホワイトチョコでコーティングして、18個です。
中からとろーりとキャラメルっぽいのが垂れてくるやつや、ガナッシュ入りのトリュフや、ココナッツ風味のツノツノ付きの丸いのや、齧ると断面が白とピンク(白と緑バージョンもあり)の渦巻きになっているやつや、飾りの付いたやつや……
なけなしの冬のボーナスを製菓材料に注ぎ込み、ひたすら試作品を作る毎日でした。
会社のおじさんたちに試食してもらって感想を聞いたりしました。
彼らの感想はほぼ同じで「ウマいけどデカすぎる」でした。
中身をいい感じの大きさで作ったものだから、コーティングすると大き過ぎてしまったようです。
お夕飯も朝ごはんもチョコレートという日々が半月近く続きました。
次にしたことは、チョコレートを入れる箱の設計図を作ることです。
今からは想像が付かないくらい完璧主義だった若き日の私は、拘り始めるととことん拘ってしまうタチで、
チョコレートを入れる箱はこういうの(①)
じゃなくて
こういうの(②)
じゃないと嫌だったんです。
これ、作るの結構難しいんです。
①の方なら簡単なのに。
伝わってますでしょうか? ②の方は仕切りに幅があります。
私は、箱が欲しいためだけにデパートでちょっと高級なお菓子を買い(食べたけど)、箱を展開しては展開図を理解しまくりました。
持って帰るのが本当に大変だったくらい大きなサイズのアートボールだかアートコートだかという紙を買い、そこに直接線を書くと仕上がりが悪くなりそうなのでこれまた大きなサイズのトレーシングペーパーも買い、ちゃんと垂直と平行な線が描けるようにレイアウト定規と大きなサイズの目盛り付きカッティングマットを買い、まずはトレーシングペーパーに展開図を描き、その辺の適当な厚紙で箱の試作品を作り、納得が行ってから、トレーシングペーパーを本番の紙の裏に固定して針で微細な印を付け、こんな時のために取っておいたインクが無くなったボールペンで折り筋を付けて……
チョコレートと同じくらいの愛と気合いを込めて箱を完成させました。
次は包装紙の選定です。
30年近く経った今でもたまに思い出しては後悔しているのですが、この時の私が選んだ包装紙はパール加工の入った水色のクレープ加工紙でした。
確かに綺麗なんだけど、食べ物を包むのにあまり相応しくない色だったような気がして、
箱の色がマルーンだったからそれに近い色の包装紙にすれば良かったなと時々思います。
そしていよいよ当日
さて。
バレンタイン・デーの週の週末。
チョコレートの出来は完璧です。
デパートで売っているものと比しても遜色ありません(ただし私のチョコレートの方が若干大きめ)。
箱も完璧です。
手作りの箱とは思えません。
今の私があれと同じクオリティの箱を作れと言われても無理です。
“女装”(女性でいう“おめかし”)もしました。
電車の足元の暖房でチョコレートが溶けてしまうといけないので、座席が空いていてもこの日だけは座りません。
そんなこんなでやっとのことで恋人にチョコレートを渡しました。
頑張って包んだ包装紙がビリビリに破り去られます。
苦労して作った箱がガバッと開けられます。
「わー、何これ⁉︎ 美味しそ〜う! 食べても◎△$♪×¥●&%#」
……もう食べてる……
その勢いのまま彼はチョコレートを食べ続け、休みなく淀みなく食べ続け、齧ると断面が渦巻きになっているチョコレートも齧ることなく一口でペロリと食べてしまい、あっという間に18個全部食べてしまいました。
私はといえば、圧倒されながら呆気にとられて見ているばかり。
食べ終わると彼は、「あー、美味しかった!」と言いながら箱をバキッとねじって潰して包装紙と一緒に捨てながら
「ルルちゃんありがとう! 高かったでしょ、これ?」と訊いてきました。
「買ったんじゃないの。作ったの」と言うと「えーっ⁉︎ 言ってよ! 食べる前に言ってよ!」と驚いていました。
……言う前に食べちゃったんじゃないですか。
気合いを入れ過ぎた私の初の手作りチョコレートは、完成度が無駄に高過ぎたが故に手作りだと気付かれることなく終わりました。
嬉しいような残念なような、せめてあの断面が渦巻きのやつは半分齧って渦巻きを愛でてほしかったような、
ほろ苦くもない、甘酸っぱくもない、ひたすら甘い(心情的にではなく味覚的に)初めてのバレンタイン・デーの思い出です。
あれ以来、チョコレートは作らないで選び抜いたものを買うか、或いは貰う側に回るかするようになりました。
フーシェのオリンポスシリーズなんて、センスが良いし本気度も伝わるし最高です。
何度もお世話になりました。
因みに今年の「本命チョコレート」はこれ。
でも、でも、本当のことを言えば、
やっぱり今でも女の子からチョコレートを貰いたいんだよなぁ。
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